井上ひさしの「國語元年」の著者あとがきを読んだら、言葉は生きている、変化している、という文脈の中で、「とても」ということばは本来否定の意味が伴う言葉だった、と書かれている。
「とても我慢できない」という使い方は正しく、「とてもおかしい」といういいかたは誤用とされていた。
とても[副]
1. どんなにしても。とうてい。「—出来ない」「—だめだ」
2. 程度が大きいこと。たいへん。とっても。「—いい」「—きれいだ」▽「迚も」と書いた。「とてもかくても」の略で、本来は、下に必ず直接的・間接的に打消しを伴った。
大正末期、芥川龍之介はエッセイの中でたびたびこの誤用について触れている。
「とても」
「とても安い」とか「とても寒い」とか云ふ「とても」の東京の言葉になり出したのは数年以前のことである。勿論「とても」と云ふ言葉は東京にも全然なかつた訳ではない。が、従来の用法は「とてもかなはない」とか「とても纏まらない」とか云ふやうに必ず否定を伴つてゐる。
続「とても」
肯定に伴ふ「とても」は東京の言葉ではない。東京人の古来使ふのは「とても及ばない」のやうに否定に伴ふ「とても」である。近来は肯定に伴ふ「とても」も盛んに行はれるやうになつた。たとへば「とても綺麗だ」「とてもうまい」の類である。
大正時代にはすでに「とても+肯定」使われていたが、まだ違和感を持つ人が多かったらしい。百年ほど経ち、ぼくを含め、誤用(だった)ということは忘れ去られている。
同じことが現在進行形なのが「全然+肯定」だろう。
「全然大丈夫」といういいかたにはぼくでも違和感があるのだが、この誤用ももう五十年ほど前から使われているらしく、かなり定着してしまっている。ぼくより下の世代だとフツーに使うだろう。ぼくの世代がいなくなるころには誤用でなくなっているかもしれない。
なるほど、それがほぼ百年ということか。
などと思っていたら、さらにどんでん返し。
「全然+肯定」は、意味は少々違うが、かつては使われていたのが、すたれてしまったらしい。
ぜんぜん【全然】[副]
《打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って》まったく。まるっきり。「—読めない」「—だめだ」
すっかり。ことごとく。「心は—それに集中していた」▽打消しを伴わない(2)の使い方は現在文章語としてはほとんど使わない。会話などで「断然」「非常に」の意に使うこともあるが、俗な用法。「—いいね」