[旅文]シベリア横断鉄道 4(イルクーツク〜モスクワ編)

 六日目、このあたりから線路の両側には高い木がずっと並べて植えられていて車窓はとても単調だった。寝ているか、食べているか、車内の日本人や外国人とうだうだしゃべっているかだった。
 七日目、食堂車のロシア料理に最初のころは格安のキャビアなどもあったそうなのだが、そんなことは知らないままなくなってしまい、その後、メニューは同じようなものばかりになってきた。車内販売で弁当を売りに来ることもあった。
 この日、弁当の車内販売を買い逃して、それを追いかけて後ろの車両へと向かった。一等寝台の車両に入り込んでいったところ、ロシア人のおじさんに声をかけられた。たいして話も通じないのだが、そのサーシャというおじさんに食べ物をすすめられると、昼食がまだだったぼくはすすめられるまま、パンや豚肉、ショウガなどをごちそうになった。当然、ウオッカもすすめられたのだが、ビールを飲んでも気持ち悪くなるぼくはお断りした。
 そのうちサーシャさんはジーパンや服を売ってくれないかと言いだした。こちらも余裕があれば小遣い稼ぎをするところなのだが、荷物を軽くするためにたいした衣服を持っていないのでこれも断った。
 お次はチェンジマネー。これもぼくは間に合っていたのだが、同じ車両の日本人にしたいといっていたのがいたので戻って呼んできてやった。
 これも済むとサーシャおじさんはトランプをとりだして、「21」(ブラックジャック)をやろうと言いだした。ロシアのトランプはジャック、クィーン、キングの表記がJ、Q、Kではなく、B、Д、Kで、ブラックジャックの点数はそれぞれ二、三、四点と数えるらしい。エースはAではなくTという表記で十一点とだけ数えるとか(日本では一か十一点)。
 ロシア人二人、日本人三人で一回一ルーブルで勝負を始め、おじさんたちに十五ルーブルほどお小遣いをあげたところでやめた。
 そろそろオベリスクが見えるころだというのでドアのところへ見に行く。このオベリスクというのはユーラシア大陸のアジアとヨーロッパの境の目印として建っているもので、ウラル山脈の真ん中にある。実際には小さなしょぼいものだったが、とりあえずは見逃さずに済んだ。
 この後もサーシャさんたちにチーズや(ぼく以外のひとは)ウォッカをごちそうになり、お礼を言って自分の車両に戻ろうとすると、味をしめたサーシャさんはなにかものを売ってくれる人がほかにもいるんじゃないかとぼくらの車両まで付いてきた。しかし、ぼくらの車両の車掌さんに見つかって目をつけられてしまったので、何もできずすごすごと戻っていった。外国人をひとつの車両に押し込めるというのはこういう理由もあるのだろう。
 この列車では車両ごとに車掌さんが一人付いていて、各車両の端には車掌室がある。車掌さんはたのめばいつでも乗客に無料で甘いチャイ(ロシアン・ティー)を作ってくれた。
 この列車にはお湯の出る温水器はあるが、シャワーはない。北京からモスクワまでノンストップでこの列車に乗ると七日間シャワーを浴びれない。

 八日目、モスクワ、ヤロスラブリ駅到着。
 地下鉄(五カペイカ)で赤の広場近くにあるインツーリストホテルへ。
 モスクワ見物に出かける。上海雑技団を見れず、北京雑技団はたいしたことないといわれ見なかったぼくは、モスクワではサーカスを観たいと思っていたので、ホテルの隣の旅行代理店で訊いてみるとチケットは十二ドルだといわれた。これは外国人料金に違いないと直接サーカス小屋(といっても立派な建物だったが)まで行ってみると、なんと一軍は海外公演中で、二軍は次の日の夜に公演予定とのこと。次の日の夜には再び列車に乗って出発なのでサーカスは再びあきらめなければならなかった(後で聞いたら一般向けのチケットは三ルーブルからあったそうだが、その先三日分は売り切れていたそうだ)。
 その後、モスクワ大学や赤の広場、デパートなどをぶらぶら。
 この日、困ったのが、晩飯だった。人民食堂のようなものは所々にあるのだが、どこもかなり人が並んでいて、外国人旅行者が入れるようではなく、一国の首都だというのにその他には食べるところがほとんど見つからなかった。ほうぼう歩き回ったすえに見つけた道端のスタンドでハンバーグと怪しげなドリンクを買って、なんとか空腹はおさめた。ホテルに帰ると他の旅行者も同じで皆、食べ物を求めて歩き回ったようだった。

 九日目、朝食はホテルのバイキング形式で、やっとまともな食事にありつけた。
 ホテルにいた前の晩に食事に困った日本人たちが、今晩はホテルに紹介してもらってどこかちゃんとしたレストランを予約しようという話をしていて、仲間に入れてもらうことにした。
 モスクワのマクドナルドを見学に。あわよくば、食べていこうと思ったが、見学のみ。冗談ではなく千人を軽く超える人たちの列がまわりを取り囲んでいた。マクドナルドの看板のMのマークの下にはソ連の鎌と槌のマークが。店内にはマクドナルドの商品とからませた世界各地のイメージ写真があり、日本のものは石段を降りる虚無僧が片手にハンバーガー、もう片手にシェイクを持って、顔を隠すかぶり物の天蓋の下からストローですすっている写真でかなり笑えた。
 ここでも鉄道の切符を手に入れるのに手間取った。四時にホテルの旅行社に行くと、六時にもう一度来いといわれ、結局六時に行ってもまだ手に入らず、予約したレストランの時間なので皆で出発した。
 七人ほどでバスやトラムを乗り継いで、ホテルのフロントにもらった地図を頼りにレストランを探した。何度も人に訊ねて、ようやくカーテンを閉めきったまったくそれらしくない普通の建物が目的のレストランであることが分かった。予約客のみの店なのでドアも閉め切られていた。
 中はカーテンが閉めきられていてちいさなライトとロウソクが付いているだけで、落ち着いた雰囲気をかもしだそうとしていたのだが、ただ薄暗いだけだった。
 サラミやポーク、野菜、グラタンなどの前菜が並んでいた。続いて、ビーフやポークの料理、挽肉を葉っぱで包んで煮込んだ料理などがでてきた。
 あとはデザートのムースとチャイだけというところまで来たのだが、ぼくはこの後、ホテルに戻って切符を受け取って、駅まで行って列車に乗らなくてはならなかったので一人でそこを離れた。
 ホテルに戻って切符を受け取りに行くと、受付のおばさんにまだこんなところでうろうろしていたのかとせかされた。列車の時間が迫っているのでタクシーで行くことにした。外国人御用達のホテルの前からタクシーに乗るのはぼったくってくれといってるも同然なのでいやだったが、そのあたりは高級ホテルの固まっているところで少し歩いたくらいでは何も変わらないので観念してタクシーを拾った。
「五ドル!」
 思っていた通りタクシーの運転手は高飛車に出てきた。こういうときのために持っていたアメリカのタバコを見せる。
「二箱だ!」と運ちゃん。
 こちらも急いでいるので二箱で手を打つ。とばしてもらった。
 当時のソ連ではまだアメリカタバコが取引材料として使えていたので、ぼくも吸いもしないのに北京で何箱か買って持っていた。列車でロシア人にすすめてみたり、ホテルでお湯をもらったお礼に何本かあげたりしていたが、実のところそれほど人にたのむこともなかった。このまま西ヨーロッパに出てしまえばただの吸いもしないアメリカタバコになってしまうところだったので、最後になって役に立って助かった。
 タクシーにとばしてもらったので、駅には余裕で到着。フィンランドのヘルシンキ行きに乗り込んだ
 夜中、国境で起こされる。パスポートチェックは問題なかった。そして、税関がやってきた。
 今回、ぼくはこの国の中で一度列車の中で五ドルを闇両替しただけで、一度も正規の両替はしていなかった。つまりこの国にいた一週間弱のあいだ五ドル(とタバコ数箱)で過ごしていた(正確にいえば、プラス日本で支払った十数万円なのだが)。一度も正規な両替をしていない旅行者を税関はどうするのだろうとどきどきしながら待った。
 しかし、税関は何のチェックもせず出ていき、列車はフィンランドに入っていった

草々

[脚注]

  • 一等寝台
    一等寝台は二人部屋
  • サーシャ
    アレクサンドラの愛称
  • ロシアのトランプ
    インターネットで記憶のあやふやなところを確認していたら、ロシアのトランプは二から五のカードがない計三十六枚とあった。うーん、全然おぼえてない。だからJ、Q、Kが二、三、四点なのかとちょっと納得(じゃあ五点と数えるカードはないのか?)。
  • 車掌ごとに車掌さん
    中国やソ連のホテルもフロアごとに管理人(コンシェルジュ)がいるのが普通なので、こういうシステムが好きなのだろう。
  • ロシアン・ティー
    後でお金をとられたという車両もあった。
  • シャワーはない
    車掌室には小さなシャワー室があるといううわさがあり、お金を払って使わせてもらった人もいるという話を聞いた。
  • モスクワではサーカス
    ボリショイサーカスホームページ
  • モスクワのマクドナルド
    モスクワのマクドナルドはぼくが訪れたこの年に一号店が開店したということなので、まだ開店してあまり経っていなかった。
  • ヘルシンキ行きに乗り込んだ
    ヘルシンキの途中には、ロシア随一の観光地であるレニングラード(サンクト・ペテルブルク)があって、行きたいのはやまやまだったのだが一泊するごとに百ドル単位で出ていってしまうシステムのため、泣く泣く通過した。
  • 一度も正規の両替はしていなかった
    イルクーツクから乗った列車でものすごい額のルーブルの札束を持っている日本人の女性がいた。ハバロフスクからの路線で来た旅行者だったが、ロシアに入国したとき、高い公定レートのことしか知らず、結構ルーブルが必要だろうと一度に一万円を正規に両替したらしい。彼女は列車内で日本人闇両替屋となっていた(正規な両替なので出国時に再両替することもできる)。
  • フィンランドに入っていった
    ヘルシンキに着き、駅でいきなりトイレに行きたくなり、公衆トイレに行くと、料金が三フィンランド・マルカ(約百二十円)もして物価の急激な上昇にたまげた。
(「野宿野郎」4号より転載)