前略、
短い間だが、モントリオールにアパルトマンを借りて住んでいた。
カナダの大都市には必ず中華街があって、ヴァンクーヴァやトロントの中華街はかなりの大きさだが、モントリオルのものはフランス語圏の州ということでか規模は小さい。そのいつでもごちゃごちゃと人の多い中華街にはもちろん中国系の移民たちがいる。
カナダには中国系の他にもたくさんの移民がいる。ぼくの住んでいたアパルトマンの管理人はインド系、同じ階の学生はスーダンからの私費留学生で、留学を終えたらそのままカナダに住みたいといっていた。世界各国の料理がファスト・フードで食べられるのも、移民がそれだけ多いということだろう。
モントリオールはフランス系という理由で移民の数は他の州に比べると少ないのかもしれないが、それでもよく目に付く。最近は移民の受け入れに消極的になってきているアメリカに変わって、カナダは大きな受け入れ先になっているのだ。
カナダへの移民が多いのはやはり香港からだろう。
街を歩いていても中国系は東洋人ということもあり、移民の中ではよく目立つ。彼らのファッションなどは全く垢抜けてるので、日本人とは一見して見分けが付かないのだが、よく見ているとなんとなく分かる気がする。簡単にいって、日本人のほうが幸せそうな顔をしているのである。ある日本人の旅人は、同じことを「日本人はへらへらとしてるからすぐ分かる」と悪意を込めて表現していた。
遊びに海外旅行に来ている日本人が「へらへら」と幸せそうにしているのは当たり前ともいえるが、それを抜きにしても中国系の人々の表情は概して堅い。
もともと、漢民族はそういう顔なのだといわれればそれまでだが、大きな異文化の中に入った少数派であることがそうさせるのかもしれない。
ハリファクスの鉄道の駅で会って、しばらく話をした移民8年目という初老の中国系のおじさんは、「この国には人種差別がある」、「自分はこの国に来てからいいことが全くない」と、ぼくにそういった。
モントリオルのユース・ホステルで、移民先を探しているところだという若い男に会ったこともある。彼のこれまでの生い立ちは複雑だった。
彼はイスラエル人ということだったが、生まれはそこではない。彼はロシアで生まれたユダヤ系のロシア人なのだが、当時のソ連を離れ、一旦は難民の査証を得てアメリカに住んでいて、後にイスラエルに帰化したのだ。
やっと安住の地を見つけて落着かと思われたのだが、旅での出会いが彼の行く道をまた複雑にした。彼は旅の途中で出会ったベルギーの女性と恋に落ち、結婚する。詳しくは教えてくれなかったが、ロマンチックな話もあったと笑っていた。
二人は結婚後、ベルギーに住み、赤ちゃんも生まれた。幸せな生活ではあったが、問題もあった。彼の奥さんが生まれ育ったのはベルギーのフランス語圏(ベルギーもフランス語とフラマン語の二つの公用語を持つ国である)で、話せる言葉はフランス語と英語で、クリスチャンである。彼のほうが話せるのはロシア語と英語とヘブライ語(イスラエルの公用語)がいくらか、というわけで、彼ら夫婦は英語で話している。
彼によると、ユダヤ人でないものがイスラエルに住むのはかなり厳しいという。ベルギーに住むなら、彼は子供のことも考えて、彼にとって4ヵ国語目になるフランス語を勉強しなければならないだろうという。そこで彼らは、全くの第三国に移民する可能性を探っていたのだった。そのため、二人の共通語である英語と彼女の母国語のフランス語が公用語で、しかも移民の受け入れに寛容なカナダに来たというわけだった。
ちなみに、カナダでは四年間のうちに合法的に三年在住していれば、帰化を申請することができるそうだ。また、カナダは国籍に関して生地主義を採っているので、カナダで生まれた赤ちゃんは両親の国籍には関係なくカナダ国籍が与えられる。
ロッキーを旅している時にも、それぞれ別の国から海外旅行でカナダに来ていて、カルガリーのユース・ホステルで知り合って結婚し、カナダに住んでいるという家族にあったが、二人の間に生まれた子供はカナダ国籍だが、カナダに帰化していない夫婦は元の国籍のままなので彼らは家族全員の国籍が違うのだった。
[写真はモントリオールではなく、同じケベック州のケベック・シティ]
草々