電気のない旅はいい。
電気がなければ、テレビもカラオケもインターネットもなく、しずかなひとときが過ごせる。ミャンマーでは坊さんが、右翼の街頭宣伝車のようにスピーカーで説法を大音量でがんがん流すところがあるが、停電になればこれも止む。
実際には静かに過ごすにはさらにいくつか条件が必要だ。日常的に停電のある場所の宿やレストラン、商店の一部はエンジン式の発電機を置いていて、停電するといっせいにエンジンが動き出して逆にうるさくなる場合がある。ミャンマーなどの車の多い国だとかなり田舎へ逃げる必要がありそうだ。
電気がないのがいいなんていっているのは、一時的に滞在する旅人の勝手な意見だと思う。ラオスのデット島で泊まった宿の二十三歳の娘さんは、その電気もほとんどなく、車も水道もない、テレビもカラオケもインターネットもない(ラジオはあった)、メコン川に浸かって体を洗う島に生まれ育った。雨季にはメコン川の水量が増え日常的に床下浸水状態になり泊まり客も来なくなると話していた。
都会から短期間来た旅人がお気楽に「いいところだ」と繰り返すと、けなされるよりはましでも、複雑な気持ちかもしれない。
一時的にでもそんな旅をしているうちに、ぼくの日本での生活も少しだけ変わってきた。
昔に比べるとぼくの生活はシンプルになった。昔はいろんなものをため込んで持っていたのだが、背中に背負えるものだけで何年も生活できることが分かってからは、なるべく物を持たないようにしようとするようになった。
一番分かりやすい変化は、テレビを見なくなったということだろうか。昔はテレビやビデオが好きで録画した映画やテレビのテープ(ベータ方式!)が山のようにあったのだが、テレビのない生活を始めて十年近くになる。
テレビを見てないとテレビドラマやコマーシャルの話題には入れないし、アイドルやお笑いタレントの顔と名前が一致しなくなるし、年末の「今年の流行語」なんてものも半分以上は初めて聞く言葉だったりする(ギター侍ってなに?)。
でもテレビがなければ、テレビ番組表やビデオ録画などというものにわずらわされず、液晶テレビ、プラズマテレビ、DVD、HDDビデオデッキなどという製品にも無関係でいられる。地上波デジタル放送? どうぞご勝手に、という感じだ。無意味にテレビを見ていた時間が自分の時間として使える。
なかでも最大の利点を教えよう。
NHKの集金人が来た時に、何の後ろ暗いところもなく、絶対の自信を持って、「見てない! 失せろ! おとといきやがれ!」と言えるのだ(集金人はテレビのないことを信用してないようだが…)。
でも、日本で電気のない生活をするのはかなり難しそうだ。
草々
(「野宿野郎」2号より転載)