6月8日(木)曇り
順風に乗って進み、宮城県に入る。
阿武隈川の土手にトイレと水道があり、土手の外側にテントを張る。
この日、自転車のスピードメーターが一時動いていなかった。数キロ分カウントしていなかった。どこかが故障してしまったようだ。どうしよう。少し落ち込む。
天気予報は明日一日中雨だといっている。
(87.97km/5h12m・計717.7km)
アイポッド・タッチのメモのフォントは、英数字が Marker Felt という手書き風太字になっている。メモというユーザーインターフェイスに合わせてそうなっているのだが、日本語はふつうのゴシック体になってしまうので親和性がなく読みにくい。この英数字のフォントは変更できないのだろうか。
探してみると、Marker Felt フォントを削除してしまうという強引な方法もあった(するとフォントが Arial になるらしい。試してません)のだが、もうちょっと穏当な方法は…。
THE ROAD AHEAD v.3.0 » [iPhone]Notesのフォントを変更
iPhoneのMobileNotes改造 – べるべる研究日誌
ヘックスエディターが必要ですが、できました。
またプロ用バッジマシンがほしくなってきた。
第一次ブームはバンダイのおもちゃカンバッジメーカーでお茶を濁したのだが。
アメリカ製。
300ドルほどあれば買えそうだ。買うなら円高の今のうちのほうがいいのだが。
う〜む、迷うなあ。
前略、
愛機パワーマックG4キューブが何ヵ月も前から調子が悪くなっていた。
ある日、突然起動しなくなり、本体から「カーン、カーン」「カカカカカカッ」という異音がしだした。もうこれは逝ってしまったと思ったのだが、あることをすると一時的に治るということが判明した。
叩くのである。
コンピューターでも叩くと治るのだというのは、ちょっとした発見だった。治った後にノートンなどのディスク・ユーティリティをかけると、案の定、たくさん異常が見つかったがだましだまし使っていた。
音からしてハードディスクの異常だというのはほぼ間違いないだろうと分かっていたが、叩けば治るというのと、このハードディスクは1年ほど前に純正の20GBから入れ替えたばかりの80GBのものだったので、さらにお金をかけて直す気持ちになかなかなれなかった。
ある日、何もしないのに突然治るのではないかとも考えていた。実際、ゴールデン・ウィークに実家に帰っている間、さわらずにいて帰ってきたらしばらく異常が起こらないので治ってしまったのかと思ったこともあった(ファンレスのキューブに7200回転のハードディスクだと熱の問題とかがあるのだろうか。実際のところかなり熱いのだが)。
最近、OSをタイガーに変えたのみたものの、やはり調子はよくなかった。というか、調子はどんどん悪くなり、キューブを叩く頻度は高くなり、叩くだけでは治らないことも多くなり、蹴り始めた(「自分のいうことを全然聞かないもので、つい手が出てしまいました…」)。
もう臨終の日は近いと観念してそろそろiBookかPowerbookでも買おうかと思っていたのだが、先日のインテルプロセッサーへの移行の発表があって、もうインテル版マックが出るまでキューブでがんばることにした。
なにか手を打たなければならないのだが、ハードディスクを80GBに換えたので、現状ではバックアップをとる方法もないのだ。純正の20GBのディスクを入れ替えたときはiPodでバックアップを取ったのだが、もうそんなこともできない。
まず考えたのは、外付けのハードディスクを買いバックアップをとって、今のハードディスクを初期化すればひょっとしたら治るのではないかということ。これで治らなければ、新しい内蔵ディスクを買って入れ替えなければならない。
正直言って、もう丸4年使っているキューブにあまりお金はかけたくない。さらにいろいろと考えた結果、もっと安上がりな方法があることが分かった。
新しい内蔵ハードディスクを買った。今入っている同じ容量のディスクだと悔しいので、「これはたった1年で故障したハードディスクを入れ替えているのではない、ハードディスクをアップグレードしているのだ」と思えるように120GBのハードディスクにした(キューブは132GB以上のハードディスクは認識しないらしい)。新しく買うものはこれだけでいい。
いきなりハードディスクを入れ替える。これは以前、純正のものを入れ替えたことがあるので問題なくできた(ばらすのに星形のトルクス・ドライヴァーが必要)。
OSの入ったDVD-ROM(CD-ROM)で起動して、ハードディスクにパーティションを切って、OSを新規インストール。
ここで本体をさらにばらして、DVDドライヴをはずす。本体スイッチがついている天板とDVD側の側板をとれば簡単。
DVDドライヴからコネクターをはずし、はずしたハードディスクのジャンパスイッチをスレーブに設定して、DVDドライヴが付いていたコネクターを付ける。
これで起動するとキューブはハードディスクを二つとも認識してマウントするので、死にかけのハードディスクの中身をコピーできる。
で、死にかけのハードディスクをはずして、DVDドライヴを元に戻したら、全部組み立て直して終了。1万円かからずに内蔵ハードディスクを買うだけで、拡張性の全くないキューブでもバックアップを取って、ハードディスクを入れ替えることができました。
ふぅ、これで最低、あと1年か1年半ほどはがんばってもらわないと。
草々
前略、
そろそろスカイプアウトに手を出す頃合いかなと思った。SkypeOut というのは、スカイプから普通の電話や携帯電話に電話をかける有料サービスだ。スカイプアウトの料金は1分ごとの課金で、どこからかけるかではなく、どこの国に電話をかけるかで料金が決まる。
最も安いのはアメリカやヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドなどで、1分0.017ユーロ(現在円安で1ユーロ140円くらいなので2.4円弱)。世界中のどこからでもこれらの国にスカイプで電話をかければ、1分2.4円というわけだ。
料金表には世界中の国とその料金が載っている。アルファベット順のリストの一番上はアフガニスタン(0.288ユーロ)、最後はジンバブエ(0.072ユーロ)。北朝鮮にもかけられる(0.555ユーロ)。
といっても海外に気軽に電話をかけられるほどの知り合いもいないので、問題なのは日本の料金である。日本はヨーロッパやアメリカより少し高くて1分0.019ユーロ(約2.66円)。まあ、ほぼ市内の電話料金とおなじくらいということになる(携帯電話にかける場合は0.125ユーロ、約17.5円)。
繰り返すが、世界中のどこから日本中のどこへかけても1分0.019ユーロなのだから、このサービスが実用に耐えるものなら、長距離通話をよくする人はお得である(スカイプ同士ならお得とかいう以前に全く無料なのだが)。
料金はクレジットカードなどで前払い。単位は10ユーロと25ユーロがあり、スカイプアウト・クレジットという形でアカウントにチャージされる。
とりあえず、10ユーロ分買ってみた。基本的には指示されたとおりに欄を埋めていけばいい。事前にインターネットでいろいろ調べてみたら、クレジットカードは事前にそれぞれのカード会社が行っているe-secureサービス(Visaなら「VISA認証サービス」)でパスワードを設定しておかないと使えないことがあるらしい。あと、カードの裏の署名欄のところにある番号の最後の3桁の確認コード(Verification Code)の入力欄も別にある。うーん、めんどくさいなあー。
全部入力し終わって送信すると注文が進行中となり、手続きが開始された旨が書かれたメールが送られてくる。メールにはクレジットカードの処理は普通1時間以内で済むが24時間までかかることもあるとあった。
かかったね。すぐにでも使おうと思っていたのに、手続き開始のメールが来たのが22日の22時で、処理終了のメールが来たのは24日の6時だよ。1日半近くかかってんじゃない。お願いしますよ。
で、かけてみました。初スカイプアウトは最高とはいえませんね。
音声は思ったよりクリアでよく聞こえるし、相手もよく聞こえるといっていたけど、ときどきとぎれとぎれになり、なによりもまずいのはかなり声が遅れていたこと。ふた昔前の国際電話みたいだった。まだ一度かけただけだから即断はできないし、10ユーロ分(国内だけなら約9時間分。まだ3分しか話してないぞ)買ってしまったので、なんとか使いたいのである(180日間使わないとスカイプアウト・クレジットは消滅してしまう)。がんばれスカイプ。
草々
川原の道は車両通行止めになっていて静かな場所だったが、時々目が覚めた。中洲を走っているのか、アホの子のバイクの音、鳥の鳴き声、よく分からない音。目が覚めてそろそろ明け方かなと思って時計を見たらまだ午前一時だった。もう一度寝て、今度は四時ごろに目が覚め、すでに明るくなってきていたので起きる。
五時過ぎに朝食。持ってきたテントは前室が大きく取られているのでそこで調理ができて便利(重すぎるけど)。六時過ぎには撤収を開始して、出発。
基本は相模川沿いに下っていくのだが、相模川は川沿いを自転車で進むようなことは全く考えられていなかった。地形的に川沿いに道がとれないのはしかたがないが、たまに川沿いに道があっても舗装はないし、行き当たりばったりで途切れているし、「ラオスの山道かっ!」というようなでこぼこの泥道も多かった。たまに整備されていてもほんの短い区間だった。多摩川の神奈川県側を見てもわかるが、県の財政が厳しくてそこまで手をかけられないのだろう。
苦労してなんとか海まで到達。茅ケ崎の海岸には川とは打って変わって気持ちのよい自転車道があり、波のない海のサーファーなどをながめながら進む。
最初はこの辺りの海岸で二泊目をしようと考えていたのだが、まだ午前中だったので、いえに帰ることにする。
海岸沿いの自転車道は地下道で引地川の自転車道に続いている。そのあとさらに東にある境川まで車道を走ればこちらにも国道一号線を過ぎた辺りから右岸に自転車道が付いていて北上できる。
すぐに異様な高層ビルが現れて目を引く。某共和国の首領様が好みそうなデザイン。この手のデザインの建物は十中八九新興宗教の施設と見て間違いなかろうと思っていたのですが、違いました。地方出身なので全く知りませんでしたが、そこは横浜ドリームランドの跡地らしく、くだんの怪しい塔はホテルエンパイアという宿泊施設だったそうです(現在、大学に改装中!)。
軽い雨が降ってくる。ただ前に進むことだけを考えて黙々と進む。町田を過ぎ、桜美林学園の近くまできたところで自転車道を離れ、尾根緑道(戦車道路)に向う。こちらも自転車歩行者専用道になっている。尾根というくらいなので高台になっていて上り下りがあってぐったりと疲れた体にはつらかったが、がんばって進み、京王多摩境駅があるところで尾根を下り、京王相模原線沿いに走ると多摩センター辺りで乞田川に合流する。乞田川を下るとついに多摩川に合流し、ゴール。素人に一日百キロ超はつらかった。出発時から体重1.0キロ減。[本日の走行距離:117.02km]
草々
前略、
で、ハンディGPSでなにができるのかというと…。
とりあえず、外に出てスイッチを入れると、地球ぐるぐる廻っている衛星の電波を受信して現在地を特定してくれる。
歩き出せば、移動速度、距離、時間、方向、高度、坂道の度合いなんかが分かる。ハンディGPSでももうちょっと大きくて高いものだと、カラー液晶で地図が表示できるものもあって、これだと手のひらサイズのカーナビといっていいものなのだが、ぼくの買ったものはコンパクトなものなので地図は出ない。地図の出るやつはでかすぎるし、ばか高くて、地図のアップロードとかが面倒そうなのだ。
地図が出ないので、カーナビのように自分がどこにいるのか把握したり、目的地への経路探索などはできないが、あらかじめパソコンの地図ソフトなどで行きたい場所(ウェイポイント)を登録して、そのデータをハンディGPSにアップすれば、自分のいる場所から目的地への方向と距離を示してくれる。
最終目的地を登録しただけだと、道があろうとなかろうと、間に川があろうと海があろうと、常に最終目的地を示すだけで、道順などは全く考慮されない。
こういう場合は、目的地までの道順に沿って複数のウェイポイントを登録して、そのウェイポイントを順番に登録した道順(ルート)を作れば、順番にルートに沿った目的地の方向を示してくれる。
この場合、現在地、方角、ウェイポイントとそれらを直線で結んだルートは白地図で表示され、それぞれの位置関係は把握できる。
そして、ハンディGPSの新しいおもちゃたるゆえんがトラック記録機能だ。
ハンディGPSを持って動き回ると、動いた軌跡(トラック)がデータとして保存され、パソコンにデータをダウンロードすればその軌跡が地図上に表示できる。
例えば、
多摩川沿いに玉川上水の分岐点まで自転車で行って戻ってきたもの。
荒川の堀切あたりから多摩方面へ自転車で。
東京から神戸までの深夜バスに乗ったときのもの。
このバスには何度も乗っているが、長野の方まで寄り道しているとは知らなかった。
というふうに表示できる。
例えば、この軌跡表示機能を使って、ナスカの地上絵のように絵を描いている人たちもいる(bs@gps、GPS Drawing)。
正直なところ、この軌跡表示機能は道に迷って迷走すればするほど、後でその軌跡を見るのが楽しいので、本来のナビゲーション機能とは相反してしまうところがちょっと困ったところ。
どうです。新しいおもちゃだと思いませんか?
草々
6月17日(土)曇り
北海道に渡る前に、スーパーマーケットでお米屋さんの場所を教えてもらい、再びお米を量り売りしてもらう。前回の500グラムは少なすぎたので今度は1キロ。お米屋さんの方も量り売りなんかをするのは久しぶりだったのだろう。10キロの袋に入ったやつをわざわざ開けて量って売ってくれた。
こちらが払った代金はたった300円なのに、そのお米屋さんは100円ちょっとで売っている即席みそ汁のパックをおまれに持たせてくれた。あまり親切にされると恐縮してしまう。ありがとうございます。
函館行きのフェリーに乗る。大人1170円プラス自転車510円。キャンプ場で一緒だったバイクの人と前日、岬であった自転車乗りのおじさんとフェリーで話す。
函館までは2時間足らず。バイクの人は大沼まで行くとのこと。
ぼくはもうあまり走る気がしないので函館のどこか泊まるろうと出発する。五稜郭に泊まれないかと少し前から考えていたのだ。途中の行き先指示看板に「五稜郭公園」と書いてあり、意を強くする。「公園」とついているところなら、普通の名所旧跡より泊まりやすそうだ。万一、泊まれなかったときのことを考えて、行く途中の広場やグラウンドの場所もおぼえておく。
五稜郭に着き、自転車で中に入れることが分かり、夜間閉まってしまうわけでもないのも分かると、泊まれそうな気がしてきた。
お堀の内側の土手、人もあまり来ず、五稜郭タワーからも見えにくい木の陰にテントを張った。
(19.33km/1h30m・計1272.1km)
前略、
18世紀の末に勘の鋭いイギリス人のインド学者、W・ジョーンズがインドのサンスクリット語(仏教がかかれた言葉。般若心経の最後に出てくる「ギャーテーギャーテーハラギャーテー」はサンスクリット語が中国を通って訛りに訛ったもの)を読んでいてふと気がつきました。この言葉はギリシャ語やラテン語、さらには他のヨーロッパ語となんか似てるじゃないかと。
これまでの人は誰もヨーロッパ人が話す言葉とインド亜大陸で仏陀の時代に話され、すでに滅びた言葉に関連性があるなどということは考えもしませんでした。しかし、研究が進むうちに古い古いサンスクリット語だけではなく現在、ヨーロッパからインド亜大陸にかけて話されているほとんどの言葉にも強い相関関連があり、同じ一つの言葉の祖先を持つ家族であろうということが分かってきたのででした。つまり、これらの言葉は書き表す文字は全く違っていても類似した文法と共通した語彙を持つ仲間だということなのです。
これらの言葉はインド・ヨーロッパ語族と呼ばれ、フィンランド、エストニア、ハンガリーを除くすべてのヨーロッパ語(一部の少数民族[バスク語など]の言葉は除く)とイランからアフガニスタン、パキスタン、中央アジアの旧ソ連の一部の国とインドで話されるほとんどの言葉が含まれます。
新大陸では今や英語とスペイン語、ポルトガル語の天下で、広大なロシアではロシア語の天下、アフリカでも植民者のヨーロッパ語が幅をきかせているので、話者の数や面積でいうとインド・ヨーロッパ語は世界のほとんどを占めていて、その言葉を話さない場所をあげる方が早いくらいです。すなわち、東及び東南アジアと南インド、中東と一部のアフリカです。
これだけの大家族になると血はつながっていてもあまり似てないものとそっくりなものの違いがはっきり出てくるので、それぞれの似た小さな家族ごとに語派という形で分かれています。
英語はドイツ語や北欧の言葉などとまとまってゲルマン語派と呼ばれています。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルのいわゆるラテンの国の言葉はルーマニアなども加えてロマンス語派といい、ロシアと東欧、バルカン半島の言葉はスラブ語派というグループに入ります。
これらのインド・ヨーロッパ語族の中にはぽつんと孤立する例外があります。それがさきほどもあげたフィンランド、エストニア、ハンガリーで、これらの国の言葉はインド・ヨーロッパ語とは関連がないアジアから伝わってきた言葉で、アジアの騎馬民族がやってきたときに残していったものだといわれています。また、スペインの少数民族の言葉バスク語は旧石器時代にまでさかのぼる言葉ではないかともいわれています。
これらの中には別々の名前が付いていても言葉自体はほとんど同じというものもあります。例えばスウェーデン語とノルウェイ語はそれぞれの国の名前が付いていますが実際には方言以上のへだたりはないらしく、インドのヒンドゥ語とパキスタンのウルドゥ語も国と宗教、文字はが違うけれども基本的には同じ言葉だそうです。
では日本語はどのグループにはいるのか。これは昔から議論されてきた問題です。
日本語と朝鮮語は文法が非常に似通っている言葉であることは知られています。これらの言葉は膠着語と呼ばれ単語に助詞(てにをは)や助動詞などがくっついて(膠着して)文章を作ることからきています。
インド・ヨーロッパ語族の言葉は屈折語と呼ばれ、単語が変化(屈折)することによって文意を表します。英語はかなり簡略化されて屈折する部分が少なくなっていますが、他の言語では名詞の語形変化で格(主格、所有格など)を表したり、複雑な語形変化をして学習者を悩ませます。
世界の中ではアルタイ語族であるトルコ語やモンゴル語などが膠着語の仲間で一時は日本語や朝鮮語もこれらの語族とされていた時期もあったようですが、現在はここからは離れ、また似た文法を持ち文化的にも距離的にも近い日本語と朝鮮語も文法以外の単語間の相関関係が非常に低いということが同じ語族とするのをためらわせています。
では日本語はどこからきたのか。当然、どこからでもなくその場所から発生したオリジナルであるという考え方もあるのですが、どこからか来たとすると、北の中国語とは文法的に全く違う(中国語は語形変化もなければ助詞などが膠着することもなく単語の順番だけで意味を表すので孤立語と呼ばれています)ので、考えられるのは南(太平洋の島など)と西で、最近、有名なのはインドのタミル語語源説です。
タミルは南インドにあり、インドの中では数少ないインド・ヨーロッパ語族でない言葉で、映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」や「ボンベイ」の作られたところとしても知られています。この説を発表した大野晋教授によるとタミル語と日本語の間には文法や単語の相関関係だけでなく言葉が渡ってきた場合に当然考えられる文化的な関係(カレーを米で食べる以外にも)も強く認められるとのことです。
草々
前略、
多摩川焚き火大会の場所探しのため、自転車でうろうろしていたらいくつかの発見があった。まず普段はあまり走らない右岸でこんなもの。
稲城市が屋外スポーツ施設を作っていた。この手のスケイト(インラインスケイト・スケイトボード)の専用の場所は東京でもそんなにたくさんはない。広くはないが、バンクやちょっと半端なハーフパイプもあって、しかも自由に使えるようだ。(訂正します登録制だそうです。市役所・緑と建設課緑と水の係へ)
バンクを試すほどの上級者じゃない場合は、土手沿いの舗装道路が車両通行禁止になっているので練習できる。
その他、グラウンドや屋外プールがあった。素晴らしい。どこかから予算を引っ張りだしてきたのだろう。場所はこの辺だったと思う。
さらに上流に進んで、バードウォッチャーには有名な大栗川との合流点あたりでこんなもの。
バードウォッチャー・ウォッチングもばかばかしくてなかなか楽しい。下の木は自然にできたようなのだが、どういうふうにこうなるのかはさっぱり分からない。ひょっとしたら増水したときにひっかかっただけかな。なかなか芸術的だ。そして…、
多摩川に鷹匠ですよ。近くの人にはおなじみなのかもしれないが、ぼくはびっくりしました。ただ、鷹匠か鷹、またはその両方がまだ修業中なのか、鷹匠が自分のところに飛んでこいと声をかけているのに、鷹は知らぬ顔をしていました。
最後にロストペットチラシと見守る野良猫でした。
草々
前略、
イラン入国。イラン西部の最初の大きな町であるタブリズに着いた。
タブリズはきれいな町だった。
ぼくはイランのことをこれまでの中東のアラブ諸国と同じくらいか、それよりおくれた途上国と勝手に思い込んでいて、トルコを出たら辛い旅になるのではないかと覚悟していたので、タブリズのきれいな町並みを見て驚いた。パリのように掃除夫が道路の脇の溝に水を勢いよく流しごみを掃除しているのをよく目にした。
1925年、混乱のイランを支配した軍人レザ・ミルザは、パフレビー朝を興して国王に収まり、レザ・シャーを名乗ってトルコをモデルにした近代化政策を取るようになった。
第二次大戦中ドイツを支援していたシャーはイギリス軍とソ連軍に攻め込まれ、王を退位させられ息子のモハメッドに王位を譲り、南アフリカに亡命した。
1953年、民族運動、反国王運動などが起こり、息子の二代目国王のレザ・シャーは国王は議会の全権を掌握した首相モサデクとの権力闘争にも破れ、イタリアに脱出せざるを得ない状態にまでなった。しかしイランの巨大な石油利権を手放したくないアメリカとCIAの支援による軍部の逆クーデタ(カウンタークー)が成功してシャーは国王に復帰する。
1962年、アメリカと強い繋がりを持ったシャーは父がやった政策をさらに押し進め「白色革命」という土地改革や婦人参政権などを含む近代化政策を開始した。国王の封建政治と民族運動の弾圧などにもかかわらず、アメリカなどの援助と豊富な石油収入でイランの経済は急成長した。イランはその頃、トルコに次ぎ近代化を押し進めていた国だったのだ。
タブリズの町をまわった後、公園でベンチに座って休んでいたら、若いイラン人が近づいてきて隣に座って話しかけてきた。彼は学生で数学を勉強してるという。彼はぼくに数学が得意かと尋ねてきて、ぼくがまあまあだと答えると、持っていたノートの連立方程式を示して解けといい出した。
ぼくが断ると、この失礼な男は今度は聞いてもいないのに自分の意見を話しだし、素晴らしい予言を高らかに披露してくれた。
「21世紀にはアメリカは滅び、イスラム世界が笑う時が来るだろう…」
彼は絶対の自信を持ってそういいきった。
彼の予言の前半部分にはなかなかするどいものがあるように思えるが、後半部分については希望的観測に過ぎるのではないかと思う。
勝手にどんどん続く話を聞いていると、アメリカが滅びるのはきりぎりすのように自滅するというのではなく、イランとアメリカが戦争をして彼らがアメリカを滅ぼすということらしい。彼は近い将来、自分がアメリカと戦うことになるだろうということに確信を持っていた(当時のぼくはそんなことはあり得ないと思っていた。イランは戦争を仕掛けるほどバカではないと。しかし最近の情勢を見ていて戦争を仕掛ける可能性があるのはイランの方ではないのだと分かった)。
彼はさらにぼくに神を信じるかと尋ねてきた。
まともに話をする気がすっかりなくなってしまったぼくが投げやりに、しかし正直に「Not at all(少しも)」と答えると、やがて彼はどこかに行ってしまった。
イスラムを賛美して、アメリカをこき下ろすスローガンはこの国ではあらゆるところで目にした。この学生の言葉を聞いたらホメイニ師も来世でさぞお喜びであろう。
白色革命の頃、宗教をないがしろにする国王の近代化政策に反対するホメイニ師は宗教指導者として頭角を現わしていた。彼はシャーとイランを乗っ取ろうとする帝国主義者の国であるアメリカを批判し、民衆を煽動した。
いきすぎた煽動がたたって、1963年に彼は当局に逮捕されトルコへ国外追放になりそこからイラクに亡命したが、彼はそこからも様々なメッセージを信奉者を通じてイランに送り続けていた。
1977年、イラクにいるホメイニ師からイランへの内政干渉が両国の協定に違反しているとして、イラクからも追放された彼はフランスへ移動した。
その頃イランの比較的順調だった経済政策は破綻し、過剰な治安体制、王家の国有財産の浪費、宗教の抑圧、社会経済の混乱などにシャーへの不満は爆発して、ストライキやデモが増え、ホメイニ師はフランスからも彼らを煽動し、やがて王制への反対運動は最高潮に達した。
シャーは政治の民主化を約束し実際に試みたりしたが、国民はすでに王の追放以外では収まらなくなっており、万策尽きたシャーはついに1979年エジプトに亡命する。
イランの利権を手放したくないアメリカはシャー抜きでも親米の新政権の樹立を目指し、再びCIAなどを通じてあらゆる工作を続けたが、宗教的に大きな力を持ちすでに神格化されていたホメイニ師が危険を冒してイランに帰ってきた段階から、アメリカの挽回のチャンスは小さくなっていった。
草々
ずっとなんか変だなとは思っていたが、改めてよく聴いてみると愛機パワーマックG4 Cubeの音声出力がモノラルになっていた。なんで。
それも、左右のチャンネルがミックスされているわけでもなく、片いっぽうのチャンネルだけから音が出ているわけでもなく、どうやら片っぽのチャンネルが両方のスピーカーからモノラルで出ているようだ。
システム環境設定のサウンドにあったはずの左右のバランス調節スライダーまでなくなっている。なんで。
USB端子を別のところに差し替えてみる。直らない。
まさかひょっとして、10才を迎えようとしているキューブにOSが(バージョンの途中で突然)対応しなくなったのか。そんな馬鹿な。
こういうもう対応策がなくなったときは、PROMクリアで、そのあとはOS入れ替えなのだが、それは本当の本当にやることがなくなったときにしたい。そしてだいたいそこまでやっても直らないことが多いのだ。
調べる。
Apple Discussions – Japan: 10.6.4にアップグレード後、純正USBスピーカーが鳴らない。
症状は違うが、このページのまんなかへんにこんな記述が。
対策:
1. システム環境設定>サウンドからもう一度設定というか選択し直す
2. アプリケーション>ユーティリティにある Audio Midi 設定 を起動し、オーディオ装置タブを選択。入出力のソースが選択されていることを確認し、プロパティの内容がおかしくなっていないかチェック。通常は 44100Hz 2ch-16bit など
3. PRAM のリセットをする
4. セーフモードで起動してみる
5. 一旦該当デバイスを外してから、起動ボリュームの修復、PRAMのリセットし、アクセス権の修復、SMC/PMU などのリセット、セーフブート、再起動などの一般的なメンテナンスを行い、その後でつなぎ直してみる
2番、ビンゴ!
Audio Midi設定なんか、このときはじめて起動したのに。
オーディオ出力のフォーマットが「1ch-16bit」になっていました。「2ch-16bit」にするとステレオに。
バルト三国にいったのは一九九三年のことだった。
エストニア、ラトヴィア、リトアニアのバルト三国が独立したのは一九九一年のことでそのときから注目はしていた。旅人は新しく独立した国や個人旅行が許されるようになった国などがあると行ってみたくなるものなのである。しかし当時バルト三国の旅の情報は少なく、英語のガイドブックにようやく少しずつ情報が載りはじめたというところだった。現地の近くまで行って何の情報も入らなければ行くのはあきらめようと思っていたのだが、ポーランドのワルシャワまで行くと少しずつ情報が入り始めた。ユース・ホステルには同じくバルト三国へ入ることを計画している女性がいたし、掲示板にも情報が張り出されていた。そしてそこのユース・ホステルに滞在中にバルトから帰ってきた旅人がきたことによりぼくはバルト三国に行くことを決めた。
リトアニアの首都ビリニュスは一番高い建物が教会の尖塔というような田舎で、ラオスのヴィエンチャンが大都会に見えるほどといえば東南アジアをよく旅する人たちには分かりやすいかもしれない。
ラトヴィアの首都リガはかなりロシアっぽい都市で、この三国ともそうだったが花屋が多かったのが印象に残っている。
エストニアの首都タリンは三国の中では一番進んでいる町だった。フィンランドが海を挟んですぐ向かいでそこのテレビやラジオを常に見て聞いていたというのも関係があるらしい。エストニア語とフィン語は同じ語族に属していて、互いに理解し合えるほど似ているらしい。それらのお手本を長年見ていただけあってか、独立後の彼らは変化も早かったようだ。独自のなかなかかっこいいファスト・フードの店がすでにありパスタやアイスクリームなどを売っていた。
タリンの旧市街はとても美しかった。小さな丘の上に立っている坂の多い旧市街はとても絵になった。もう今はかなり観光地化されてしまったと聞いているが当時はまだそれほどでもなかった。
旧市街を観光中、日本人の若い旅人にあった。彼はフィンランドから船で入ってきたということだったが、彼のこの国の情報源は日本で買った「ソ連」のガイドブック(バルト三国に関するページが数ページ含まれている)だったので安宿の情報などは全くなく、来た時は安宿をかなり探しまわったそうだが、見つからなかったので仕方なく旧ソ連系の国営ホテルだったところに大枚五十ドルも払って泊まっているとのことだった。
彼はその日のうちにフィンランドに帰るということだったので、ぼくが四十クローニ(約三百六十円)の宿に泊まっていることは内緒にしておいた。
ガイドブックのない旅にあこがれる。
たいした計画も立てずにガイドブックも持たずに旅立ち、その日の気分で適当な乗り物に乗り、気に入ったところで降りて、地元の人の話を聞きながらどんなふうに過ごすか決めて…。
でも多分次の旅をするときもいろいろ調べて計画を立ててしまうに違いない。
草々
(「野宿野郎」1号より転載)
前略、
スピードメーター(サイクルコンピューター)は前の自転車に付いていたものを持ってきた。キャットアイの古い有線式のVelo 2。前輪のスポークに磁石をひとつくっつけ、フロントフォークに磁石のセンサーを取り付けて、有線でつながっている本体に前輪の周長(1周して進む距離)を登録すると、「前輪の回転数×前輪の周長」で走行距離が分かり、時速も計算できる。こう書くと当たり前のように簡単な仕組みだが、最初に考えた人は偉いね。
ぼくが子供のころに「サイクリング車」にいろいろな装備が付くブームがあって、アナログの速度・距離計が付いたものがあったが、それらは前輪の車軸の近くにある歯車から機械的に回転を速度・距離計に伝えて計測するものだった(参考リンク1・2)。
以前使っていたメーターが新しいダホン車に取り付けられなかったら、新しいものを買おうと思っていた。まず磁石がスポークに付けられない可能性があったが、これは大丈夫だった。もうひとつは有線式はコードの長さが限られていて、普通の自転車には十分な長さなのだが、折り畳み自転車などの車輪が小さいものだと、車輪からメーター本体を取り付けるハンドルバーまでの距離が長くてコードが足らない場合があるのだ。
以前の折り畳み自転車ではなんとかぎりぎりで足りた。新しいスピードP8では展開した状態だと大丈夫そうだったのだが、折り畳むときに高さを調整できるハンドルをいっぱいに伸ばさなければならないのでコードの長さが足らなくなることが分かった。
スピードメーターには有線式の他に無線式もあって、それだとセンサーと本体のあいだのコードは必要ない。無線式は少し高いが、これならすべての問題は解決かというとそうでもないらしい。無線式ならセンサーと本体がいくら離れていてもいいかというとそうではなく、使用できる距離は有線式のコードの長さと大差ないのである。なぜかというとあまり離れていても使用可能にすると、同じメーターを使用している人と並んで走ったり、追いぬかされたりするときに混信するらしい(固有のID、チャンネルなどはないのだろう)。さらに無線式はセンサーと本体の両方に電池を入れなければならず(有線式は本体だけ)、電池寿命も短い。
結局、コードを真ん中で切って、使わなくなったヘッドフォンのコードをつないだ。ハンダ付けしたほうがよいのだろうが、ハンダゴテがもううちにないのでねじってビニールテープを巻いただけですました。今のところちゃんと機能しているのでよしとしよう。
草々
前略、
近藤勇はなんで局長なんだろう。何局の局長だ。アジア・オセアニア局か。
上っ面だけ調べてみたところ新選組には一番隊、二番隊などというものがあってこれの頭が組長というではないか。いったいどうなっているんだ。なにか深い深い理由があるのか、それとも「まったく近頃の若いもんときたら言葉が乱れて」いたということなのか。
[教えて!goo] 新撰組の「局長」という役職名について
草々