あなたといっしょにいるおかげで
わたしは急な病にかかっても
野良では考えられなかった医療サービスを受け
命を長らえてこられた
いくら感謝してもしたりないくらいだ
しかしだからといって病気にもなっいてない
痛くもない体にメスを入れられるのを我慢する理由にはならない
わたしのためなどというおためごかしはやめてほしい
わたしにいわせればあなたがたの個体数はすでに十分多すぎるのだから
あなたがたにこそその「強制的な施術」が必要なのではないだろうか
(いぬの十戒より抜粋)
「乳母車」っていいかたは古くさい?
ああ、確かに…。かっこいいとは言い難いね…。
じゃあ、なんて呼ぶの?
え? なに? ベビー…なに?
カー? ベビーカー? ベビーカー??
また始まったか…。なんだよ、その見るからにうさんくさい言葉。
なんの疑いもなくよくそんないんちき日本語っぽい単語を口から吐けるね…。
Baby Carだよ。Baby Car! これはちゃんとした英語じゃないんじゃないかなあとか、少しは疑問に思わんか?
うばぐるま 乳母車
《米》 a baby carriage [buggy]; 《英》 a pram; 《fml》 a perambulator
乳母車を押して行く wheel a baby carriage.
べつに「ベイビーバギー」とか「ベイビーキャリッジ」とか「プラム」って呼べっていってるんじゃないよ。「乳母車」っていうちゃんとした単語があるんだから。
さらにいえば「乳母車」って呼べともいってないよ。「ベビーカー」でいいよ。定着した日本語なんだから。
でも「乳母車」って聞いて、さっき笑ったろ。
で、なんだって。「乳母車」じゃなくて「ベビーカー」だって?
それはない。
井上ひさしの「國語元年」の著者あとがきを読んだら、言葉は生きている、変化している、という文脈の中で、「とても」ということばは本来否定の意味が伴う言葉だった、と書かれている。
「とても我慢できない」という使い方は正しく、「とてもおかしい」といういいかたは誤用とされていた。
とても[副]
1. どんなにしても。とうてい。「—出来ない」「—だめだ」
2. 程度が大きいこと。たいへん。とっても。「—いい」「—きれいだ」▽「迚も」と書いた。「とてもかくても」の略で、本来は、下に必ず直接的・間接的に打消しを伴った。
大正末期、芥川龍之介はエッセイの中でたびたびこの誤用について触れている。
「とても」
「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訳ではない。が、従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。
続「とても」
肯定に伴ふ「とても」は東京の言葉ではない。東京人の古来使ふのは「とても及ばない」のやうに否定に伴ふ「とても」である。近来は肯定に伴ふ「とても」も盛んに行はれるやうになつた。たとへば「とても綺麗だ」「とてもうまい」の類である。
大正時代にはすでに「とても+肯定」使われていたが、まだ違和感を持つ人が多かったらしい。百年ほど経ち、ぼくを含め、誤用(だった)ということは忘れ去られている。
同じことが現在進行形なのが「全然+肯定」だろう。
「全然大丈夫」といういいかたにはぼくでも違和感があるのだが、この誤用ももう五十年ほど前から使われているらしく、かなり定着してしまっている。ぼくより下の世代だとフツーに使うだろう。ぼくの世代がいなくなるころには誤用でなくなっているかもしれない。
なるほど、それがほぼ百年ということか。
などと思っていたら、さらにどんでん返し。
「全然+肯定」は、意味は少々違うが、かつては使われていたのが、すたれてしまったらしい。
ぜんぜん【全然】[副]
《打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って》まったく。まるっきり。「—読めない」「—だめだ」
すっかり。ことごとく。「心は—それに集中していた」▽打消しを伴わない(2)の使い方は現在文章語としてはほとんど使わない。会話などで「断然」「非常に」の意に使うこともあるが、俗な用法。「—いいね」