前略、
それではここで日本呪縛霊の会の皆さんにご協力いただいて、このマンション建設予定地の呪縛霊をカウントしていただきます。用意はよろしいでしょうか。では、お願いします。
今、日本呪縛霊の会の皆さん13名に、カウンターを持ってこのあたりの呪縛霊を数えてもらっています。
カウントが終了したようです。では皆さんの数えた数字をこちらに集めまして、いまから日本珠算連盟の暗算コンテスト小学生の部のチャンピオンに数字を合計していただきます。
では、どうぞ。
おっと、もう暗算ができたようです。呪縛霊の合計はいくつでしょう。
出ました。百以上です。百以上。
危険です。注意をしてください。
草々
あなたといっしょにいるおかげで
わたしは急な病にかかっても
野良では考えられなかった医療サービスを受け
命を長らえてこられた
いくら感謝してもしたりないくらいだ
しかしだからといって病気にもなっいてない
痛くもない体にメスを入れられるのを我慢する理由にはならない
わたしのためなどというおためごかしはやめてほしい
わたしにいわせればあなたがたの個体数はすでに十分多すぎるのだから
あなたがたにこそその「強制的な施術」が必要なのではないだろうか
(いぬの十戒より抜粋)
前略、
アウトドアの文章を書いていて、「竹炭をいこらせてみる」と打ち込んだたら「いこらせる」が漢字変換できなかった。なんでと思って、辞書を調べてみたら「いこる」「いこす」なんで言葉はなかった。「熾(おこ)る」「熾す」なら載っていた。「熾る」でも意味は分かるが、ぼくにとっては、炭は「熾す」ものというより、やはり「いこす(いこらせる)」ものだ。
ウェブサイトでの使用状況を調べてみると、炭を「熾す」と「おこす」の主流派がやはり最も多いが、「いこす」派も相当数いることが分かった。異端である「起こす」派は「いこす」派を凌駕するほどだが、さらに道をはずれた「興す」派はさすがに少数だった。
少なくともそれなりに使われていて、自分だけの思い込みからきた言葉ではないことは分かった。ということは、これは「熾す」がなまったもので、ぼくの出身である関西方面の方言ということだろうか。
いまだに自分では普通に使っている言葉が標準的な日本語ではないことが分かってびっくりすることがたまにある。ま、それはそれで楽しい瞬間だ。
草々
関西在住者にはなつかしい「びわ湖タワーへ行こう!」のテレビコマーシャル。
ついにたどりついたらつぶれていた。
元世界一の観覧車は錆びていた。
びわ湖タワー – Wikipedia
6月17日(土)曇り
北海道に渡る前に、スーパーマーケットでお米屋さんの場所を教えてもらい、再びお米を量り売りしてもらう。前回の500グラムは少なすぎたので今度は1キロ。お米屋さんの方も量り売りなんかをするのは久しぶりだったのだろう。10キロの袋に入ったやつをわざわざ開けて量って売ってくれた。
こちらが払った代金はたった300円なのに、そのお米屋さんは100円ちょっとで売っている即席みそ汁のパックをおまれに持たせてくれた。あまり親切にされると恐縮してしまう。ありがとうございます。
函館行きのフェリーに乗る。大人1170円プラス自転車510円。キャンプ場で一緒だったバイクの人と前日、岬であった自転車乗りのおじさんとフェリーで話す。
函館までは2時間足らず。バイクの人は大沼まで行くとのこと。
ぼくはもうあまり走る気がしないので函館のどこか泊まるろうと出発する。五稜郭に泊まれないかと少し前から考えていたのだ。途中の行き先指示看板に「五稜郭公園」と書いてあり、意を強くする。「公園」とついているところなら、普通の名所旧跡より泊まりやすそうだ。万一、泊まれなかったときのことを考えて、行く途中の広場やグラウンドの場所もおぼえておく。
五稜郭に着き、自転車で中に入れることが分かり、夜間閉まってしまうわけでもないのも分かると、泊まれそうな気がしてきた。
お堀の内側の土手、人もあまり来ず、五稜郭タワーからも見えにくい木の陰にテントを張った。
(19.33km/1h30m・計1272.1km)
前略、
福生南公園を出ると昭島市に入る。
昭島市に入ると舗装状態がやや荒くなった。しばらく行くと前半最初の難所があらわれた。土手の道に上るのにS字型に回り込むのだが、いったん坂道を下ってから上る上に、道はヘアピンで幅も狭く、路面はがたがたの最悪の状態。おまけに「マムシに注意」なのでフレームを外して歩いた(Google Map)。
この土手に上ると路面はよくなった。拝島水道橋をくぐり、拝島橋を過ぎると再び舗装が切れた。そこからの遊歩道はアスファルトではないが、土を強固に踏み固めてあったのでスケートで滑ることができた。
数百メートルで舗装が復活。さらに進むと、JR八高線の鉄橋の手前で大神公園グラウンド脇の駐車場を突っ切ることになる。鉄橋をくぐるとくじら運動公園。
その先の多摩大橋をくぐると、また舗装がなくなり土の道に。この未舗装道は結構長く数百メートル歩いた。土手に上ったところから舗装になる(Google Map)。
しばらく行くと昭島市を出て、立川市に入る。
つづく
前半の難所(に全然見えないけど、路面がよくないのでスケートだと大変なのです)
おまけにマムシにまで注意しなければならないのだ。
拝島水道橋
拝島橋。左のトンネルをくぐる。
固められた土の遊歩道。滑走可
舗装復活
大神公園グラウンド脇の駐車場を突っ切る。
JR八高線の鉄橋
工事中の多摩大橋
再び未舗装に
また舗装復活
このウェブサイトはワードプレスで制作している。
以前から管理者ページをアイポッド・タッチ/アイフォン用に最適化するWPhoneというプラグインは使っていた。
たしか、サイトの表示自体も最適化してくれるプラグインもあったような気がしていたのだが、ずっと忘れていた。久々に思い出して探してみた。
iWPhoneというのがそれ。
プラグインとテーマをそれぞれのフォルダーに入れて、プラグインを有効化するだけ。
これまでと同じURLで、アイポッド・タッチ/アイフォンからアクセスされたときだけ専用の最適化されたページで表示してくれる。テーマをいじればカスタマイズも可能。もちろんコメントも付けられる。
アイポッド・タッチで表示されるウェブクリップのアイコンは、54ピクセルの正方形のpng画像を「apple-touch-icon.png」のファイル名でホームのファイルのある階層に置くのが一番簡単。
でも、それだとその階層以外にあるページのウェブクリップに対応しないので、各ファイルのヘッダーに
<link rel=”apple-touch-icon” href=”apple-touch-icon.png(へのリンク)” />
を記述するのがよい(みたい)。
このサイトも、自分以外に誰がウェブクリップするのかしりませんが、とりあえず対応しました。
ウェブログのプラットフォームのワードプレスを2.3にヴァージョンアップしたら、記事にタグを付けることができるようになった。でも、すでに200個くらい記事があるし、ひとつひとつタグを付けるのは面倒だなと思っていたら、複数の記事に一度にカテゴリーやタグを付けられる「Batch Categories」というプラグインがあったので付けてみることにした(なぜこの機能が最初から付いていないのだろう)。
タグを付けたら、ムバブルタイプにはあった関連した記事を表示する機能を付けたくなって「Related Posts Plugin」を入れた。表示している記事と同じタグをより多く持つサイト内の記事のタイトルが表示される。これを表示していると別のウェブログでは一人当たりの閲覧ページ数が増えた。
ここまできて以前試したあの機能にもう一度チャレンジしてみる気になった。
関連している外部サイトの表示だ。
一番高度なのは記事の全文を解析してキーワードを抽出し、検索をかけることなのだが、そんなものをいちから作る技術は全くない。ウェブのサービスでもぼちぼちその手のものが出始めているようだが、自分がすぐに使えるようなものは探すことができなかった。
もっと簡単にできないかと、ムバブルタイプの別のウェブログで以前試して失敗した方法をもう一度やってみることにした。
前略、
「今日は蒸し暑いね」とキミがいったから、6月24日は「エアコン記念日」。
でもその前に「UFO記念日」と「タイ革命記念日」だそうです。
写真はおもちゃデジカメmaxellのWS30 slimで撮りました。
画質はよくないですが、スナップを撮るのにはちょうどいいです。問題はウィンドウズにしか対応していないことで、買う前から分かっていたのですが、Virtual PCがあったので大丈夫だろうと思って買ったのです。結果はちゃんと使えたのですが、それはOS 9の時のこと、OS X版のVirtual PC 6ではこのカメラを認識しなくなってしまいました。もちろんカメラの動作環境にVirtual PCは入っていないので文句はいえません。なにかいい方法ありませんかね。
草々
追伸、写真の「ヤング理髪店」のお客はやはり山形出身のヤングなのだろうか。
前略、
府中市に入るともうほとんど問題なくなめらかな舗装道路が続いていく。五本松をすぎて、しばらく行くと多摩川沿いにはとても少ないコンビニエンス・ストアがある。ほかではだいたい自動販売機くらいしかないので食料の不足しいる場合は買い足しておこう。
府中四谷橋をくぐり、京王線の鉄橋をくぐり、関戸橋をくぐる。さらに進むと府中郷土の森、市民健康センター運動場があり、JR南武線の鉄橋をくぐる。
府中市は多摩川流域では最も道路の舗装状況のよいところだ。
つづく
五本松。読んだことがないので由来は分からない。
多摩川沿いにあるめずらしいコンビニ。さすがによく繁盛している。
府中四谷橋
関戸橋
JR南武線の鉄橋
香港で一週間滞在し、船で上海へ、その後、北京へ。
北京でシベリア横断鉄道に乗る前の日、それまで泊まっていたバックパッカー御用達の僑園飯店から、一転、高級ホテルの前門飯店へ移動した。旅行代理店で列車に乗る前日のホテル一泊を無理矢理予約させられていたのだ。
旅行代理店でもらったバウチャーを渡してチェックインした。ホテルはバウチャーを渡せば泊まらせてもらえるが、列車はそういうわけにはいかないので、バウチャーを切符と引き換えてもらわなくてはならない。ホテルのフロントに訊ねてみたが、どうすればいいのか全く分からなかった。
ホテルを出て、別の高級ホテルである崇文門飯店の中にある中国国際旅行社まで行ってみたが、もう営業は終わったので次の日にまた来いといわれてしまった。問題は泊まっている前門飯店から北京駅までの車での送迎の予約がこれまたほしくもないのに付けられていて、この崇文門飯店が北京駅に近いところにあるということだった。このときぼくは、次の日は崇文門飯店の中国国際旅行社へ行き、切符を受け取ってそのまま北京駅に行き、送迎車なんかほっとけばいいと考えていた。
甘い、甘すぎた。中国人はそんな甘い考えはすべてお見通しで、ぼくに好きにさせてくれるはずもなかった。
翌日、シベリア横断鉄道で出発の日、ホテルで朝食を食べてチェックアウトし、荷物を持って崇文門飯店へ向かった。
中国国際旅行社でバウチャーを見せて列車の切符のことを訊ねると、いろいろと電話をかけた末に別のホテル、国際飯店の中国国際旅行社へ行けと、たらい回しされてしまった。北京駅はもう近いので、先に荷物を北京駅に預けてから国際飯店へ向かった。国際飯店に着いたときにはすでに昼時になっていて、中国国際旅行社は昼休みになっていた。
昼休みが終わったあとも窓口をたらい回しにされた後、日本語を話せる女性が出てきて、衝撃の事実を告げられた。
ぼくの列車の切符は、ぼくを前門飯店から北京駅へ送っていくことになっている車の運転手が持っているというのだ。
あほ〜! なんでそんなやつに切符を預けるのだ。素直にホテルのフロントに預けとけバカたれ! こっちはもう荷物を北京駅に預けて準備万端なのだ。また前門飯店へ戻れとでもいうのか。
再び交渉の末、七時にその運転手を今いる国際飯店に来させるということで決着した。でも、もしこれで運転手が来なかったらぼくはどうなるのだ。
恐れていたとおり、七時をすぎ、十分、二十分をすぎても運転手は現れず、ぼくはパニックにおちいったが、その直後、やっと運転手が現れた。すぐ近くの北京駅まで乗せてもらい、切符を受け取った。その時に運転手はぼくの名前ともう一人の日本人の名前を書いた紙を見せ、この日本人を知らないかとぼくに訊ねてきた。彼はその日本人も北京駅まで送り届けて切符を渡さなければならないのだが、見つからないらしい。
知るか〜! こんな駅までの送迎車を付けられたせいでこっちは大迷惑しているのだ。おまけにこんなことに金まで払ってるとか思うと、余計に腹がたつわい。
しかし、なんとか出発前に切符を持って無事、駅に着けて一安心だった。プラットフォームにはすでにソ連行き国際列車が停っていた。ロシア人の車掌に挨拶して乗り込んだ。コンパートメントは二段ベッドが二つの四人部屋。同室の中国人の周さんはソ連に招かれてモスクワまで行くとのこと。日本統治時代に日本語を習ったので少し日本語が話せた。
発車直前に外から日本語が聞こえてきた。通路に出てみると、ぼくを北京駅まで送ってくれた運転手がいて、日本人を連れていた。彼が見つからないといっていた日本人らしい。彼(K君)はホテルでいくら待っても送迎が現れずパニックになり、(多分、運転手が先に北京駅へ行ってしまったという連絡があって、)自分でタクシーを拾って飛ばしてもらい、(多分、駅で彼の切符を持った運転手に会って)なんとか間に合ったとのことだった。
これってひょっとするとぼくが送迎の運転手を国際飯店まで無理矢理来させたために起きたとばっちりだろうか。すまんと心の中だけであやまった(でも運転手に切符を預けるのが一番悪いんだからね)。
その他、高校の教師をしているという日本の女性Uさんも同じ車両だった。
ほぼ定刻に列車は北京駅を出発した。
つづく
[脚注]
-
船で上海へ
香港〜上海の客船はリーズナブルな値段で、のんびりした船の旅が楽しめたのだが、もうなくなったと聞いている。
-
僑園飯店
僑園飯店は現在もまだあるが、もうバックパッカーのたまり場ではなく、りっぱな高級ホテルになっているらしい。このころは大雨が降ると地下の安い部屋には雨水が流れ込んでたまってしまうようなところだった。
-
車での送迎
カナダのトロントのユース・ホステルに泊まっているときに、ちょっとした話題になった日本の女性がいた。その女性はユース・ホステルの前に大きな黒塗りのリムジンで乗りつけてチェックインしたというのだ。これもトロントまでの飛行機と町までの車の送迎がセットになっていて、迎えに来たのがでかいリムジンだったということらしい。
二日目、コンパートメントで周さんやUさん、Kくんと話をした。昼、夜は皆で食堂車に行った。食堂車は走っている国のものが付くので料理は中華料理である。周さんにみつくろってたのんでもらった。
三日目、朝の五時に起こされた。国境が近いらしい。
国境の中国側の駅である満州里に着く。検疫が軽くあり、パスポートを持っていかれ、税関は入国時に書いた書類を持っていった。車両の入れ替えなどがあった後、駅に降りて再両替などをした。
列車に戻り、ソ連へ入国した。香港から上海へは船だったので、これが生まれて初めて地面にある国境を越える経験だった。広い草原に延々と柵が続いていたように記憶している。
島国に生まれたからだろうか。世界中のほとんどの人があたりまえに感じているであろう地面に引かれた国境にぼくは引きつけられた。一つの国を離れ、もう一つの未知の国に入るという行為は、ぼくを不安と興奮が入り混じった気分にさせた。その後、とりわけ歩いて国境を渡るチャンスがあるときは、なるべく逃さないようにするようになった。
ソ連最初の駅で制服が乗り込んできた。まずぼくらをコンパートメントから出して、中を調べ、パスポートとヴィザのチェックをした。税関は何も調べずにハンコを押しただけ。そのあいだにぼくらを乗せたまま、車両を持ち上げて車輪の台座を広軌のものに取り換えていた。
その後、駅に下ろされて再び待った。真夏だったが、ここまで北上するとかなり涼しい。しばらくすると中国のものに変わり、ソ連のディーゼル機関車にひかれた列車がやってきて出発した。
食堂車がソ連のものに変わって、ロシア料理が食べられるようになっていた。その他、途中の駅ではじゃがいものふかしたものや、ギョウザの皮にいもを包んだものなどを売っていた。じゃがいもをただふかしたものはとてもおいしくてこの列車で食べたものの中でも一番印象に残っている。
晩飯の時、ロシア人が近づいてきて言った。
「チェンジ・マネー?」
闇両替屋である。一米ドルを十四ルーブルでどうだという。当時の旅行者レートは一ルーブル二十七円ほどで、三倍ほどよかったので五ドル分両替した。
四日目、北側の車窓にバイカル湖が見えていた。昼過ぎ、イルクーツク到着。
U先生はホテルまで例の送迎車が付いているというので、ぼくたちは歩いてインツーリストホテルへ。着くと、このホテルにはハバロフスク方面からきたらしい日本人旅行者がいっぱいだった。
バウチャーを渡してチェックイン。次の日のモスクワ行きの切符は、今度はたいした手間もなく手に入った。
部屋は外国人用の高級ホテルということなのにかなりぼろかった。水道はきっちり止まらない。トイレの便座はちょうつがいが壊れている。テレビは置いてあるけど映らない。カーテンは引くとはずれる。部屋に据え付けのラジオは本体が取れてしまう。こんな部屋に日本で一万円以上払っていた。
イルクーツクの町へ出てみた。中国からやって来ると涼しいし、人は少なく、さびれた田舎町という風情で落ち着いた。
途中で闇両替屋につきまとわれた。もう列車内で済ましていて必要ないのでお断りしたが、千円で百ルーブルということだった。列車でも一ドル十四ルーブルだったので、このころの実勢レートは一ルーブル十円あたりということだったのだろう。
このころの正規の両替レートはすでに書いたように一ルーブル二十七円ほど。このレートは、この旅行を始める直前に旅行者用の特別レートとして公定レートから一気に十分の一に下がったものだった。それまでの公定レートは一ルーブル二百七十円ほどだった。さすがに実勢とそぐわないというので十分の一に下げたらしいのだが、まだ実勢レートとは三倍ほどの開きがあった。
この日の晩、列車で一緒だった日本人三人でホテルのレストランで食事を食べることになった。レストランのメニューにはルーブルで値段が書かれていたが、レートが引き下げられたばかりということもあって、過去の情報などからいろいろな不確かな情報が飛び交っていた。この時に問題になったのは、高級ホテルのレストランでは外国人に値段のルーブルを公定レートで計算して外貨払いさせられるらしい…という情報だった。
公定レートで計算されてしまうとかなりな値段になってしまうのでぼくたちはびびって三人でミンチカツと牛肉の料理を一人前とチャイ(紅茶)だけをたのんだら、結局ルーブル払いで一人二ルーブルで済んでしまいみんなで笑った(公定レートだと五百四十円、旅行者レートだと五十四円、実勢レートだと二十円)。
その他、町の喫茶店ではチャイと包子が四人で七ルーブル、露店のシシカバブが一本一ルーブルだった。
五日目、ホテルをチェックアウト。もう一晩そこに泊まるというK君のところに荷物を置かせてもらって、町をぶらぶらする。喫茶店に入り、キリル文字で書かれたメニューからコーヒーとアイスクリームとケーキともうひとつは適当に分からないけど指さしてたのんでみた。ウェイトレスの女の子はロシア語でなにかいっていたが、分からないのでそのままたのんだら、コーヒーとアイスクリームとケーキと「タバコが一箱」が出てきた。ロシアでは喫茶店のメニューにはタバコの銘柄がのっているので注意したほうがいい。
この日はバスの回数券(六カペイカの五枚つづり。百カペイカが一ルーブル)を買って適当に乗ったり、降りたりしたり、映画館へ行ってチケット(一・五ルーブル)を買ったはいいが、それが夜の回のチケットで見れずじまいだったりということをしながら時間をつぶした。ようするに観光するようなところは町なかにはなかったのだ。
夜になって駅へ。列車を待っているとホテルにたくさんいた日本人が続々とやってきた。列車が到着するとその日本人たちがみんな同じ車両だということが分かった。車両の半分以上は日本人だった。他の外国人旅行者もいたのでソ連の国際旅行社が外国人をひとつの車両に集めたようだった。
つづく
[脚注]
-
広軌
広い線路の幅の規格のこと。中国とソ連では線路の幅が違うので車両はそのままで車輪のついた台座だけを広いものに交換した。
-
ソ連のディーゼル機関車
現在ではこの路線は全線電化されているらしい。
-
ホテルまでの例の送迎車
前回参照のこと
-
公定レート
この原稿を書くためにインターネットで調べてみたところ、このころのソ連には三種類のレートが存在したらしい。公定レート(一米ドル=〇・五五四二ルーブル)、商業レート(一米ドル=一・六六二六ルーブル)、特別(旅行者)レート(一米ドル=五・五四二ルーブル)の三つ。公定レートは形骸化した名目上のもので、貿易などの経済活動には二番目の商業レートが使われた。三番目の特別(旅行者)レートというのがぼくが旅行した時期にできたもの。しかし、たいがいの旅人は闇両替していたので、公的なレートがいくらであっても関係がなかった。
-
包子
ロシアや東欧の一部では包子や餃子(ポテト入り)など中国由来の料理がその国の料理としてなじんでいる。
最近は検索エンジンのAPIが公開されていて一般の人にも検索が操れる、というのを聞いたことはあったものの、深入りするのがいやで手を出していなかったのだが、しようがないので見てみることにした。
ヤフージャパンの検索APIが公開されていて、xmlで検索結果を受けとることができるという。利用法は思ったより簡単で、単に指定のURLに検索語や数や条件を連ねるだけでxmlファイルが返ってくる。これはすぐにできちゃうかなと思ったのだが、やはりそう簡単ではなかった。
外部のxmlファイルをサイトに表示するところでつまずいてしまった。最初、これかなと思って調べていたxslはxmlファイルそのものを整形してサイトに表示するもので、考えていたのとは違っていた。
それからphpで読み込めないかとか、便利なスクリプトはないのかとか、いろいろ探してみた。その後、Adobe Spryというジャヴァスクリプトのフレイムワークにxmlファイルをサイトに表示する方法があるとわかって、ついにみつけたとよろこんだのだが、これも外部のxmlファイルの場合はセキュリティの問題で簡単にはできないらしく頓挫。スクリプトのことをちゃんと分かっている人ならこれまで書いた方法でもちゃんとできるのかもしれないが、phpもパールもジャヴァスクリプトほとんど分かっていないので手も足も出ない。
そしてやっとたどりついたのが、「[を] Yahoo!API の検索結果を JavaScript で表示」というページ。ここでヤフーAPIのxmlファイルをローカルに置いた小さなパールスクリプト経由でAJAXで読み込み、検索ページを表示していた。
このスクリプトを改造し、サイドバーにある関連記事を表示するプラグインからタグをひろいだすところを抜きだして、そのタグでウェブ検索をかけ、返ってきた検索結果のxmlファイルをリストにしてサイトに表示する「関連している(かもしれない)外部サイトの表示」がやっと完成した(この機能にはAJAXを使う必要は全くないのだけど直し方がよく分からない)。
この機能を使うにはそれぞれの記事のタグの付け方をある程度考えないとうまくいかない。まずサイト内の関連記事を出すためには複数の記事で共通した大分類、中分類ぐらいの範囲のタグが必要だが、それだけだと関連した外部サイトの検索で大ざっぱなものしかでないので、その記事独自のピンポイントなタグも必要。でもあまりにばらばらな無関連のタグが並ぶと検索結果がゼロになってしまうので、塩梅を考えなければいけない。
「関連している(かもしれない)」程度の精度がでているでしょうか。
前略、
シリアからトルコへ。
イスタンブールには前回の旅で来ていたこともあってのんびりと過ごした。
だが、その頃そこで滞在するにはちょっと注意が必要だった。観光客を狙ったある犯罪が増えていたのだ。
ルーマニアの友人はトルコに行くと催涙スプレーを吹き掛けてくるような強盗がいるから絶対行くなと忠告してくれた(トルコは近隣国の人たちにたいがい評判が悪い)が、イスタンブールにはそれに近い睡眠薬強盗というものがはやっていた。
旅行者のカモに同じ旅行者などを装った犯人が近づいて話しかけ、しばらく一緒に観光などをして親しくなり安心させたところで、犯人はカモに紅茶などを勧めてくる。それにはたっぷりの睡眠薬が入っていてカモは眠り込んでしまい、その間に犯人は貴重品をゆっくりと盗むというものである。
中には親しくなるまで丸1日以上一緒に行動して安心させる者や、喫茶店で出された紅茶なので大丈夫かと思ったらそれに薬が入っていたり、固形物なら大丈夫かと思ったらクッキーなどに塗り込んであったりと手が込んでいるらしい。
しかもその睡眠薬の量がかなりのものらしく、一口飲んだり食べたりしただけで、すぐに効いてきて、おかしいと思ったときにはもう立ち上がることもできずに昏倒してしまうというほどのものらしく、その後気付いた時には貴重品を盗まれて真夜中の広場で独りぼっちということになるらしい。
イスタンブールに来るまでは噂が大きくなってるだけで、大したことはないのだろうと思っていた。日本人のたまる安宿には日本の大使館からのその犯罪に関する御触書きまであったが、それでも事なかれ主義の外務省はいつもおおげさに書くからと思っていた。
でも泊まっていた宿で実際に被害者の一人に会ったり、冬に被害にあって眠り込んでしまって凍死してしまった人がいるなどという話を聞くとさすがに気をつけなければという気になった。
聞いた話の中からひとつ変わったものを紹介する。
ある二人組の旅行者がこの犯罪に遭い、そろって睡眠薬で眠らされてしまった。気付いたら一人からは貴重品が根こそぎ盗まれていたのに、もう一人のほうからは何も盗まれていなかったという。盗まれなかったほうが持っていたバッグの中にはお土産に買っておいたコーランが一冊入っていたらしい。犯人が大変「敬虔な」イスラム教徒だったために助かったというはなし。
もともとイスタンブールは観光客の非常に多い街なので、怪しげな客引きや物売りなども昔から多いところだった。
どんどん増えている最大の「お客さん」である旅行者の国の言葉を覚えて、「コンニチワ」「スイマセン」「日本人デスカ」「トテモ安イヨ」「見ルダケ、タダ」などの商売用語を駆使する連中がとても多く、それらの言葉で話しかけても知らん振りを決め込む東洋人には、後ろから「落チテマスヨ」と、声を掛ける。日本人なら思わず振り向いて下を見るので、最大のお客を見逃すことはない。それでも相手にされなければ、「馬鹿ヤロ〜!」と、捨て台詞を浴びせ掛けるというなかなか楽しい町なのである。
イスタンブールの観光地で日本語で話しかけてくるトルコ人はほとんどが商売人で、しかも怪しげな片言の日本語を駆使するだけなので「日本語を話すトルコ人=いんちき商売人」という図式ができあがっていてほとんど逆効果なのだが、彼らはまだあまりそのことに気付いてないようである。
ある絨毯屋のオヤジは日本にいたこともあり、日本語を完璧に話すのだが、外で使うと詐欺師だと思われるだけなので使わないといっていた。彼は日本人にお茶を出すとき「砂糖と睡眠薬はどれくらい入れましょうか」と、イスタンブール・ギャグを飛ばしていた。
このころちょうど2000年のオリンピックの開催地が決まった。イスタンブールも立候補していたのだが、見事に落ちてシドニーに決まった。イスタンブールの市民には悪いが、当然の結果といえるだろう。
イスタンブールはその後もしつこく立候補をつづけていたらしい。2012年のオリンピックにも立候補していたそうだが、あっさり一次選考で落選した。天敵ギリシャのアテネに先を越され、まさかの中国北京にも負けて、ショックは隠せないだろうが、とりあえず治安をよくしてから出直してきてほしい。
草々
6月15日(つづき)
出発。そのまま、太平洋側を北上。昼になっても濃霧は全く晴れず、霧雨に近く、じっとしていれば霧なのだが、走り出すと体中べっちょりと濡れてしまう。
六ケ所村に入り、原子力発電所などが続く。一年中、こんな天気ではないだろうが、原発などがかたまってある理由がわかったような気がした。
キャンプできるようなところも見つからないので前に進むしかなかった。風まで強くなってきて、もう最悪の状態。
疲れてしまって、もうどこでもいいって感じで、海岸に入っていってテントを張る。朝から何も食べてなかったので、飯を炊きカレーライスを作る。風は強くなっていた。
カレーライスを食べていたら、強い突風が吹いた瞬間、テントが体にぶち当たってきた!
テントを地面に固定してあるペグがはずれ、テントが突風にあおられて飛ばされそうになっていた。地面がやや固い砂浜程度のところだったのでペグがはずれやすかったのだ。
テントの中に荷物と自分がいて重しになっているので、その場になんとかとどまっている状態。テントの中から必死になって押さえるが、そんなことをしたからどうなるものでもない。風は治まる様子がないからこの状態から再びテントを元に建て直すのは完全に無理だった。
とりあえずテントの中の荷物をまとめ、外へ出て、ポールをばらして、フライシートが飛ばされないように注意しながら、なんとかテントをひとまとめにする。ここで何かが飛ばされてしまったらもう取り戻すことはできない。
とりあえず抱えられる荷物を持って、村の方へ走る。強風の吹く中、たまたま歩いているおじさんがいて、この村に民宿があるかどうか訊ねる。宿がないとかなり絶体絶命だ。天気予報では夜から雨が降るといっていた。
あるというので、場所を聞き、そこへ向かう。民宿に着く、部屋は空いているという。料金を聞き、一切値切らずに投宿する。もう一度、往復して残りの荷物と自転車を回収して、やっと一息ついた。
熱い風呂に入り、洗濯をする。ラジオが東北北部も梅雨入りしたことを伝えていた。ひさしぶりにふとんで眠った。
(88.52km/5h20m・計1181.2km)
前略、
やっとCD-ROM「ご存じ古今東西噺家紳士録」を買った。音源付きの総合落語データベースとでもいえばいいのだろうか。2000年に出た「古今東西噺家紳士録」の改訂版だ。古いほうも今年の3月に買ったのだが、収録している落語の8割は入れ替えているということなので入手のチャンスをうかがっていた。
もちろん大きな本屋などに行けば、新旧版両方とも買えるのだが、13440円と少々お高いので「安く」入手できるチャンスをうかがっていたのだ。
旧版はヤフー・オークションで手に入れた。最近でもこの旧版はちょこちょこオークションに出ていて、中古でも落札価格が1万円を超えることも珍しくないのだか、ぼくが入札したときはついていたのか、入札者も少なく約半額で手に入れることができた。
今年に出た新版ももちろんほしかったのだが、出たばかりなのでオークション出てくる頻度が少なく、出てきてもだいたい1万円あたりまでは価格が上がってしまうので様子を見ていた。状態も分からない中古品に、確実に送られてくるかどうかも分からないシステムで、1万円を超える落札価格に送料や振込手数料をかけてくらいなら、素直に本屋で定価で買うほうがましだ。
結局、新版を手に入れたのはオークションではなく、Amazonが仲介する利用者間の市場であるマーケットプレイスでだった。値段は売り手が決めた値段(プラス送料)で即決なので早い。
ここでも出されているのはだいたい1万円ちょっとというものが多かったのだが、たまたま会社でサイトをのぞいていたら7000円というちょっとお目にかかれない値段で出品されていたので、仕事の手を止めて即入手した。また、このマーケットプレイスでは買い手が値段を決めて購入の予約もすることができる。
いま現在、この文を書いているマック上では、このCD-ROMの収録音源がiPodに入れるためにiTunesでエンコーディングされている最中である(純正450MHzのG4プロセッサーのままのCubeなので、2時間かけて70席足らずの落語しかエンコーディングできていません。こりゃ真夜中までかかりそう…)。
旧版の落語の音源をiPodに入れるまでの顛末はこのあたりに何度か書いたので、興味のある方は参照してください。ちなみに今回は、TinkerToolで不可視ファイルを可視にして、見えるようになったCD-ROM上のクイックタイムmovファイルをiTunesにコピーして、AACにエンコーディングしています(iTunesから直接CD-ROM上のmovファイルを指定してエンコーディングしようとしたら可視にしたのにファイルが見えなくてダメでした)。
草々
「エンコード〜タグ編」につづく