前略、
ブダペストではプライヴェイト・ルームに泊まった。プライヴェイト・ルームは一般の家庭が空いた部屋をホテル替わりに貸すというもので、東欧の中でもハンガリーは特にこのタイプの宿が多い。この町にもユース・ホステルもあるが、街の中心からは少しあるので不便なのだ。
ぼくの泊まったプライヴェイト・ルームにはこの頃、旅の途中の日本人が住み込んでいて、ベッドと食事だけもらって無給で客引きなどの「番頭」業務をしていた。
そこには他にも面白い日本人の旅人がいて、我々から「ホームレス山田」と名付けられたその男は、ぼくがブダペストに着いた時に、ホームにぽつんと立っているのを見かけていた。しかし、その時は声を掛けるわけでもなく通り過ぎた。
その日、そのプライヴェイト・ルームに投宿した後、この宿の番頭さんも客引きの際に駅で彼に会い、彼は我々の宿にやってきた。そして彼は驚異の超異次元体験を我々に聞かせてくれた。
ホームレス山田は、その前日にブダペスト東駅に着いた。ブダペストにはプライヴェイト・ルームの数が多いので過当競争になり、この宿の番頭さんがしているように駅での客引きが当たり前になっている。彼は客引きと交渉して、あるプライヴェイト・ルームに泊まることにした。そこで数日分の宿代を払い、彼はさっそく町へ観光に出た。
夕方、彼はその日の観光を終え、自分の宿に帰ることにした。しかし、彼はこの時すでに知らぬ間に恐怖の超異次元空間にはまり込んでしまっていたのだった。
彼はいくら歩いても自分の宿に帰りつけなかった。いくらさがしても歩き回っても自分の宿を見つけることはできなかった。彼のまわりの空間がねじれてしまったのか、知らぬ間にパラレルワールドにワープしてしまったのか、宇宙人が彼を拉致し記憶を消してしまったのか、あるいは彼の宿を消滅させたのか…。
いや、彼は迷子になってしまったのだった。
彼は自分の泊まっているプライヴェイト・ルームの場所が分からなくなってしまったのだ。彼はこの異国のまちで迷子になり、完全にパニックにおちいり、狂ったように街を歩きまわったが、自分の泊まっている場所、そして自分のすべての荷物が置いてある場所は見つけられなかった。
彼がこの日、自分の宿を見つけることを断念した時には、夜もとっぷりと暮れていたため、彼は小さなデイ・パックを持っただけで、100ドル以上する高級ホテルに泊まったそうだ。
その次の日、つまり、ぼくがこの町に着いた日、東駅でぼーっと立っている彼をぼくが見掛け、その後、番頭さんが声を掛けた。
彼がそこにいたのは、東駅で待っていたら前日、客引きをしていた男がまた客引きにそこへ来て、彼に会えるかもしれないと思ったからだそうだ。
彼はこの日も宿を見つけられずに我々のプライヴェイト・ルームに泊まり、次の日ついに、ついに自分の宿を発見した。彼が絶対の自信を持ってそこではないと信じて疑わず探していなかった通りに彼の宿はあったということだ。
この話にはちょっとしたオチある。
彼の職業を訊くと、彼は日本で地図を製作している会社に勤めているそうだ。確かに彼は自分の宿のまわりのことだけは詳しく覚えていた。
草々