前略、
カイロから、夜行列車でアスワンへ。
一気に最南の都市まで下ったので、暑さもかなりなもので、体温計で気温が計れた。ある日の夕方4時のホテルの室内の気温は39.5度、計ったのは電子体温計だったが、水銀式の物だと鞄に入れて外を歩いている間に温度が上がり過ぎて破裂することもあるそうだ。
安宿にはエアコンがないので、夜はベッドのマットレスが電気毛布のように熱く、何度も水をまいて気化熱で冷やさないと眠れなかった。世界には体温計では気温が計れないほど暑くなるところも多いので、この程度は大したことないという人もいるだろうが、ぼくは40度のアスワンとマイナス10度のモントリオルなら、まだモントリオルのほうがましという人間なのでこの暑さはたまらない。
夜中の3時半に起きてアブ・シンベル神殿の半日ツアーに出る。エアコンもないボロいワゴン車が来て、いくつかの安宿で客をピックアップした後、出発した。
砂漠の中をひたすら4時間ほどひた走ると、アスワン・ハイ・ダムでナイル川を堰止めてできた人口湖のナセル湖のほとり、スーダンの国境に近いところにある神殿に着く。
この神殿は3000年以上前の新王国時代にラムセス二世が作らせたものなのだが、3000年後、ダムができる時にナセル湖に沈む場所にあったので、大きなブロックに切り刻んで今の場所に移転させたそうだ。
2時間ほどの見学の後、帰途に着く。再び、砂漠の中をひた走る。行きは夜明け前からの涼しい時間だったので眠って来られたが、帰りはまだ午前中とはいえ、すでに十分に激しい太陽の下で砂漠を突き進んでいくことになる。
ぼくはこの道のりを甘く見ていて、アスワンを出る時、ミネラル・ウォーターを1リットルほどしか持ってきてなくて、その水は帰り道の早いうちになくなってしまった。神殿の売店にも水は売っていたのだが、足元を見てかなり高い値段になっていたし、まだ残っていたので大丈夫だと思って買わなかったのだ。
水が切れてしばらくすると、ぼくの体は脱水症状を呈してきた。口を開けると水分がそこからどんどん逃げていくのが分かるような気がする。目からも湯気が出てるんじゃないかと思うほどだ。この辺りでは汗をかくこともない。実際はかいているのだが、すぐに蒸発して乾いてしまうので肌はいつもさらさらなのである。
手が震えだした。地平線には蜃気楼があって、道の先にある丘をいくつ越えても次の丘が見えるだけで、町は見えてこない。
アブ・シンベル神殿へはお金を出せば飛行機で行ける。他には全く何もない場所に神殿の観光だけのために空港があるのだ。それが無理でも、少しお金を出せばエアコンの付いた観光バスでも行けるのに、それをケチったためにサスペンションが壊れてがたがたと揺れ、開けた窓からは体温より熱い完全に乾ききった熱風が吹き込むワゴン車でぼくは干からびて生きながらミイラになろうとしていた。
薄れゆく意識の中でぼくはユニセフを恨んだ。移転する時にアスワンまで持ってきて組み立ててくれればこんな苦労はせずに済んだのだ。いや、それをいうならラムセス二世が先だ。3000年前に彼がこんな辺鄙なところ(当時は今ほど辺鄙ではなかったのかもしれないが)に建てず、素直にルクソールに立てておけば…。
「ラムセス二世のアホ〜!」
草々