6月2日(金)晴れ
しばらく走って九十九里浜に入る。最初のうちは自転車専用道があったが、道の続き具合の分かりにくい不親切な道で何度も道からはずれてしまった。それでも車を気にしないで走れるのはらくちん。
昼食にお寿司屋さんに入って自転車旅行中であることを話したら、板前さんが若いころ競輪の選手をめざしていたということで話が弾み、定食を大盛サービスしてくれた。
九十九里浜中ほどの人がだれもいないゴーストタウンの遊園地のような蓮沼海浜公園にトイレがあったので、そこから防風林を抜けたところの海岸でテントを張る。
(70.43km/4h50m・計314.0km)
6月1日(木)晴れ
4日目にして早くも疲れてきた。たいしてトレーニングもせずに出発したので体ができていないのだ。
鴨川を過ぎたあたりからトンネルばかりになる。しかも歩道のない狭いトンネルで恐ろしい。中は暗くて対向車が来るとそのヘッドライトに目がくらんで通りすぎた後、何も見えなくなってしまう。
海沿いの村を走りながらキャンプ地を探すが、漁港のある村ばかりでテントを張れそうなところが見つからない。ようやく勝浦市の守谷海岸で手入れの行き届いたきれいな砂浜をみつけ、テントを張る。
(69.72km/4h51m・計243.7km)
5月31日(水)晴れ
三浦海岸を過ぎ、火力発電所を過ぎ、フェリーターミナルに着く。千葉まで大人500円プラス自転車270円。折り畳み自転車を使っているので畳んで持っていけば自転車代はいらないのだが、たいした値段でもないので自転車代も払って乗った。
千葉県の金谷港に着く。24時間営業の銭湯があったので、出発以来初めての風呂に入る。ここのところ晴れが続いていて急激に日焼けしたのでぴりぴりと肌がしみる。
房総半島を海沿いに走る、昼過ぎからいいキャンプ地はないかとさがしながら走ったが、全くいいところがない。州崎をすぎて、「日本の道100選」だという房総フラワーラインに入ると平砂浦というなかなかいい海岸になったのだが、トイレも水道もない。コンビニはもちろん、店もほとんどない。常に水筒に水を十分に入れておけばいいのだが、重いのが嫌なので走行中に飲むための分以外は積んでいない。途中、温室で作業をしていた人に頼んだら「川の水でも汲めば」と断られた。千葉県人の印象大幅ダウン。さらに進むと「トイレご自由に」というガソリンスタンドがあったので、トイレのついでに水を汲ませてもらう。
水さえあればなんとかなるので、平砂浦の海岸にテントを張る。この日も風が強く、砂浜ベースの地面なのでペグの固定がゆるくてちょっと心配だったが、広々とした美しい海岸で、人もほとんどおらず、いいところだった。
(69.98km/4h46m・計174.0km)
5月30日(火)晴れ
7時起床。出発。三浦半島を南下する。このへんからの海沿いは崖になっていて道も上り下りが激しい。南端の城ケ島へ行こうと高台から三浦港へ坂を下りていったら、城ケ島へは高台の上から橋が伸びていて、また高台を登るはめに。
城ケ島から海沿いに東へ。途中で弁当を買い、島から見えていた風力発電の風車をめざす。ああいう風車のあるところはだいたい公園になっているのだ。思ったとおりで、そこで昼飯を食って休んでいるうちに、そこがなかなかいいキャンプ場であることに気がついた。きれいなトイレと水道もある。まだ、昼をすぎたばかりでほとんど進んでいなかったが、そこに腰を据えることに決定。洗濯をしたり、本を読んだり、公園に来た人と話をしたりして過ごす。
夜になり、テントを張って、眠る。昨夜のように波の音がうるさいということはないが、今日も風が強く、風車のモーターが発電する音がけっこううるさかった。
ショックな出来事が起こった。夜中に起きて、頭がかゆくてたまらないので外の水道で頭を洗ってテントに戻ったら、ライトをつけて入口を開けたままにしていたので蚊がいっぱい入っていた。蚊取線香を焚いて退治した後、金属製のクリップではさんで火を消そうとしたら、火の付いた部分が折れて飛び、テントの床に落ちてしまった。
「うぎゃーーー!」などと奇声を上げる間もなく、エイリアンの体液に溶かされていく宇宙船のように、テントに敷いた銀マットとテントの床は溶けて穴が開いてしまった。
テント内での火気使用は注意しましょう。
(27.64km/2h03m・計104.0km)
5月29日(月)晴れ
眠くて起きられなくて三度寝ほどしてやっと起きる。朝食を食べ、電気のブレーカーを落として、鍵をかけて出発。
出発して3秒。駐輪してあるモーターバイクと建物の間を通ろうとして、ハンドルのグリップに付けてあるバックミラーがバイクに接触してはずれて落っこちてしまった。
うう〜ん、これは何かのお告げか。とりあえずバックミラーをよく見て、後ろには気をつけるようにしよう。
百合ヶ丘方面から町田へ。境川自転車道路を下る。
鎌倉へ。初日からがんばりすぎてもよくないので、このへんから今晩のキャンプ地をさがしながら走る。しかし、この辺りは人が多く、柄もよくないので、先へ進み、三浦半島に入った。すぐの逗子マリーナの近くの海沿いに公園があり、いいと思ったのだが、水道とトイレがなかった。
もうちょっと進んでみることにした。今日は風がけっこう強い。しばらく行くと林と砂浜のある海岸があった。林で風も少しは防いでくれそうだ。ぼろいがトイレと水道もある。
一色海岸。ふとみると警察官が立っていた。何人もいる。なぜこんなところに。立ち番用の小屋まで建っている。何かの警備なのか。ここは三浦半島、葉山町…、ひょっとして…、葉山…の御用邸?
こんなところにテント張っても大丈夫かな。まあ、すぐ隣ってわけではないし、近くの海岸では子供が遊んでるし、問題ないでしょう。
念のため、夕方、日が暮れるころまで待ってテントを張り、晩飯を炊く。
最初の晩は波の音が気になって耳栓をしてもなかなか眠れなかった。でも、人通りも少なく、車も通らず、警察のおとがめもなく、まずまずの初日だった。
(76.37km/5h30m)
奥の左手が葉山御用邸
前略、
- ダホン スピードP8
- コールマン コンパクトツーリングテントDX
- リッヂレスト(スリーピングマット)
- 銀マット(200×100センチ、薄いタイプ、テント内に敷く)、ピクニックシート
- 寝袋(ワンシーズン用)
- カーボーイロック(自転車用ワイヤーロック細長)
- イワタニカセットガスジュニアバーナー&カセットガス
- アルミ風防(105円ショップのキッチン用を半分に切った)
- 食器類(アルミ製コッヘル 大中小、はし、スプーン、アーミーナイフ)
- 食料(無洗米、レトルトパック、紅茶、スープなど)
- 調味料(塩、コショウ)
- プラティパス(ビニール製水筒 530mlと1000ml)
- 自転車ワイヤーロック(太短)
- レインコート
- スリップカバー(自転車輪行袋)
- 軍手
- タイヤチューブ(1本)
- 修理マニュアル(文庫本)
- 自転車用工具ケミカル類(空気入れ、ギアオイル、KURE 5-56、グリース、アーレンキー、ドライヴァー、ミニスパナ、パンク修理セット、タイヤ空気圧計)
- 着替え
- デジタルカメラ(キャノンイクシイデジタル55、充電器、替え充電池、パフパフ)
- 手回し充電ラジオ
- LEDヘッドランプ、LEDフラッシュライト
- 目覚まし時計
- 乾電池
- 文庫本(数冊)、各地地図
- 手帳、日誌、筆記具、名刺、ハサミ、印鑑、カード類
- 耳栓、爪切り、毛抜き、綿棒、傷テープ、裁縫セット、トイレットペーパー
- 虫よけスプレー、蚊取り線香
- ヒモ、クリップ、フック、ビニールテープ、ベルクロ付バンド、スーパーボール(大)
- 洗面用具
- 帽子、速乾素材シャツ・パンツ、パッド入りインナーパンツ
前略、
一泊で出るゴミ用の小さなビニール袋は持っといたほうがいいな。
荷物は使用状況別にパッキングしたほうがいいな。「テントの中で使うもの」(目覚まし時計、日誌、ラジオ、ヘッドランプ、本など)とかね。
自転車で長距離走るとやっぱりお尻が痛い。カナダで走ったときもお尻にできものができてしまった。サドルもけっこういいやつでパッドが入っているけど痛い。パッド入りパンツを買ったほうがいいな。でもあのぴっちりパンツはいやだからインナーパンツにしてズボンの下にはこう。
カメラはフィルムかデジタルか、悩みに悩み、一時は充電やデータのバックアップのことを心配しなくていいフィルムカメラにしようと決定していたのだが、やっぱりちょっとでも荷物を少なくするためデジタルにすることにした。替えのバッテリーをひとつ買い足したのでこれでなんとかしよう。
石油製品の服はあまり好きではないのだが、速乾素材の服はやはりいいね。いまはユニクロでも売ってるから便利。モーターバイクとバイク(自転車)の違いは、速く走れば走るほどモーターバイクは寒くなるけど、バイクは暑くなること。どうせ石油を使うならぼくは服のほうにしておこう。
草々
川原の道は車両通行止めになっていて静かな場所だったが、時々目が覚めた。中洲を走っているのか、アホの子のバイクの音、鳥の鳴き声、よく分からない音。目が覚めてそろそろ明け方かなと思って時計を見たらまだ午前一時だった。もう一度寝て、今度は四時ごろに目が覚め、すでに明るくなってきていたので起きる。
五時過ぎに朝食。持ってきたテントは前室が大きく取られているのでそこで調理ができて便利(重すぎるけど)。六時過ぎには撤収を開始して、出発。
基本は相模川沿いに下っていくのだが、相模川は川沿いを自転車で進むようなことは全く考えられていなかった。地形的に川沿いに道がとれないのはしかたがないが、たまに川沿いに道があっても舗装はないし、行き当たりばったりで途切れているし、「ラオスの山道かっ!」というようなでこぼこの泥道も多かった。たまに整備されていてもほんの短い区間だった。多摩川の神奈川県側を見てもわかるが、県の財政が厳しくてそこまで手をかけられないのだろう。
苦労してなんとか海まで到達。茅ケ崎の海岸には川とは打って変わって気持ちのよい自転車道があり、波のない海のサーファーなどをながめながら進む。
最初はこの辺りの海岸で二泊目をしようと考えていたのだが、まだ午前中だったので、いえに帰ることにする。
海岸沿いの自転車道は地下道で引地川の自転車道に続いている。そのあとさらに東にある境川まで車道を走ればこちらにも国道一号線を過ぎた辺りから右岸に自転車道が付いていて北上できる。
すぐに異様な高層ビルが現れて目を引く。某共和国の首領様が好みそうなデザイン。この手のデザインの建物は十中八九新興宗教の施設と見て間違いなかろうと思っていたのですが、違いました。地方出身なので全く知りませんでしたが、そこは横浜ドリームランドの跡地らしく、くだんの怪しい塔はホテルエンパイアという宿泊施設だったそうです(現在、大学に改装中!)。
軽い雨が降ってくる。ただ前に進むことだけを考えて黙々と進む。町田を過ぎ、桜美林学園の近くまできたところで自転車道を離れ、尾根緑道(戦車道路)に向う。こちらも自転車歩行者専用道になっている。尾根というくらいなので高台になっていて上り下りがあってぐったりと疲れた体にはつらかったが、がんばって進み、京王多摩境駅があるところで尾根を下り、京王相模原線沿いに走ると多摩センター辺りで乞田川に合流する。乞田川を下るとついに多摩川に合流し、ゴール。素人に一日百キロ超はつらかった。出発時から体重1.0キロ減。[本日の走行距離:117.02km]
草々
前略、
今回は本番とほぼ同じ荷物を積んでの予行演習。朝7時半ごろ出発。
いつものように多摩川をさかのぼり、浅川に入り、八王子をすぎ、JR高尾駅の横を通り、京王高尾山口駅で休憩。高尾山へ登る人たちが大勢。
ひと休みして出発。本日のハイライト、大垂水峠越え。といっても東京側から上ると緩やかな上り坂が長く(5キロ強)続く。それでも途中何回も停止して休みながら上る。峠到着。
坂を下りると相模湖と津久井湖のあいだに出る。相模湖には行かず、相模川を下り、津久井湖方面へ。といってもこれらの湖はダム湖なので山の中を走っているのと同じ。ダム湖だと分かっていても、ついふつうの湖と川のある風景を想像してしまってギャップが甚だしい。走っていても全くつまらない、車の多い、上り下りの多い車道を走る。城山ダムの近くまで来ると公園があってやっとひとここち付くが、最初のダム湖周辺で一泊目というプランは捨てて先に進むことにする。
小倉橋直下の相模川左岸を川沿いに進むと大きな中洲があり、さらに下流に進むと市立相模川自然の村とかいう施設に着く。中洲は全面畑になっていて橋で渡れる。自然の村にはキャンプ場があった。最初はそのまま通り過ぎようとしたのだが、下流への川沿いの道はなく、下るには山の坂道を上らないと本線に合流できないことが分かって、坂道はもう辟易していたのでその辺りで泊まれる場所をさがすことに。
キャンプ場は有料で1〜10人まで1000円という大ざっぱな料金。たいした付随施設もないのでトイレを借り、水筒に水だけ入れて他をさがすことにする。中洲にもそれほどいいところはなく、中洲から見えた川原がよさそうだったのでそこにテントを張ることにする。
実際はけっこう石がごろごろしていていいところとはいえなかったが、石の少ない平らなところをさがしてテントを張る。腹は減っていたのだが、峠越えなどで疲れて何もする気がしなくてぼっーと寝ころびラジオを聴く。夕方になるとちょっと元気が出てきたので持ってきていたガスストーヴでお茶を沸かし、ご飯を炊いて夕食を作る。食事が済んでもまだ七時前だったが寝た。[本日の走行距離:65.64km]
つづく
前略、
午前11時ごろに出発。自転車で多摩川左岸をさかのぼる。
晴天、無風、気温低めと自転車日和。最初のうちはもう何回も往復した道なので、好き勝手に歩いたり走ったりしている歩行者や自転車に呪いの言葉を吐きながら進む。
福生市に入り、睦橋を渡ると秋川に出る。ちゃんと川沿いに道路もついていて、河原も自然な感じで、ショベルカーで平らにならされてしまっている調布周辺の多摩川の河原と違っていい雰囲気だ。
突然現れる高架橋(Google Maps)や東京サマーランド、東京セサミプレイスをすぎた辺りから川沿いに進めなくなり、最近の地図を持っていないこともあって道に迷う。間違ってゴルフ場へ続く道を上ってまた戻ったり、持っていた20年前の地図には載っていない長〜い五日市トンネルを通ったりしているうちに完全にどこにいるか分からなくなってしまった。それでもなんとか秋川をみつけ、さかのぼっていたのだが、秋川のどの辺にいるのかが分からず、最初の目標のJR武蔵五日市駅になかなか着かない。
なんのことはない行きすぎていたのだった。檜原街道沿いに戻って、JR五日市線の終点、武蔵五日市駅到着。
しばらく休み、エネルギーを補給して、再び出発。秋川街道を進む。
小峰峠を越えるのに長いトンネルをくぐる方法もあるが、車両通行止めになっている旧道もあるのでそっちを行く。坂道を上り、短いトンネルを抜けると小峰峠。小峰というぐらいなのでたいしたことはない。
ここからはずーっと何キロも長い長いゆるやかな下り坂がつづく。これは逆回りで来なくてよかった。だらだらといつまでも続く上り坂ほどつらいものはない。
すぐに川口川が合流するが、小さな川で右に左に蛇行しながら車道と付かず離れず一緒に進む。川幅が広がり川らしくなったところで近づいてみると川沿いに道がついていたので街道を離れそちらを行く。
八王子に近づくと、浅川と合流。浅川を下る。浅川は広い川だが、両側の土手道はあったりなかったりで、以前道路状況を調べたメモも持ってきていなかったのでかなり回り道などしつつ下った。
再び、多摩川に合流し、出発点に戻った。戻ったのは5時前だったかな?
走行距離:77.9キロ(道に迷わなければもうちょっと短いはず)
走行時間:4時間47分(停止していた時間は入っていない)
草々
秋川はなかなかいい雰囲気だ。
河原が荒らされていないのがいい感じ。
突然巨大な高架橋が現れる。
最初の目標、JR武蔵五日市駅
小峰峠
川口川でも川沿いの道が始まる。
道は舗装されていたり、いなかったり、車道だったり。
川口川と浅川の合流点。でっかい魚がうようよ泳いでいた。
六日目、このあたりから線路の両側には高い木がずっと並べて植えられていて車窓はとても単調だった。寝ているか、食べているか、車内の日本人や外国人とうだうだしゃべっているかだった。
七日目、食堂車のロシア料理に最初のころは格安のキャビアなどもあったそうなのだが、そんなことは知らないままなくなってしまい、その後、メニューは同じようなものばかりになってきた。車内販売で弁当を売りに来ることもあった。
この日、弁当の車内販売を買い逃して、それを追いかけて後ろの車両へと向かった。一等寝台の車両に入り込んでいったところ、ロシア人のおじさんに声をかけられた。たいして話も通じないのだが、そのサーシャというおじさんに食べ物をすすめられると、昼食がまだだったぼくはすすめられるまま、パンや豚肉、ショウガなどをごちそうになった。当然、ウオッカもすすめられたのだが、ビールを飲んでも気持ち悪くなるぼくはお断りした。
そのうちサーシャさんはジーパンや服を売ってくれないかと言いだした。こちらも余裕があれば小遣い稼ぎをするところなのだが、荷物を軽くするためにたいした衣服を持っていないのでこれも断った。
お次はチェンジマネー。これもぼくは間に合っていたのだが、同じ車両の日本人にしたいといっていたのがいたので戻って呼んできてやった。
これも済むとサーシャおじさんはトランプをとりだして、「21」(ブラックジャック)をやろうと言いだした。ロシアのトランプはジャック、クィーン、キングの表記がJ、Q、Kではなく、B、Д、Kで、ブラックジャックの点数はそれぞれ二、三、四点と数えるらしい。エースはAではなくTという表記で十一点とだけ数えるとか(日本では一か十一点)。
ロシア人二人、日本人三人で一回一ルーブルで勝負を始め、おじさんたちに十五ルーブルほどお小遣いをあげたところでやめた。
そろそろオベリスクが見えるころだというのでドアのところへ見に行く。このオベリスクというのはユーラシア大陸のアジアとヨーロッパの境の目印として建っているもので、ウラル山脈の真ん中にある。実際には小さなしょぼいものだったが、とりあえずは見逃さずに済んだ。
この後もサーシャさんたちにチーズや(ぼく以外のひとは)ウォッカをごちそうになり、お礼を言って自分の車両に戻ろうとすると、味をしめたサーシャさんはなにかものを売ってくれる人がほかにもいるんじゃないかとぼくらの車両まで付いてきた。しかし、ぼくらの車両の車掌さんに見つかって目をつけられてしまったので、何もできずすごすごと戻っていった。外国人をひとつの車両に押し込めるというのはこういう理由もあるのだろう。
この列車では車両ごとに車掌さんが一人付いていて、各車両の端には車掌室がある。車掌さんはたのめばいつでも乗客に無料で甘いチャイ(ロシアン・ティー)を作ってくれた。
この列車にはお湯の出る温水器はあるが、シャワーはない。北京からモスクワまでノンストップでこの列車に乗ると七日間シャワーを浴びれない。
八日目、モスクワ、ヤロスラブリ駅到着。
地下鉄(五カペイカ)で赤の広場近くにあるインツーリストホテルへ。
モスクワ見物に出かける。上海雑技団を見れず、北京雑技団はたいしたことないといわれ見なかったぼくは、モスクワではサーカスを観たいと思っていたので、ホテルの隣の旅行代理店で訊いてみるとチケットは十二ドルだといわれた。これは外国人料金に違いないと直接サーカス小屋(といっても立派な建物だったが)まで行ってみると、なんと一軍は海外公演中で、二軍は次の日の夜に公演予定とのこと。次の日の夜には再び列車に乗って出発なのでサーカスは再びあきらめなければならなかった(後で聞いたら一般向けのチケットは三ルーブルからあったそうだが、その先三日分は売り切れていたそうだ)。
その後、モスクワ大学や赤の広場、デパートなどをぶらぶら。
この日、困ったのが、晩飯だった。人民食堂のようなものは所々にあるのだが、どこもかなり人が並んでいて、外国人旅行者が入れるようではなく、一国の首都だというのにその他には食べるところがほとんど見つからなかった。ほうぼう歩き回ったすえに見つけた道端のスタンドでハンバーグと怪しげなドリンクを買って、なんとか空腹はおさめた。ホテルに帰ると他の旅行者も同じで皆、食べ物を求めて歩き回ったようだった。
九日目、朝食はホテルのバイキング形式で、やっとまともな食事にありつけた。
ホテルにいた前の晩に食事に困った日本人たちが、今晩はホテルに紹介してもらってどこかちゃんとしたレストランを予約しようという話をしていて、仲間に入れてもらうことにした。
モスクワのマクドナルドを見学に。あわよくば、食べていこうと思ったが、見学のみ。冗談ではなく千人を軽く超える人たちの列がまわりを取り囲んでいた。マクドナルドの看板のMのマークの下にはソ連の鎌と槌のマークが。店内にはマクドナルドの商品とからませた世界各地のイメージ写真があり、日本のものは石段を降りる虚無僧が片手にハンバーガー、もう片手にシェイクを持って、顔を隠すかぶり物の天蓋の下からストローですすっている写真でかなり笑えた。
ここでも鉄道の切符を手に入れるのに手間取った。四時にホテルの旅行社に行くと、六時にもう一度来いといわれ、結局六時に行ってもまだ手に入らず、予約したレストランの時間なので皆で出発した。
七人ほどでバスやトラムを乗り継いで、ホテルのフロントにもらった地図を頼りにレストランを探した。何度も人に訊ねて、ようやくカーテンを閉めきったまったくそれらしくない普通の建物が目的のレストランであることが分かった。予約客のみの店なのでドアも閉め切られていた。
中はカーテンが閉めきられていてちいさなライトとロウソクが付いているだけで、落ち着いた雰囲気をかもしだそうとしていたのだが、ただ薄暗いだけだった。
サラミやポーク、野菜、グラタンなどの前菜が並んでいた。続いて、ビーフやポークの料理、挽肉を葉っぱで包んで煮込んだ料理などがでてきた。
あとはデザートのムースとチャイだけというところまで来たのだが、ぼくはこの後、ホテルに戻って切符を受け取って、駅まで行って列車に乗らなくてはならなかったので一人でそこを離れた。
ホテルに戻って切符を受け取りに行くと、受付のおばさんにまだこんなところでうろうろしていたのかとせかされた。列車の時間が迫っているのでタクシーで行くことにした。外国人御用達のホテルの前からタクシーに乗るのはぼったくってくれといってるも同然なのでいやだったが、そのあたりは高級ホテルの固まっているところで少し歩いたくらいでは何も変わらないので観念してタクシーを拾った。
「五ドル!」
思っていた通りタクシーの運転手は高飛車に出てきた。こういうときのために持っていたアメリカのタバコを見せる。
「二箱だ!」と運ちゃん。
こちらも急いでいるので二箱で手を打つ。とばしてもらった。
当時のソ連ではまだアメリカタバコが取引材料として使えていたので、ぼくも吸いもしないのに北京で何箱か買って持っていた。列車でロシア人にすすめてみたり、ホテルでお湯をもらったお礼に何本かあげたりしていたが、実のところそれほど人にたのむこともなかった。このまま西ヨーロッパに出てしまえばただの吸いもしないアメリカタバコになってしまうところだったので、最後になって役に立って助かった。
タクシーにとばしてもらったので、駅には余裕で到着。フィンランドのヘルシンキ行きに乗り込んだ。
夜中、国境で起こされる。パスポートチェックは問題なかった。そして、税関がやってきた。
今回、ぼくはこの国の中で一度列車の中で五ドルを闇両替しただけで、一度も正規の両替はしていなかった。つまりこの国にいた一週間弱のあいだ五ドル(とタバコ数箱)で過ごしていた(正確にいえば、プラス日本で支払った十数万円なのだが)。一度も正規な両替をしていない旅行者を税関はどうするのだろうとどきどきしながら待った。
しかし、税関は何のチェックもせず出ていき、列車はフィンランドに入っていった。
草々
[脚注]
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一等寝台
一等寝台は二人部屋
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サーシャ
アレクサンドラの愛称
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ロシアのトランプ
インターネットで記憶のあやふやなところを確認していたら、ロシアのトランプは二から五のカードがない計三十六枚とあった。うーん、全然おぼえてない。だからJ、Q、Kが二、三、四点なのかとちょっと納得(じゃあ五点と数えるカードはないのか?)。
-
車掌ごとに車掌さん
中国やソ連のホテルもフロアごとに管理人(コンシェルジュ)がいるのが普通なので、こういうシステムが好きなのだろう。
-
ロシアン・ティー
後でお金をとられたという車両もあった。
-
シャワーはない
車掌室には小さなシャワー室があるといううわさがあり、お金を払って使わせてもらった人もいるという話を聞いた。
-
モスクワではサーカス
ボリショイサーカスホームページ
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モスクワのマクドナルド
モスクワのマクドナルドはぼくが訪れたこの年に一号店が開店したということなので、まだ開店してあまり経っていなかった。
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ヘルシンキ行きに乗り込んだ
ヘルシンキの途中には、ロシア随一の観光地であるレニングラード(サンクト・ペテルブルク)があって、行きたいのはやまやまだったのだが一泊するごとに百ドル単位で出ていってしまうシステムのため、泣く泣く通過した。
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一度も正規の両替はしていなかった
イルクーツクから乗った列車でものすごい額のルーブルの札束を持っている日本人の女性がいた。ハバロフスクからの路線で来た旅行者だったが、ロシアに入国したとき、高い公定レートのことしか知らず、結構ルーブルが必要だろうと一度に一万円を正規に両替したらしい。彼女は列車内で日本人闇両替屋となっていた(正規な両替なので出国時に再両替することもできる)。
-
フィンランドに入っていった
ヘルシンキに着き、駅でいきなりトイレに行きたくなり、公衆トイレに行くと、料金が三フィンランド・マルカ(約百二十円)もして物価の急激な上昇にたまげた。