香港で一週間滞在し、船で上海へ、その後、北京へ。
北京でシベリア横断鉄道に乗る前の日、それまで泊まっていたバックパッカー御用達の僑園飯店から、一転、高級ホテルの前門飯店へ移動した。旅行代理店で列車に乗る前日のホテル一泊を無理矢理予約させられていたのだ。
旅行代理店でもらったバウチャーを渡してチェックインした。ホテルはバウチャーを渡せば泊まらせてもらえるが、列車はそういうわけにはいかないので、バウチャーを切符と引き換えてもらわなくてはならない。ホテルのフロントに訊ねてみたが、どうすればいいのか全く分からなかった。
ホテルを出て、別の高級ホテルである崇文門飯店の中にある中国国際旅行社まで行ってみたが、もう営業は終わったので次の日にまた来いといわれてしまった。問題は泊まっている前門飯店から北京駅までの車での送迎の予約がこれまたほしくもないのに付けられていて、この崇文門飯店が北京駅に近いところにあるということだった。このときぼくは、次の日は崇文門飯店の中国国際旅行社へ行き、切符を受け取ってそのまま北京駅に行き、送迎車なんかほっとけばいいと考えていた。
甘い、甘すぎた。中国人はそんな甘い考えはすべてお見通しで、ぼくに好きにさせてくれるはずもなかった。
翌日、シベリア横断鉄道で出発の日、ホテルで朝食を食べてチェックアウトし、荷物を持って崇文門飯店へ向かった。
中国国際旅行社でバウチャーを見せて列車の切符のことを訊ねると、いろいろと電話をかけた末に別のホテル、国際飯店の中国国際旅行社へ行けと、たらい回しされてしまった。北京駅はもう近いので、先に荷物を北京駅に預けてから国際飯店へ向かった。国際飯店に着いたときにはすでに昼時になっていて、中国国際旅行社は昼休みになっていた。
昼休みが終わったあとも窓口をたらい回しにされた後、日本語を話せる女性が出てきて、衝撃の事実を告げられた。
ぼくの列車の切符は、ぼくを前門飯店から北京駅へ送っていくことになっている車の運転手が持っているというのだ。
あほ〜! なんでそんなやつに切符を預けるのだ。素直にホテルのフロントに預けとけバカたれ! こっちはもう荷物を北京駅に預けて準備万端なのだ。また前門飯店へ戻れとでもいうのか。
再び交渉の末、七時にその運転手を今いる国際飯店に来させるということで決着した。でも、もしこれで運転手が来なかったらぼくはどうなるのだ。
恐れていたとおり、七時をすぎ、十分、二十分をすぎても運転手は現れず、ぼくはパニックにおちいったが、その直後、やっと運転手が現れた。すぐ近くの北京駅まで乗せてもらい、切符を受け取った。その時に運転手はぼくの名前ともう一人の日本人の名前を書いた紙を見せ、この日本人を知らないかとぼくに訊ねてきた。彼はその日本人も北京駅まで送り届けて切符を渡さなければならないのだが、見つからないらしい。
知るか〜! こんな駅までの送迎車を付けられたせいでこっちは大迷惑しているのだ。おまけにこんなことに金まで払ってるとか思うと、余計に腹がたつわい。
しかし、なんとか出発前に切符を持って無事、駅に着けて一安心だった。プラットフォームにはすでにソ連行き国際列車が停っていた。ロシア人の車掌に挨拶して乗り込んだ。コンパートメントは二段ベッドが二つの四人部屋。同室の中国人の周さんはソ連に招かれてモスクワまで行くとのこと。日本統治時代に日本語を習ったので少し日本語が話せた。
発車直前に外から日本語が聞こえてきた。通路に出てみると、ぼくを北京駅まで送ってくれた運転手がいて、日本人を連れていた。彼が見つからないといっていた日本人らしい。彼(K君)はホテルでいくら待っても送迎が現れずパニックになり、(多分、運転手が先に北京駅へ行ってしまったという連絡があって、)自分でタクシーを拾って飛ばしてもらい、(多分、駅で彼の切符を持った運転手に会って)なんとか間に合ったとのことだった。
これってひょっとするとぼくが送迎の運転手を国際飯店まで無理矢理来させたために起きたとばっちりだろうか。すまんと心の中だけであやまった(でも運転手に切符を預けるのが一番悪いんだからね)。
その他、高校の教師をしているという日本の女性Uさんも同じ車両だった。
ほぼ定刻に列車は北京駅を出発した。
つづく
[脚注]
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船で上海へ
香港〜上海の客船はリーズナブルな値段で、のんびりした船の旅が楽しめたのだが、もうなくなったと聞いている。
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僑園飯店
僑園飯店は現在もまだあるが、もうバックパッカーのたまり場ではなく、りっぱな高級ホテルになっているらしい。このころは大雨が降ると地下の安い部屋には雨水が流れ込んでたまってしまうようなところだった。
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車での送迎
カナダのトロントのユース・ホステルに泊まっているときに、ちょっとした話題になった日本の女性がいた。その女性はユース・ホステルの前に大きな黒塗りのリムジンで乗りつけてチェックインしたというのだ。これもトロントまでの飛行機と町までの車の送迎がセットになっていて、迎えに来たのがでかいリムジンだったということらしい。