[パキスタン]蝿と砂漠とボロ列車(とポリタンク)

前略、

イランからパキスタンへ。
ザヘダンからミニバスで約一時間半、国境の村であるミルジャワに着く。イランの出国審査はすぐに済み、そこの出入国管理事務所の建物を出て国境沿いに張り巡らされた金網に付いたゲートを通ってパキスタンに入った。
入国審査を受ける。特に問題はなし。税関は屋外で行われており、まわりには両替人たちがたむろしていた。
この国境を境にぼくがトルコとイランの国境で起こると思っていた変化が起こった。ザヘダンからすでに埃っぽくなってはいたが、そこまで来るとまわりは岩山と砂漠だけになり、厳しい太陽が照りつける不毛な土地に、バラックの家とごみが集まってできたタフタンという集落があり、そこはそれまで見たことのないほどの恐ろしい数の蠅が飛びまわる蠅の村だった。
村には台車を押したバナナ売りがいた。古くなって熟しきり真っ黒の小さなバナナをのせた粗末な台車を押している時、車輪が石に乗り掛かって大きく跳ねた。その途端、台車の上の空気が黒く濁った。もともと黒いバナナにはびっしりと蠅がたかっていてより黒くなっており、台車が跳ねた衝撃でそれにたかっていた何百匹、何千匹もの蠅が一斉にその上空を飛びかったのだ。

そこから一番近いパキスタンの町は740キロほど離れたクエタ(クエッタ)というところである。タフタンまでのミニバスで一緒だったアフガニスタン人はバスでクエタに行くといっていた。ぼくはそこからクエタへ週2本しかない列車で行くことに決めていたので、事前にその週2本が何曜日になるのかを調べるのに勢力を注いだ。
というのも、このルートのバスはかなり乗り心地の悪い乗り物として旅人の間に知られているからなのである。ただ単に乗り心地が悪いというぐらいならいいのだが、砂漠の中を走るそのバスはバス自体のぼろさと狭さ、激しい振動と砂埃、夏ならその酷暑が加味され「地獄のバス」と呼ばれているのだ。
東からやってくる旅人に取材を繰り返したところ、タフタン発の列車はこの時月曜と木曜の出発らしいことが分かった。月曜はイランのザヘダンから出ていて、木曜はタフタンから出発するとのこと(パキスタンからの鉄道はタフタンを通りザヘダンまで続いているが、そこが終点でイランの鉄道路線とは繋がっていない)。査証の滞在期限の関係でぼくは木曜日にザヘダンを出発していた。
タフタンに着いて、そのごみの村と蠅と陽炎の向こうに新設のプラットホームと建設中の駅舎(この村にはしばらく前まではプラットホームもなかった)が見えたが、列車はなかった。列車がこの日の出発でなければ、地獄のバスに乗るしかない。ごみの村にはもちろん宿泊施設はないし、あっても泊まりたくはない。
ホームの脇の駅舎替わりに使っている古い車両に行き、尋ねてみると出発は確かにこの日だという。列車はクエタから夕方に到着して、そのまましばらくの停車の後、折り返して出発するとのことだった。
とりあえずほっとしたが、この時はまだ昼過ぎだったので、夕方までそこの砂漠のごみと蠅の村で駅舎の影に座り込んで待つしかなかった。直射日光は厳しく10月末でもかなりの暑さだった。そこには日光を遮るものさえ少なく、真夏にはどんな炎熱地獄になるのか考えるだけで恐ろしい。


クエタからの列車は遅れて、やってきたのは陽の暮れる頃だった。
列車はしばらく停車した後、夜の7時頃に出発した。寝台車が付いているのだが、その切符は取れず、ぼくが入った2等車は、座席の背もたれからはクッションがはぎ取られ、木枠だけが残っているという、ぼろぼろの車両だった。

車両は前から後ろまで、国境を走る列車でよく見られる個人国境貿易商人たちと彼らの荷物でいっぱいだった。普通、彼らの持ち込む輸入品は衣料品などということが多いのだが、そこでのものは変わっていて一抱えもある大きな水などを入れるポリタンクをそれぞれのチームが数十個ずつ持ち込んでいて、列車中の隅から隅まで合計すると数百個は詰め込まれていただろう。



列車には食堂車があり食事ができ、ウェイターがぼくらのボロ車両にも注文を取りにきてくれた。カレー、カレーピラフ、カレーシチュー、チャパティ(パン)のセットが20ルピー(約72円)だった。ついにカレー文化圏に入った。久し振りのカレーの味はとてもおいしかった。
列車は砂漠の中を走るので、夜はかなり気温が下がり寝袋が必要だった。朝起きると、ぼくは砂の中に寝ていた。窓はもちろん閉めていたが、そこらじゅうにある隙間から風と共に砂ぼこりが入り、それが車内に降り積もり、鞄も寝袋もそこから出していた頭も砂だらけになっていた。


列車の車窓から見えるのは、一晩走った後も相変わらず砂漠だった。時々窓の外に例の地獄バスが砂埃を上げながら列車を追いぬいていくのが見えた。屋根の上には山盛りの荷物と人まで載せて走っていた。砂だらけになっても、スピードが遅くても、まだ列車のほうがましなのだろう。
列車は結局丸1日掛かってクエタに到着した。
夕暮れのクエタは霧が掛かったようなヴェールで覆われていて幻想的な風景だった。しかしそれは砂漠の砂埃とたくさんの車の出す排気ガスが盆地であるこの土地に澱んでできたもので、あっという間に喉が痛くなってしまった。

草々