前略、
エジプトのシナイ半島にあるヌエバから船に乗り、ヨルダンのアカバに到着。
入国をすまして町まで来た時には すでに暗くなっていた。ホテルを探して部屋が空いているか訊ねると、高い部屋しか空いていないという。しばらく交渉していると屋上になら安くで泊まれるという。もう後は寝るだけだし、アカバには特に見るものもないようなので、次の朝にはすぐ出発することにして屋上に泊まった。
屋上に泊まるといっても部屋があるわけではなく、ただ屋上にベッドがいくつかあって、そこの吹きさらしの空の下で寝るのである。このあたりは昼間はとても暑いが、湿度が低いので日が暮れると涼しく、朝方は寒いくらいなので、昼間の熱のこもった階下の部屋より過ごしやすい場合もある。雨に降られる心配もほとんどなく、宿の規制も甘いのでこのあたりの国ではこの方式を取る安宿も多い。それまであまりに無防備な感じがするので屋上に泊まったことはなかったが、たまには満天の星空を見ながら眠るのも悪くなかった。
翌日の早朝、町に鳴り響く大きな音で目が覚めた。アザーンである。
イスラム教徒には、最小限度しなければならない「六信五行」という、6つの信じることと5つの実行することがある。
六信とは「アラー」「天使」「経典」「預言者」「来世」「宿命」を信じることで、五行とは「信仰告白」「断食」「喜捨」「巡礼」「礼拝」を実行することである。
彼らは1日に5回、夜明け、正午、午後、日没、夜中にメッカの方向(キブラ)に向かって、特有の立ち上がったり額を地面につけて平伏したりを繰り返す「礼拝」をしなければならない。
キブラはモスク(イスラム寺院)があれば壁にミフラーブという壁の窪みがあり、それがキブラを示している。なければ自分のいる場所と方位から見当をつけてだいたいの方向を向いているようだが、最近は便利なハイテクグッズもある。
その礼拝の時間を知らせるためにモスクのミナレット(尖塔)から出される合図がアザーンである。アザーンは最初に「アラーフ・アクバル(神は偉大である)」と4度繰り返すなど決まった言葉を詠唱する。昔は人が塔に登って地声で詠唱したそうだが、今ではほとんどのところがミナレットに付けたスピーカーによって放送している。詠唱は1回ごとに生でするのが基本らしいが、中にはテープのところもあるようだ。
街の中に突然、いくつものモスクからほぼ同時に流れ出すアザーンのしらべは、イスラム圏のエキゾチックな雰囲気を醸し出す重要な要因で、同じアラビア語の言葉を詠唱していても国によって、またモスクによって、さらには生で詠唱するために1回ごとにも少しずつ節まわしが違ったりしていて興味深く、同じところに長く滞在している時などは、今回のアザーンは気合いが入ってるなとか、今日のアザーンは声が違う、いつもの人は休みなのだろうかなどと考えたりもするようになる。
それでも1日に5回、毎日聞かされてると、異教徒にとってははっきりいってうるさい。問題なのは1回目のアザーンで、夜明けというとことになっている1回目のアザーンは、夏なら5時前になることもあり、早朝だろうと何のお構いもなしに最大音量でアザーンは流される。エジプトのハルガダでは宿の近くにモスクがあったから、毎朝、必ず5時前に起こされていた。
他の五行の「断食」とは、イスラム歴(ヒジュラ歴)の第9の月であるラマダンの月の1ヵ月間、太陽が出ている間は断食をしなければならないというもの。転じて旅人は断食のことをラマダンと呼んだりする。
イスラム歴というのはメッカで迫害されたマホメットがヤスリブに移住した年(西暦622年)を元年とする月の満ち欠けを元にした太陰暦で、1年が354日(30年に11回ある閏年は355日)なので、暦と季節とは毎年少しずつずれてくる。ラマダンの月が夏にあたるようになると陽が長くなるので彼らの苦労もひとしおであろう。緯度の高いところへ行くとさらに陽が長くなったりするのだが、全能の神様はそのあたりをどうお考えになっていたのだろう。
実は旅人もこの月にイスラム圏を旅すると苦労させられる。異教徒はもちろん断食に付き合うことはないのだが、昼間は食堂や食料品店が一切閉まってしまうし、断食している人の前で食事することははばかられるので付き合わされることになる。
「喜捨」とは富める者が自発的に貧しいものに分け与えること。
「巡礼」はメッカのカーバ神殿に巡礼すること。第12の月である巡礼月の7日から10日にするのが最もがよいとされている。巡礼を済ませた人をハッジと呼ぶ。
朝早く目が覚めてしまったので、そのままアカバを出発した。
草々