前略、


 それではここで日本呪縛霊の会の皆さんにご協力いただいて、このマンション建設予定地の呪縛霊をカウントしていただきます。用意はよろしいでしょうか。では、お願いします。
 今、日本呪縛霊の会の皆さん13名に、カウンターを持ってこのあたりの呪縛霊を数えてもらっています。
 カウントが終了したようです。では皆さんの数えた数字をこちらに集めまして、いまから日本珠算連盟の暗算コンテスト小学生の部のチャンピオンに数字を合計していただきます。
 では、どうぞ。
 おっと、もう暗算ができたようです。呪縛霊の合計はいくつでしょう。
 出ました。百以上です。百以上。
 危険です。注意をしてください。

草々
 


6月15日(木)曇り/濃霧
 馬淵川の川原の野球グラウンドのレフトの外野の芝生の上に(「の」の連続)テントを張り、ぐっすりと休んでいると、テントのフライシートをタンタンとたたかれ、なにやら外から声をかけられて目覚めた。
 時計を見ると朝の5時前である。
 なんだよ、こんな朝早くから。どうせ早起きのじいさんかなんかが散歩の途中でキャンプなんかするなとかおせっかいやきに来たんだなと思い、相手にせずにそのまま寝ていた。
 しかし、なんだか外に人の気配があり、それも何人かいるようで全く立ち去る気配もない。おまけに一定間隔で、パン、パンという小さな聞き覚えのある音が響いていた。車のエンジン音も断続的にする。
 これは何かおかしいと思って、外を見てみると…。
 平日の朝の5時、濃霧の中にいい年をした野球のユニフォーム姿の大人たちがグラウンドに散らばって、キャッチボールをしていた。さらにつぎつぎと車で集まってきていた。
 会社に出社する前に草野球をするため、川原の野球場に集まってきていたのだ。
 不幸中の幸いというのも大げさだが、テントはレフトのライン際の深いところに張っていたので、彼らはテントにかまわず試合を始めようとしていた。まあ、こちらもかまわなくてもいいのだが、万が一、テントに当たって壊れでもしたら困るのでしぶしぶ撤収を開始して、いつもより早めに出発した。(つづく)

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前略、



 旅人としては手回し充電の商品は気になるところ。以前からこの手のラジオはあったが、でかくて高かったので旅向きではなかった。東芝のこの商品(TY-JR10)は小さいし、LEDのフラッシュライトがついていたり、軽い防水仕様になっていたりと、かなり旅に向いている。
 とはいうものの、なかなか購入に踏み切れない点もある。
 まずFMがモノラルというのはちょっとマイナス。5000円という値段もちょっと高い。
 そしてこの商品の売りのひとつである携帯電話の充電機能というのがぼくには不要なもので、もしこれがiPodの充電にも対応してくれていたりすると、即購入となるのだが。
 これだけiPod関連商品があって、乾電池式のバッテリーパックや車載ユニットや太陽電池式の充電ユニット(「Solio」)はでていても、手回し式はまだないようだ。どこか作らないかな。

草々
 


前略、

チェコ・スロバキアはこの年(1993年)の1月1日、ぼくが入国する4ヵ月ほど前にチェコとスロバキアに分離独立した。
ぼくはこのことを2月にパリに来るまで知らなかった。少しの間住んでいたカナダのモントリオルのアパルトマンにはテレビもなかったし、新聞もたまにしか買っておらず、ラジオは聞いていたが、FMばかりだったので報道していても理解できずに聞きのがしていたのだろう。
ぼくは分離独立直後の1月11日に、モントリオルのチェコ・スロバキアの領事館で、そのことを知らないままに査証を取っていた。
パリで分離を知り、ベルリンまで来て、この二つの国の査証がどうなっているのか不安になってきた。モントリオルで取った査証にはチェコ・スロバキアと書いてある。この査証で両方の国に入れるのだろうか。
すでにベルリンの両国の大使館は二つに分かれていた。苦労してスロバキアの大使館を探しあて、査証を見せるとそれはチェコのもので、この査証ではスロバキアには入れないというので、さらに査証を取らなければならなかった。先に取ったのと全く同じデザインのスタンプで上にボールペンで「SR」とあるのが、スロバキア共和国の印らしい。チェコの物だといわれた査証をよく見ると「CR」と書いてあった。
その後、錯綜する情報の中、結局この頃は二つの国のうちの先に入る国の査証を持っていればいいらしいということが分かったが、後の祭りでだった(どこの国でも役所の人間というのはいい加減なやつらである)。

スロバキアに入国、プレショフに到着。
宿を探そうとすると安宿の一つは満員、一つは改装中、もう一つはすでに安宿とは呼べないほど値上がりしていた。この町には他に安宿はなさそうなので、さらに移動することにした。
バスで田舎町のスピシュスケ・ポドハラディエに行った。ここは安宿だけを求めていった場所だったのだが、町の真ん中の広く小高い丘に堂々とした中世の城跡が鎮座していた。安宿のだけを求めて行ったひなびた田舎町で突如として現れた大きな城跡を見つけて、それは単にぼくが知らなかったというだけなのだが、意外な発見にとても感動した。
そこでこの城が窓から見渡せる安宿も見つかった。宿には外国人はもちろん、観光客もぼく一人のようだった。城を見に行っても、その城と周りの広い丘には自分以外の人間は全くいないようだった。
ぼくはいくらきれいな観光地でも人でいっぱいのところはあまり好きになれない。この時、この田舎町の広大な城にいるのが自分だけだと思うと、満員の観光客と分かち合うどんな美しい観光地にいる時より気分がよかった。

草々

追伸、このウェブログに載せるために昔書いたこの文章を整理していて、スピシュスキ城のことをウェブで調べていたら、いつのまにか世界遺産に指定されていたことが分かった。1993年指定ということだからぼくが訪れた少し後ということだろう。
シーズンオフだったこともあるが、ぼくが訪れたときは本当に全く観光客はおらず、観光客はおろか城跡自体が閉鎖されていて門は閉まっていて管理人すらいなかった(誰もいないことをいいことに無理矢理中に入ったりしました。失礼)。


 羽田空港へ人を見送りに行き、はじめて外からアイポッド・タッチでメールを送った。
 空港内には有料の無線LANはかなりあるようだが、無料のものは何ヶ所かにあるエアポートラウンジがフリースポットに対応しているぐらい。そのエアポートラウンジも利用自体が有料なので、そこに近づいてもれてくる電波を利用した。
 第二ターミナルの出発ロビーは二階にあり、中三階のようになっているところにあるエアポートラウンジが上に見えている。出発ロビーからそこへ近づくと、アンテナが三本中二本立ち、通信を確立できた。しかし、つながりはかなり細くとぎれとぎれでしか通信できなくて、サイトの閲覧やメール送信をするのはかなり時間がかかった(送信は何度か再試行しなければならなかった)。
 たまには国際線も発着している空港だというのに、無料の無線LAN環境がこんなに貧弱なんて、がっかり。


前略、


ビリニュスから日帰りでカウナスに行った時にソ連製のカメラを買った。
ラス・ヴェガスの盗難事件で日本から持っていっていたカメラはなくなってしまい、その後ドイツで日本製のコンパクト・カメラを買うまでのあいだはQuickSnap(写ルンです)を使っていた。
カウナスにあったカメラ屋さんをのぞくととても安かったのでもう1台ほしくなった。ロシア製の有名なゼニットの金属ボディの重い一眼レフカメラでも2500タローナス(600円ちょっと)ぐらいからあり、コンパクト・カメラならもっと安かった。白黒フィルムなどは10円もしない。
重い一眼レフは長旅の邪魔なので、プラスチックのボディでハーフ・フレイムのピントも絞りもマニュアルの物を買った。安くてもちゃんと写り、この後の旅の間ずっと愛用した。このウェブログにアップしている写真のなかにもこのカメラで撮ったものがたくさんある。

この「АГАТ(アガット)18K」というカメラ、帰国してからはほったらかしだったのだが、ネットで調べてみると意外とたくさんのサイトがあっていろいろと情報が分かった。
このカメラはBelOMOというロシアではなくベラルーシ(リトアニアの隣国)の会社の製品で、安い割にはなかなかいいレンズをつけているそうだ。
日本でもネットなどを通じて5000円ほどで買うことができるようだ。ぼくがカウナスで買った値段は900タローナス(約200円)だったけど。

草々


ワルシャワをバスで出発する。
夕方の6時頃、国境に到着。出国を待っている長いトラックや乗用車の列の横を通り抜けて止まると、ポーランドの出国審査のために制服をきっちりと着た中年の無表情な係官が入ってきた。ぼく以外の乗客はすべてポーランド人とバルト三国の人のようだ。彼らに対する旅券のチェックは簡単なものだった。
しかし、ぼくの番になって無表情の係官は、人が変わったようにぼくの旅券を調べ始めた。無言のまま、すべてのページをたっぷり5分間は前へ後ろへと繰りながら、他の国の査証のページも穴の開くほど調べていた。その真剣な表情は単に好奇心から見ているとはとても思えず、どこからか何でもいいからミスを捻り出して金でもせびろうとしているように見えた。
結局、彼はぼくの旅券から何も見つけだせなかったらしく出国スタンプが押され、彼は無言のまま旅券を突き返してきた。

しばらくして、今度は帽子を斜めにかぶり制服のボタンも留めずに着くずした若い男が入ってきた。リトアニアの係官だった。彼は乗客と陽気に話しながらチェックを進め、ぼくの旅券を見ると、「ジャパーン!」と大袈裟に叫び、ぼくになにごとか話しかけてきたが、それはエストニア語だったようだ。彼がぼくに何か尋ねると乗客はそれを聞いて笑っていた。
彼はすべての乗客の審査を終えると出ていった。彼はぼくの旅券に入国スタンプを押すどころか(スタンプを持ってなかった)、査証も調べず、表紙を見ただけで旅券を開くこともなく出ていった。
後ろの席の英語を話す女の子に、彼がぼくにした質問のことを尋ねた。
「彼はあなたに『拳銃は持ってないね?』って尋ねたのよ」
リトアニアはとてもいいところのようだ。

夜の10時にリトアニアの首都ビリニュスの元ソ連の国営高級ホテルだったホテル・リトバ前に到着した。
ワルシャワからここまでは列車でも来れる。夜行の直通列車もあるのだが、これを使うにはとても大きな問題があった。ワルシャワからビリニュスへの直通列車は、ポーランドから直接リトアニアに入らずにバルト三国と同じく元ソ連の共和国で独立したベラルーシの領土の北西部の隅をほんの少しかすめていくために、ソ連時代は何の問題もなかったのだが、今ではベラルーシの通過査証が別に必要なのである。
ぼくがワルシャワで情報を聞いた中の一人は、これを知らずにこの列車に乗ってしまい、列車がポーランドを出てベラルーシに入り入国審査官が来た時、彼はそこがベラルーシであることを知らないので、最初、状況が全く把握できなかったらしい。やがて、そこがベラルーシであることが分かったが、後の祭り。彼はほんの少しその国を通るためだけに査証代を数十ドル請求された。彼はなんとか払わずに済むように交渉したらしいが、その列車がベラルーシを通ることを知らずにくる旅人は多いのだろう、向こうは慣れたものだったらしい。
「別に我々は君をポーランドに送り返してもいいんだよ」
そういわれて、彼は査証代を払うしかなかったそうだ。
リトアニアに着いてから知ったのだが、この時にはソ連時代には廃止されていたポーランドとリトアニアを直接結ぶ路線が再開されていたらしい。

宿を探しに行く。ワルシャワで聞いた情報に従っていくと、そこは普通のアパートメントのようだったが、受付のおばさんに話すと泊まれるということだった。部屋がたくさん空いているので、多分、内緒で旅人に部屋を貸しているのだろう。通された部屋は狭いワンルームの部屋でアパートメントなのでキッチンとバスルームが付いていたが、お湯は出なかった。宿代はドル払いで4ドル(帰りにもう一度泊まった時は2ドル)だった。
一休みした後、街へ出て10ドル両替した。ロシアの貨幣であるルーブルもまだ多少流通していて使われていた。

ビリニュスの街には高層建築は全くなく、高い建物はすべて教会という古い落ち着いた町並みが続いていた。ビリニュスはこれまで訪れた国の中で最もなにもないいなかな首都だった(この後に訪れた国も含めても第1位は変わらない。つまりラオスのビエンチャンよりもいなかということ)。
この後のバルトの国もそうだったが、街にはたくさんの花屋があり、これらの国の美しいアクセントになっていて、心を落ち着かせてくれる。
近くのセルフサーヴィスのカフェで食事をした。コーヒー、ゆで卵、茹でたソーセージを食べて、150タローナス(40円弱)。この調子では宿代はドルで払っているし、数日ではとても10ドル分を使い切れそうにないので、まずかなり伸びていた髪を切りにいったら300タローナス(80円弱)、そこでこの夜はワルシャワで教えてもらった高級レストランに行って食事をした。ピンク色のグランド・ピアノがあって(演奏はしていなかった)正装したウェイターのいるところである。
ボルシチ、キエフ風カツレツ(レーズンとバターの入ったチキンのカツレツ)、アイスクリーム、紅茶で、たったの760タローナス(200円弱)。安いのはとてもいいのだが、一人で食事するのにジーパンと汚れたジャケットでいちいち高級レストランに入るのは気詰まりだった。しかし、ビリニュスにはまともなレストランのほかにはセルフサーヴィスのカフェぐらいしかなく、気軽に入れるレストランがあまりないのだ。まだあまり外食の習慣がないのだろう。


つづく


前略、

 焚き火野宿大会が近づき、選択を迫られた。
 一次会の焚き火焼き芋大会のみ出席して、野宿大会をパスするか、はたまた野宿もするか。
 野宿するには持っている装備が貧弱すぎた。夏用の羽毛寝袋があるだけだった。マットを買えば済むような問題とも思えなかった(リッジレストを買う前の話)。なにせ夏用の寝袋なのだ。野宿初心者のぼくにはテントくらいないと到底耐えられそうになかった。

 なにか安いのでいいから買おうと、最初の選択肢に浮かんできたのが、ロゴスという会社の「TDラピーダ」というテント。この製品の最大の売りは設営が簡単なこと。本体とポールが一体化していて、折り畳まれたポールも簡単に一本になるので、折畳み傘を開くようにテントが立つらしい。ナチュラムのサイトでは半額以下の7000円弱と安いし、これしかないと思ったのだが、いや待て、3.4キロは重いぞ、耐水圧も低いぞと気付いてしまった。

 同じメーカーの「クイックツーリングドーム200」なら、値段もほとんど同じで3キロと軽い。でも耐水圧はやっぱり低い(耐水圧が低いと長雨だと水がしみてくるそうだ)。

 さらに同じところの「ツーリングドームDX」だと、耐水圧は1500ミリだし、重さも2.5キロではないか。ちょっと高いが、もうこれだと思った。10000円弱の結構安いサイトも見つけた。が、デザインがダサいんじゃないかという印象がぬぐえなかった。

 その時、コールマンの「コンパクトツーリングテントST」を見た。おお、結構かっこいいじゃないか。前室(テントの入口を出たところのタープが地面の上に張りだした部分のこと)も広そうだし。耐水圧も変わらない。あ、でも13000円弱で3.5キロもあるな。
 コンパクトツーリングテントSTの「ST」とはスタンダードのことだった。ではいいのもあるということだ。そのいいやつ、「コンパクトツーリングテントDX」は何が違うのか。ポールが違うのだった。今までのものは全部ポールがグラスファイバーだったのだが、こいつのポールはアルミ合金(ジュラルミン)で軽くて、強いということだ。それで重さが2.9キロに減量している。いいテントは決まってポールがアルミ合金なのだ。安物はグラスファイバー。いいのがいいに決まってるじゃないか。でも、どこを見てもだいたい20000円前後はしていた。うーん、そこまでは出せないな。アウトドア人じゃないし、旅人だけど、旅に3キロもあるテントなんか持っていかないし。
 やっぱり、ロゴスのツーリングドームDXにするかなと思ってたら、コンパクトツーリングテントDXの安いサイトが見つかった。15000円は安いぞ(ずっとあるかどうかは知りませんが)。
 って訳で結局これを買いました。コールマンはロゴをみても分かる通り、もともとランプのメーカーらしく、テントは筋金入りのアウトドア人にはそんなに評判がいいわけでもないし、アメリカのコールマンのサイトにはこのテントは載っていないから、日本のコールマンの企画商品かもしれないけど(ガイジンさん向けのテントは多分ばかでかいのでしょう)、まあとりあえず判断は使ってからしてみます。

草々


前略、

日本国内で日本人の両親から生まれて日本語でこれを読んでいるほとんどの人は当然のように日本国籍(だけ)を持っています。しかし、国籍というのは実際にはどのようにして決定されるのでしょうか。

まずは生まれてきた赤ちゃんの国籍の決め方です。
これには大きく分けて「生地主義」と「血統主義」の二つの考え方があります。
「生地主義」はその国で産まれた赤ちゃんにはその国の国籍を与えるという考え方で、イギリス連邦や南北アメリカ大陸の国々がこれを採用しています。
対する「血統主義」は赤ちゃんが父親、または両親の国籍を受け継ぐという考え方で、両親の国籍を受け継ぐ方式が多数です(日本はこれを採用しています)が、イスラム系の国などがまだ父親のみの国籍を受け継ぐという方式を採っています(といっても日本もついこの間まではこの方式だったのですが)。
国籍の与えられ方に大きく分けてこの二つの方式があるということは、両親の国籍と生まれた国によっては赤ちゃんの国籍が複数になったり、全くなくなったりする可能性があるということを意味しています。
血統主義の国の国籍を持つ両親が生地主義の国で赤ちゃんを産むと両親の国と生まれた国の二重国籍を持つし、血統主義の国の国籍を持つ国際結婚の両親から産まれた赤ちゃんも父親と母親の国の二重国籍になります。
反対に、生地主義の国の国籍を持つ両親が血統主義の国で赤ちゃんを産むと無国籍になる可能性もあるということです(たいがいの文明国ならそのあたりのことには例外規定があると思いますが)。
これだけでなく、血統主義の国の国籍を持つ国際結婚の両親が生地主義の国で子供を産むと三重国籍を持つ赤ちゃんができあがります。

ただし、すべての多重国籍者がいつまでもその国籍を保持し続けられるというわけではなく、国によってはそれを認めないところもあり、日本はそれに当てはまります。
日本の法律では、日本国籍を含む多重国籍者は22才まではそれらの国籍を保持でき、それまでにどれか一つの国籍を選択することになっています。20才以降に多重国籍になった者はそれ以後の2年以内に選択します。
20才以降に多重国籍になる場合というのはどんな場合かというと、だいたいの場合、国際結婚か帰化ということになります。
国際結婚の場合、相手国の法律によってはもれなく自動的に無理矢理にでも国籍が付いてくるという場合もあり、帰化の場合には元の国籍を離脱しなければ多重国籍になりますし、これまた法律によってもとの国籍から離脱できないという場合もあります。

日本では結婚すると親の戸籍から出て自分たち夫婦の新しい戸籍が作られるわけですが、日本国籍を持つ人の国際結婚の場合には全く同じようにはことは運びません。
国際結婚すると結婚した日本国籍者のための新しい戸籍が作られるのは変わりませんが、日本の戸籍には日本国籍をもつものしかは入れないので、ここに外国籍の配偶者は日本に帰化しない限りはいることができません。その戸籍の配偶者の欄は空で別の場所に外国籍の者と結婚した旨が記されているだけということです。
そして、特に届けることがなければ姓も変わることはありません。配偶者の姓を(日本で法的に)名乗りたい場合は結婚してから六ヶ月以内に申請すれば配偶者の姓に変更できます。配偶者が中国か韓国籍の場合は同じ漢字の姓(但し、日本の漢字と違う場合は日本の漢字に改める)に、それ以外の場合はカタカナの姓になります。
この時点ではスミスさんと結婚してこの姓を名乗ると届けた人がパスポートを取ると、その中の名前のローマ字表記は本名であるカタカナのスミスをそのまま直した「SUMISU」になってしまいます。これを「SMITH」と表記するためにはさらに届けが必要です。

その後に赤ちゃんが産まれたとします。国籍についてはこれまでに書いたとおりですが、赤ちゃんの姓についてはまた別のお話となります。
配偶者が帰化している場合は法的には日本人同士ですから我々と変わることはありません。届けを出して夫婦同姓になっている家族の場合は当然、赤ちゃんもその姓で日本国籍者の戸籍に子供として入ります。夫婦別姓の場合はなにもしなければ日本国籍者の姓で同じ戸籍に入り、届けを出せば外国籍の配偶者の姓を付けられますが、戸籍は日本国籍者の親とは姓が違うということでその子供だけのものが新たに作られます。
但し、これらの話は日本の法律に置いてということであり、多重国籍を保持している限りは他の国の法律に基づいた姓名が別にあるということになります。

帰化については、日本国籍者の配偶者であるとか、日本で生まれたとか、日本にかなり長期間住んでるとか、日系人だとか、相撲の親方になるとか、オリンピックやワールドカップで活躍しそう(しかも、本国のほうはレベルが高いので補欠)だとかの正当な、あるいは怪しい理由がなければ非常に難しいということです。

赤ちゃんが二十二才になるときがやってくると、国籍選択をしなければなりません。
日本の国籍なんかいらないという場合には話は簡単です。国籍の選択をしなかったり、国籍離脱届けを出したり、他の多重国籍を認めない国の国籍を先に選択し(その国がその旨日本政府に伝えてき)た場合には日本国籍はなくなります。
また、他の国の国籍なんかいらないという場合も簡単です。日本の国籍を選択し、他の国のは離脱すればいいのです。

この他にもまだ第三の選択の方法があるようです。
とりあえず、日本の国籍を選択します。すると、日本政府はその「元」多重国籍者が日本国籍を選択したことを他の国籍の国に伝えます。その相手国が多重国籍を認めない法律を持っている場合、その国籍は自動的に剥奪される可能性があります(日本の場合はそうらしい)が、相手国が多重国籍を認めているまともな国の場合は、自国民である本人からの届けもないのに他の国の政府のお知らせだけで国籍を剥奪するようなことはしないのです。
つまり、とりあえず、日本政府には日本国籍を選択するといって押さえておけば、(その国の法律にもよるが)他の国の国籍はほっておけば、事実上、多重国籍のままでいられる可能性があるということです。
オリンピックに出るために外国籍の日系人が日本に帰化したなんていうことがありましたが、その人たちは明らかにもとの国籍を保持していて二重国籍になっているはずです。

外国に行くときに複数のパスポートの中から一番有利なものを選んで使うなんてスパイか暗殺者みたいで怪しくてかっこいいじゃないですか。
資格、免許マニアという使いもしないのにたくさんの資格、免許をもつ人たちがいるのですから、広い世の中にはたくさんの国籍を持つ国籍マニアがいるかもしれませんね(世界最多国籍のひとは誰でいくつの国籍なのでしょう。ギネスに載ってるのかな)。

草々


 一年ほど自分のサイトを消し去って、某団体のサイトに専念していたのだけれど、ひさびさに復活させようかという気になった。
 きっかけは作っている某サイトにリンクをしてくれた「ワノヲト ウェブサイト」。彼女が作った美しいサイトで刺激になった。以前から気にかかっていたワードプレスで構築しているということもある。
 自分のコンピューターでワードプレスを動かせればサイトがどんなふうに見えるか確認するのが楽なので、自分のマックにPHP5とMySQL(とphpMyAdmin)をインストールした(ちょっとうまくいかなかったがそれは省略)。[参考にしたサイト:MacOSXでサーバー稼業など]
 ワードプレスはインストールは楽だし、記事を書いたりサイトを変更するたびにムバブルタイプのようにサイトの再構築をしなくていいのはいい。ページづくりも楽だが、細かくカスタマイズするにはphpの知識がないと難しそう。
 ある程度サイトができたところで改めてレンタルサーバーにワードプレスを入れて、以前のウェブログのバックアップをインポートした。画像やリンクのURLを書き直してとりあえず完成。このあとはぼちぼちウェブログの前から作っていた昔のウェブサイトの内容なども入れていく予定。
 某団体のサイトをブロッガーからムバブルタイプに引越した時よりは楽だった。あの時は背中が痛くなって体を動かすのも大変だったが、今回は肩が凝るくらいですんだ。
 サイトの名前を「Simplify, simplify.」に変更したので、デザインもなるべくシンプルにすることに。でも中身にはアクセスしやすくしたいのがなかなか難しいところ。


 アイポッド・タッチのカレンダーとグーグルカレンダーの同期にはずっとヌエヴァ・シンクを利用していたのだけれど、iPhone OS 3.0 が出たことで過負荷になったらしく、サービスがダウンしてしまったので、グーグル・シンクを試してみることにした。
 両方ともエクスチェンジ・サーヴァーを利用した同期なので、双方向にプッシュできる。

 グーグル・シンクの設定は「Calendar & Contacts Sync : Set Up Your iPhone or iPod Touch – Mobile Help」を参照。

 設定するとアイポッド・タッチのカレンダーにグーグル・カレンダーが表示される。
 しかし、デフォルトのカレンダーしか表示されない、複数のカレンダーを利用している場合はどうするのだろう。
 とっても分かりにくいのだが、アイポッド・タッチのウェブ・ブラウザーで
http://m.google.com/sync
にアクセスすると、そのページで表示するカレンダーを設定できる(「Calendar & Contacts Sync : Choose Which Calendars to Sync – Mobile Help」)。
 このページは日本語表示だと機能しないので英語表示に変更しなければならない。

 すると、アイポッド・タッチのカレンダーにいくらでも(OS 3.0だと25個まで)グーグル・カレンダーのカレンダーが表示できる。ヌエヴァ・シンクより軽いかもしれない(直だから当然かな)。


 いろいろあるオンライン・ストリッジ・サービス。機能の説明は面倒なので割愛。
 アイフォンやアイポッド・タッチで利用するならどれが便利なのだろう。

  Dropbox ZumoDrive SugarSync
無料で使用できる容量 2GB 1GB 2GB(+α)
使用方法 コンピューターの任意の場所に置いた「Dropbox」フォルダーをネット上の保存領域と同期する ネット上の保存領域を外部ハードディスクドライブのようにコンピューターに接続し、データを読み書きする コンピューターの任意のフォルダーをネット上の保存領域と同期する
特徴 保存、同期したデータの変更履歴が保存され、以前の状態に戻すことができる 同期は行わないので、ネット上にのみデータを保存する コンピューター上の任意のフォルダーを同期の対象にできる


 シュガーシンクは後発なので、ドロップボックスの「Dropbox」フォルダーしか同期できないという弱点を突いて、コンピューターのどのフォルダーでも同期可能にしてきた。
 これでアプリケーションソフトによっては保存場所が決まっているデータでも同期が取れるようになる。メールソフトのメールデータとか、アイチューンズやアイフォトのデータとか。うまくやればブックマークとか複数のコンピューターで環境を合わせることができそう。
 ただ無料版のシュガーシンクはスピード制限がかけられているのでかなりとろい。

 ズーモードライブ(って読むのかな)は同期方式ではない。同期の場合はネット上に保存する容量と同じだけの領域がローカルのコンピューターに必要だが、ズーモードライブはネット上の領域を外部ドライブとしてデータを保存するので、コンピューターにはデータを残しておく必要がない(のでバックアップにはならない)。その分、ネット上のデータを読み書きすることが多くなるが、キャッシュを利用してスピードアップを図っている。

(追記)シュガーシンクはなんやかんやで無料でも2GBより大きな容量を利用できる。アイフォン/アイポッド・タッチの専用アプリで機能を試したり、紹介リンクからサインアップすれば、ボーナスの容量(250MB〜10GB)が使えるようになる。紹介したほうもされたほうもボーナススペースがもらえる(紹介でサインアップした人の登録メールアドレスが紹介した人に見えてしまうので注意が必要)。

 アイフォンやアイポッド・タッチからは、保存されたデータを閲覧するだけだが、限られた本体の保存領域を使用せずに、ギガバイトサイズのデータに、アイチューンズとシンクすることなくアクセスできるのは便利。

  Dropbox ZumoDrive SugarSync
iPhone/iPod touchからのアクセス方法 Web App Web App
画像
(ウェブアプリなので機能は限られている)

(スライドショウあり)

(ウェブアプリなので機能は限られている)

(スライドショウなし)
音声(mp3)
(再生位置の調整スライダーが出ない)

(同左)

(同左)
音声(m4a)
(再生位置の調整スライダーが出ない)
×
(スライダーが出ない)
音声(m4b) × × ×
動画(m4v) × ×
動画(mp4) × × ×
動画(flv) ×
テキスト(txt) △(閲覧可、文字の選択コピーがちゃんとできない)
pdf △(閲覧可、文字化けする場合あり、文字の選択コピーができない)
ワード書類(doc) ◎(閲覧可、文字の選択コピー可)
HTML ◎(閲覧可、文字の選択コピー可)

 それぞれのメディアの扱いは、それぞれのサービスやアイフォンOSのバージョンアップで変わるかも。
 画像の扱いはアプリケーション形式のもののほうがウェブアプリのものよりよい。アイフォトなどのコンピューターの画像閲覧ソフトの画像フォルダーを同期すれば、アイチューンズとシンクしなくても画像が閲覧できる。
 ビットレートの高い動画は再生できるまでに時間がかかる。エロをアイポッド・タッチ本体に保存して危険を冒すのではなく、ネット経由にしようと思ったのだが、思いの外、ネット経由のストリーミング再生は重い。
 今のところ、ドロップボックスのウェブアプリのメディアの対応が一番よい。うちにはUSB接続ラジオのレイディオシャークがあるので、このラジオの録音フォーマットであるAAC(m4a、m4b)の音声が扱えると、コンピューターでタイマー録音したラジオの音声をすぐさまネットにアップしてためておいて、アイポッド・タッチで聴くというラジオサーバー的な使い方ができて便利。
 それぞれさらに巨大なスペースが利用できる有料サービスがある。より巨大なスペースがあればアイチューンズのライブラリーをまるごと同期するなんていうお大尽な使い方も可能。




以前からdlvr.it経由でフィードをツイッターに投稿していたのだが、最近よくあるdlvr.itの改悪でツイートの最後につける定型のフッター文字列が20字に制限されてしまった。
前はここに共通タイトルとURLをつけていたのだが、20文字ではとても入らない。
しばらくタイトルだけにしていたのだが、ふとすごく短いURL短縮ができれば20字でもはいるかもと思った。
しかし、URL短縮サービスはたくさんあるものの、儲からないらしく、すでになくなったものが多い。グーグルのでさえ終了が予告されている。
そんななか使えそうなのが、

https://u.nu/

URLが短い上に、https://u.nu/のあとに続くキーワードが自分で選べる。
現時点で2文字はほとんど残っていないようだが、3文字ならまだ残っていた。
例えば、
https://u.nu/usb
で16文字。
httpsじゃなくて、httpでもリダイレクトされるから、さらに1文字減らせて15文字。
20文字以内になりました。
問題はいつサービスが終わってもおかしくないところ。
文字数制限のあるときだけ使う感じかな。

[追記]ツイッターは http:// をつけなくてもURLと認識してリンクにしてくれるようです。つまり
u.nu/usb
8文字でリンクがはれる。こりゃ便利。
あ、本文ならURLの文字数をカウントしないのは知ってますよ。
dlvr.it経由なんかの場合ね。


前略、

世界の文字 その1」では地中海の東、フェニキアで使われていたフェニキア文字が、ヨーロッパのラテン文字とキリル文字、中東のアラビア文字とヘブライ文字の母体になったということを書きました。
しかしフェニキア文字はこれら西方の文字の母体になっただけではありませんでした。

ダリウス一世率いるペルシャ軍がインドを征服したのち、紀元前3世紀になってインドにブラーフミ文字が現れました。当時ペルシャとギリシアではフェニキア文字の系列であるアラム文字が使われており、ブラーフミ文字はこのアラム文字から変化したものと考えられています(書く方向はブラーフミ文字で左から右への横書きに変化しました)。
そしてこのブラーフミ文字はヒンディー語を書き表すのに使うデーヴァナーガリ文字のほか、ほぼすべてのインドの文字の母体となったほか、周辺のベンガル文字(バングラデシュ)、ネパール文字、チベット文字にもなりました。
ブラーフミ文字はさらに東に伝わり、東南アジアのビルマ文字、タイ文字、ラオス文字、クメール文字(カンボジア)へと変化しました。
またアラム文字からソグド文字、ウイグル文字を経て縦書きになったモンゴル文字は、ソ連の影響下で一時キリル文字表記になっていましたが、現在は復活しています(中国の内蒙古自治区でも使われている)。

こうしてみると世界で使われている文字のなかで中国とその漢字文化圏である日本以外はほとんどがフェニキア文字を母体とするアルファベットを使っているということになります(ある程度の数の使用者がいる例外は朝鮮半島で15世紀につくられた文字であるハングルぐらいでしょう)。

草々




 福井県美浜町。
 マラソンスタート地点は原子力発電所の近く。コース途中の地名の通りなかなか美しいビーチに隣接した使っていない駐車場で一泊。


 メールは無料サービスのところで十分ではないだろうか。いや、十分というよりむしろ無料のところのほうがいいのではないかと思う。
 インターネット接続会社の提供するメールアドレス(やウェブサイト制作スペース)を利用してしまったら、その会社に一生忠誠の誓いを立てているなら構わないが、接続会社を変えるたびにメールアドレス(やウェブサイトのURL)が変わってしまう(変えずにすむオプションも有料ならあるようだが)。
 あれはマルチ商法の人たちが街角でカモ集めのために安売りする卵やティシューなどと同じで、利用すると逃げにくくなってしまうあくどい手だてなのだ。
 無料のメールアドレスでは登録できないサービスもあるから、そういうところは接続会社のくれるメールアドレスを使えばいいが、それは自分用のメールアドレスで、他人に教えるメールアドレスは無料のメールアドレスでいい。いくら接続会社を変えても全く問題がない。無料アドレスはかっこわるい? ぼくには接続会社の提供するサブドメインの付いた@以下がやたら長いメールアドレスがかっこいいとも思えない。
 ぼくは接続会社をかなりコロコロ変えるし、旅の間やネット断ちしている間、どこの接続会社とも契約していない時期があったりもするほうだが、インターネットを始めたころから無料サービスのメールアドレスを使っているので困ったことはない。
 とはいえ、最初のころからずっとおなじメールアドレスを使っているというわけでもない。
 十年くらい前、初めてインターネットに触れて取ったメールアドレスは、アメリカのジオシティーズのものだった。まだ、ジオシティーズが日本に上陸する前。初めてのウェブサイトもそこで作った。
 しばらくして米ジオシティーズは米ヤフーに買収され、ヤフーにも登録することになって、ヤフーメールが付いてきた。ヤフーメールはとても便利でそちらに移行していった。ヤフージャパンのヤフーメールはまだ始まっていないか、ベータ版のころでとても不安定だった。
 米ヤフーメールはけっこう使っていたと思うが、ある日、popアクセス(コンピューターのメールソフトで送受信するサービス)が有料になるというお知らせが来てしまう。
 前後関係があいまいだが、このころアップルが現在、.Macと呼ばれているインターネットサービスを始めた。無料でmac.comのメールアドレスなどのネットサービスを提供するものだった。マックユーザーなのでさっそく飛びついて使いはじめたものの、すぐに有料になってしまった。
 このころにはヤフージャパンのメールサービスも正式版になっていたので、そちらに移行。たしか米ジオシティーズのほうも、ftpソフト利用のアップロードが有料化になって、ウェブサイトもヤフージャパン傘下の日本のジオシティーズに引越した。
 ヤフージャパン時代もけっこう長かったのだが、大量のスパムメールが来るようになり、しかもスパムフィルターに引っかかってまぎれてしまう必要なメールの処理が面倒になって、現在はグーグルのジーメールを利用中。ウェブサイトは有料のレンタルサーバーになった。
 先日、ジーメールがimapに対応したというニュースがあったのだが、自分には関係ない機能強化だなと思っていたら、imapを使うとメールソフトに入っているメールをジーメールにアップロードできるというではないか。
 ジーメールは大量の容量があるので受け取ったメールを削除する必要がなく、自分のマシンにダウンロードして受け取ったメールを間違って消してしまっても、ジーメールにはバックアップが常に残っているという便利さがあった。
 しかし、当然のことながらジーメールを使いはじめてからのメールしか残ってはいない。これまでも自分のマシンのメールソフトに入っているメールをジーメールにアップロードする方法はあったが、日付がアップロードした日付になってしまうなど使い勝手が悪かった。
 でもジーメールのimap対応で、これまで受け取ったメールソフトに入っているすべてのメールをジーメールにアップロードしてバックアップすることができるようになったのだ。
 さっそくメールソフトに入っているこの十年近くのあいだのメールを全部ジーメールにアップした。
「You are currently using 156 MB (3%) of your 5133 MB.」
 あれ、3パーセント? 十年分のメールがジーメール容量の3パーセントにしかならないの?
 ちょっと悲しい…。でもこのペースだとあと330年は使えるな。

 追伸(24日)、ああ、忘れてた。メールを送信する時に自分のアドレスをBccで付け加えるように設定しておくと、送信メールもジーメールにバックアップできる。自分宛のメールはジーメールのpopアクセスでは自分のマシンには戻ってこない(メールソフトで受け取れない)。


前略、

iPodは第4世代になってメインメニューに「曲をシャッフル」というメニューが加えられた。iPodソフトウェアのヴァージョン3の機能なのだが、ぼくの持っている第3世代iPodには対応していない(そのうちに対応するのだろうか)。
実際にこのメニューがどんな機能を持っているのか詳細は知らないのだが、第3世代iPodでもiTunesのスマート・プレイリストで似たようなことができるだろうと思ってやってみた。

(以下、ぼくのマックはOSもアプリも英語環境にして使用しているので英語表示ですが、もちろん日本語環境でも同様に使用できます)


最初にシャッフルしたい曲のリストを指定して(スマート・プレイリストの項目で別のスマート・プレイリストも指定できる)

「Last Played is not in the last 4 weeks」などと最近かかった曲を除外して

「Match all of the following conditions:」で、これらのすべての条件に一致する曲を選んで

「Live updating」ライヴ・アップデイトをかけ

「Limit to 5 hours selected by random」曲数、時間などを設定して、もちろんランダムに選ぶ。

こうすれば、指定した曲が指定した数だけランダムに並んだプレイリストができあがります。
iTunesでこれを再生すると、最近かかった曲を除外していて、ライヴ・アップデイトがかかっているので、再生が終わった曲はその瞬間にリストから消えて、新しい曲が追加されます。

このスマート・プレイリストをiPodとシンクすれば、iPodの設定をシャッフルにしていなくても自分の好きなプレイリストをランダムにかけることができます。

ただし、iPodのなかではスマート・プレイリストのライヴ・アップデイトはiTunesと同じようには機能しません。
iTunesのようにプレイリストの再生中に曲が更新されるのではなく、再生中でもよいのでMENUボタンを押して、いったんそのプレイリストから出る(メニューなどに戻る)とリストが更新されます(再びプレイリストに戻るとすでに再生された曲がなくなっているのが確認できます)。
ただし、プレイリストの条件によってはリストから出てもリストが更新されない場合があります。この場合は次にiTunesとシンクしたときにリストが更新されます(どんな条件の時にこうなるのか研究中なのですが、まだ解明されていません)。

この機能の応用で時間を指定してリストを作る機能を利用して、たとえば「30分ミックス」とか「60分ミックス」などの「時間指定ミックス」を何種類かつくっておけば、プレイリストの曲が終わったところで指定した時間がたったことが分かるので便利でしょう。もちろんリピートの設定ははずしておく必要があります。
ただし、この機能はiTunesでは使えません。ライヴ・アップデイトがかかっていると、つぎつぎと新しい曲が追加されるので再生に終わりはなく、ライヴ・アップデイトがかかっていないとプレイリストはずっと同じままなので役にたちません(「スマート・プレイリストを編集」すると更新されますが)。

草々

[追記]ぼくは音楽ファイルのタグの「grouping」の欄に音楽の国籍やら性別やら特徴を書き込んでスマート・プレイリストの選別に利用していたのですが、この「grouping」を使ったプレイリストが、上記のiTunesにシンクするまで更新されないリストに当てはまるようです。今しばらくいろいろ試して検証してみます。