5月17日
この宿でおもしろい光景を見た。宿泊者の1人がクレジット・カードで宿代を払っていたのである。電気も電話も水道もない、トイレも穴の中にしている1泊8ドルの山小屋でクレジット・カードが使えるのだ。思わず笑ってしまった。
ビューティ・クリークはきれいなところだったが、まわりに特に見所がないのと、また食料問題が出てきたので1泊で出発した。
アサバスカ・フォール・ホステルに到着。
なんと、このユース・ホステルにはあの素晴らしい文明の光、電気が、電話があった。水道はないが、川の水から井戸に昇格、煮沸する必要がなくなった。そして、食料があった。
ここでも、自転車旅行をする20人くらいの団体にあった。彼らのグループも組織的で、自前で用意したらしい修理・食料運搬・応急手当用のレンタカーの小型ヴァンが伴走してきていた。
ただ一つ、前に会ったグループと違うのは彼らが全員、5〜60歳くらいの男女ということだった。彼らはヴァンクーヴァから来てジャスパー、バンフ、クートネイ、ヨーホーの国立公園をまわるという。その中の一人の女性は以前、自転車でユーコン準州を北上して北極圏のイヌヴィクまで行ったこともあるという。こっちのおじさん、おばさんのヴァイタリティには恐れ入る。
この夜も彼らの作り過ぎて余ったという夕食をいただいた。
5月19日
雪のため出発を延期し、宿で暇をつぶす。はちどりを発見。
5月20日
小雨。もう1泊も考えたが、これ以上は何もすることがないので強引に出発する。しばらくして雨はやんだ。
ロッキーの北の入口ジャスパーに到着。
ユース・ホステルはここから7キロ戻った山の上のウィスラー・マウンテンと、10キロ先のマリーニュ・キャニオンにある。自転車なので山じゃないほうがいいと考え、マリーニュ・キャニオンへ行った。
5月21〜24日
この間はジャスパー周辺の湖などを見てまわった。
バンフからジャスパーまでの約300キロを3週間近く掛けて走ったのだが、このルートは観光バスなら半日で通り過ぎてしまう所である。ハイウェイ沿いにたくさんあったユース・ホステルもひとつずつぐらいは飛ばしても行けるほどの距離だったが、せっかくだからとすべてに寄って泊まっていった。
このユース・ホステルにも自転車で旅をしている連中が集まっていた。
日本人のナオキとはカルガリーでもアサバスカ・フォールでも会っている。エドモントンからレッド・ディア経由でロッキーに入ってきた。
カナダ人のトニイはモスキート・クリーク・ホステルのマネージャで、休暇を取ってヴァンクーヴァ・アイランドをまわっていたらしい。
もう一人の日本人のツヨシは2ヵ月前に日本を出てきたのだが、高校の頃から構想していたという自転車世界一周の旅をアラスカのアンカレッジから始めたばかりという男だった。彼はこの計画に4年を予定しているという。
全くの偶然によってこの一点で同時に交わった4つの旅の軌跡は、一瞬の邂逅の後に再びそれぞれの方向へ延びていった。
ナオキは白夜の北極圏を見てみたいといって、イヌヴィクへ向かって出発した。
トニイはモスキート・クリーク・ホステルの仕事が待ってるので、ロッキーを南下して行った。
そして、ツヨシも壮大な計画の実現に向けて、特別仕様の自転車、飛脚号のペダルを踏んで遥かなゴールへと、ロッキーを南へ向かった。
そして、ぼくの思いつきのほんのちっぽけな自転車の散歩はとりあえず終わった。
草々
追伸、世界一周を目指して出発した「ツヨシ」のその後は
出会いが宝・・・Tsuyoshi Machii
自転車世界一周 11万6780km 117カ国 2242日間の旅
をごらんください。