前略、
この国では懐かしいものによく出会った。
まず日本の車をよく見かけた。ただの日本車なら世界中で見かけるのだが、ここでは 日本で走っていた中古車に出会えるのだ。なぜ日本で走っていたということが分かるかというと中古車の車体やリア・ウインドに日本語の社名や電話番号などが 「○○ふとん店」などと入ったまま走っているからである。中には車体のペイントだけではなく、フロントグラスに吸盤でつけた「交通安全/○○天満宮」など という神社のお守りをぶら下げたものや、バンパーに「Tokyo Disneyland」などのスティッカーが貼ったままになっているものもあって楽しい。
さらにそれらの中古車の真似をして車体にでたらめな日 本語風の字を書いている車まである。車体の隅に四角で囲んだ「自家用」などとなんとか読める字を真似をして書いてあるものもあった。日本語が車体に入って いるほうがかっこいいとか値打物とでも見なされているのだろうか。(参考:[ミャンマー]ミャンマーの日本車「勇者が古都にあいまみえる」 )
ペシャワルはアフガニスタンに近い町でこの時は合法的にはアフガンに入れなかったが、国境に近いハイバル峠まで行って向こうを眺めることはできた。ペシャワルからワゴン車で行く半日ツアーが出ているのでそれに乗った。
ま ずワゴン車は警察に寄ってその地域の入域許可を取り、ライフルを持った護衛役の警察官を一人同乗させる。ペシャワルとアフガニスタンの国境の間には部族地 域あって、パキスタンが独立した後も自治を勝ち取っており、この国の法律はその地域では効力がない(簡単にいうと危なくて手が出せない)。(外務省海外安全ホームページ)
部族地域のすぐ外側はアフガンから流れてくる様々な国の商品のマーケットになっており、ここでも懐かしい日本のものに出会えた。
そ こには最新の製品とはいえないものの秋葉原並みに日本製の電気製品が並んでおり、その他にも時計、カメラ、煙草、シャンプー、リンスなどの日用雑貨品、さ らには日本でも駄菓子屋でしか売ってないような安物のお菓子などが中国製品などに混ざってたくさん並んだディスカウントストアのようなところで売られてい た。
聞いたところによると、これらの商品はアフガン経由で入ってきているので関税は掛からず、関税の高いパキスタンの正規の輸入品より安いということらしい。
不 思議なのはそれらの日本製品の中に日本向けのものが多数あるということだ。いまや外国で日本製品が売られていてもなにも驚くことはないが、日本語の製品名 が印刷された段ボール箱に入った、日本語の説明書の付いた電気製品や、日本で使っていたそのままの日本製のシャンプーやリンス、雑貨品などがパキスタンの 店に普通に並んでいるのはかなりシュールで驚かされる。
シャンプーなどは「○○ストア ¥148」などと日本の小売店の名前が入った小さな値段の シールが付いたままのものまでがあるのだ。つまりはかつては日本の店頭に並んでいた商品ということらしいのだが、それがどういう流通経路をたどってアフガ ニスタンと部族地域経由でそこにたどりついたのか。こんなところにも複雑な利権構造があったりするのだろうか。謎は深まるばかりである。
ま たクエタの通りではしゃれた洋服の古着が安い値段で山のように売られていた。それらには子供服がやたら多く、ラベルをよく見ると欧米など世界各国からの舶 来製品であることが分かった。なぜこんなところに大量の外国製の古着があるのか。パキスタンの業者が欧米の古着屋から買いつけているとは考えられない。そ れらはあまりに大量の数でばらばらな国の製品であり、子供服が多すぎる。第一にここの人たちはほとんど西洋服などは着ないのである。
また漏れ聞い たところによると、それらの服はアフガンの難民のために送られてきた物資がどこかの段階で流れてきて、これらの一般の市場に出まわっているのではないかと いうことであった。欧米などからわざわざお金を掛けて送られてきたそれらの古着はクエタの地元の人々には全く人気がなく、時々外国人旅行者に買われて再び 欧米に戻ったりしている(かなりまわりくどいが役には立っている)。
ペシャワルの謎の商店街を過ぎ、ゲートをくぐって部族地域に一歩入れば、中にはライフルなどを肩にぶら下げた男たちがうろうろとしている。国の法律の通用しないこの中では銃器が製作され、普通に店で売られていて、所持にも特別の許可は必要ない。護衛が付くのはそのためだ。
国境の近くの丘の上まで行き、そこからそのふもとにある、そういわれなければ全く分からないアフガニスタンを眺めて帰った。
草々