
アイフォン(正式名称:アイフォーン)OS 2.0をアイポッド・タッチに入れた。
新しいケータイ風日本語入力はケータイ電話を使わない人間にはビミョー。日本語入力のQWERTYキーボードも大きくなって使いやすくなったし、多分使わない。英語入力のときとの見分けがつきにくくなったけど。
そのかわり中国語の手書き入力が使えるかも。
設定のキーボードで日本の漢字に近い中国語の繁体字手書き入力を選ぶと出てくる。
手書きすると、漢字の候補が出てくる。タップして選ぶと入力され、次に入力されると連想される漢字の候補が出てくる。「中」と入れると「心央國華」と候補が出てきた。「華」を選ぶと「民隊路」、「民」を選ぶと「國」が候補に。
「中華民國」
う〜ん、繁体字は台湾(中華民国)で使われている漢字だから当然といえば当然だけど、中国大陸でも売るつもりなら、ないことになっているバーチャルな国名が出てくるのははまずくないか。
それはともかく、フォントも日本語の漢字と変わらないし、まぜて書いても違和感はない。というか中国語入力しても日本語にある漢字だと日本語のフォントで表示されているのかも。
当然だが、漢字以外のひらがな、カタカナはだめ。日本だけある漢字「峠」とかもやはりだめ。
問題はこの手書き入力を使う機会はあるかということなのだが、読みがわかっているなら普通に日本語入力したほうが早い。読みがわからない漢字だったら手書き入力はありかな。

FONが日本上陸一周年だとかで無線LANルーターの大安売りをしていたので、すでに普通のものは持っているのだが、結局買った。
FONは自分用と公共用のアクセスポイントを持つ無線LANで、自分用のものは当然セキュリティがかかっていて、公共用のものはFONルーターを持っている登録ユーザーなら誰でも使えるようになっている。自分の回線を開放するかわりに他の人の回線を使えるというわけ。
スペインが本拠地で、日本語のサイトもあるのだが、翻訳がけっこういい加減。おかしな日本語より英語の方が分かりやすいかもしれない。
あいかわらず無線LANは初心者で、接続の設定に加え、分かりにくいサイトでルーターの登録などもしなくてはならないのがうまくいかず(登録画面がなかなか出てこなかった)てこずった。
ジェイルブレイクしていれば、まわりの電波からFONのものを探して自動的にログインするiFONというソフトもある。
アパートの上階なので下まで公共用の電波が届いているか怪しいところですが、ぜひご利用を。
前略、
イランのイスラム革命の後もアメリカの誤算は続いた。
革命の年、ホメイニ師の革命評議会に支援されたとされるイラン人学生により、テヘランのアメリカ大使館がイラン政府の転覆を狙うCIAのスパイの巣窟であるとして、襲撃・占拠されるという事件が起こった。52人の大使館員などを人質にしたこの占拠は444日間も続いた。
次第にホメイニ師を頂点とする国家体制は固まりだし、革命を境にしてイランとアメリカの関係は180度変わり、お互いを「帝国主義の大悪魔」「テロ支援国家」と呼びあうラブリーな仲になる。そして、この時以来「大悪魔」であるアメリカ国籍を持つ者はイランに入国することができなくなった。
旅人の立場からいえば、アメリカ人旅行者はユーラシア大陸を陸路横断するときに最もポピュラーであるパキスタン〜イラン〜トルコというルートが通れないので、ロシアか中央アジアを通るしかなくなった。
タブリズに滞在した後、ぼくはせっかくイランまで来たのだからと、世界一大きな湖であるカスピ海を一目見ようと、バンダレ・アンザリ行きのバスに乗った。
バンダレ・アンザリでバスを降りたのはぼく一人だった。他の乗客はもう少し行ったラシュトという町まで行くらしい。まだ夜明け前の4時だった。
すぐ近くにあった宿はベルを鳴らしても反応はなく、歩道で鞄の上に座って夜明けを待っていた。パトカーの警察官に不審尋問などを受けたりしながら、秋の夜長をやり過ごしていた。
車が時々通るのだが、そのうちの一台から軍服を来た若い男が降りてきた。男はぼくに気が付くと近づいてきて話しかけてきた。タブリズでのこと以来、イラン人の若い男と話すのは気が重かったのだが、彼はイラン人には珍しく滑らかでなかなかうまい英語で話しかけてきた。この国では学校で英語を教えていないらしく、英語の普及率はこれまで訪ねた国の中で最も低かった。一般の市民に英語は全く通じないといっていい(そのかわりとても流暢な日本語を話すイラン人がけっこういる。日本にいたことのある人たちである)。
彼は前のような失礼な奴ではなく、宗教の話もしてこなかった。そしてアメリカの悪口をいうこともなかった。それもそのはずでしばらく話していると、彼は問わず語りにびっくりするような話を始めた。
彼は以前アメリカに住んでいたというのだった。
彼と彼の家族はアメリカのフロリダ、その前はワシントンに住んでいたというから、テニス・プレイヤーのアンドレ・アガシのような革命以前に移民をしたイラン系アメリカ人だったのだ。
彼らはアメリカからイランの親戚を訪ねるという名目で革命後のイランの入国を許されたらしい。無事イランに入国して親戚に再会した後、アメリカに帰ろうとすると当局は空港で彼らの出発を許さず、全員にイランからの出国を禁じてアメリカの旅券を取り上げてしまったのだそうだ。
アメリカに彼の父親の仕事も彼らの家も財産も友人もすべて残したまま、彼らは遥か遠くのイランという国の中に軟禁され自分たちの国に帰ることができなくなってしまったのだった。
彼の父はこの時には、アラブ首長国連邦のドバイで働いているということだが、彼自身は徴兵を受けていて、これから軍に戻らなくてはならないということだった。家族のうちの誰かは人質としてイランにいなければならないということなのだろうか。
彼はぼくがそこにしばらくいられるのなら、休みの時に遊べるのにといった。残念ながら滞在期間が2週間しかないのでそれはできそうになかった。
彼は英語を話したのも久し振りだといった。ぼくは彼にこの国に来たのはいつなのか尋ねた。それは10年前、彼が10歳の時だったそうだ。
彼の英語を聞いた時、比較的滑らかな英語だとは感じたが、母国語だとは思わなかった。英語を話す人の極端に少ないこの国では英語が多少危うくなるのも仕方がないだろう。
彼はまたこの国に来る予定はあるかと尋ね、ぼくが分からないというと連絡先を書いてくれた。彼はぼくと話せて楽しかったというと、来た時と同じように車をヒッチハイクして出発してしまった。
彼と実際に話していたのはほんの30分ぐらいだっただろうか。
ただ、親戚に会うためだけに両親に付いてちょっとした旅行気分で来た、宗教も文化も文字も言葉も全く違う、しかも自分の生まれた国を最大の敵としている異国に突然閉じ込められ、故国に戻れなくなった10歳の少年はそれをどう理解したのだろう。
それからの10年はどんなものだったのだろう。
国と国との仲違いに巻き込まれてしまった彼ら家族はこれからどうなるのか。
彼と彼の家族が「祖国」に戻れる日ができるだけ早く来るように願っている。
草々
6月23日(金)雨ときどき曇り
夜中にまた雨が降りだした。
朝、やたらカラスがカーカーとうるさくて目が覚めた。鳴き声がやたら近いのでテントを出てみると、フライシートの上に乗って鳴いていた。ここからがびっくり。シートの上に乗っているカラスを追い払おうと、フライシートの中からカラスがいるところをたたいて見たのだが、カラスは全く動かない。かなり激しくたたいても飛び立たないので、自転車のワイヤーロックで下からたたいてやったのにまだ動かなかった。フライシートのジッパーを開けて腕を出してワイヤーロックを振り回したらやっと逃げた。カラスは電線なんかのゆれるものにいつも止まっているので下からの振動には強いらしい。
まだ霧雨が降っているので、もう一眠り。10時過ぎに空が明るくなりかけていたので出発。
日本海側をずっと行けば積丹半島をぐるっと回ることになるのだが、天気は悪いし、半島の方はかなり上り下りがきつそうなのでショートカットすることに。
それでも峠は越えなければならない。坂を上っていくと雨が降りだす。こういう天気だと山の上はだいたい降っているのでしょうがない。途中でレインコートを着込み、峠を越え、滑り降りる。山を下りると雨は止み、余市町へ。テントを張れそうなところがないので小樽方面へ進む。雨に濡れたのでまた自転車のスピードメーターが機能停止していた。
小樽に近づきもうちょっとだと思ったら、ひどい上り下りと歩道のない恐怖のトンネルが続き、ぐったりつかれる。
この手の港町なら海沿いに公園くらいあるだろうとさがすと、色内埠頭公園という見つかる。公園の奥のほうにテントを張る。化学工場かし尿処理施設でもあるのか、ちょっとケミカルな臭いがするが、気にしない。テントに荷物を置いて、交番で銭湯の場所を訊いてお風呂にはいる。
小樽の運河と倉庫街はなかなかいい感じだ。
(61.43km/4h25m・計1549.2km +10キロほどはメーターが動いていなかった)

前略、
- ダホン スピードP8
- コールマン コンパクトツーリングテントDX
- リッヂレスト(スリーピングマット)
- 銀マット(200×100センチ、薄いタイプ、テント内に敷く)、ピクニックシート
- 寝袋(ワンシーズン用)
- カーボーイロック(自転車用ワイヤーロック細長)
- イワタニカセットガスジュニアバーナー&カセットガス
- アルミ風防(105円ショップのキッチン用を半分に切った)
- 食器類(アルミ製コッヘル 大中小、はし、スプーン、アーミーナイフ)
- 食料(無洗米、レトルトパック、紅茶、スープなど)
- 調味料(塩、コショウ)
- プラティパス(ビニール製水筒 530mlと1000ml)
- 自転車ワイヤーロック(太短)
- レインコート
- スリップカバー(自転車輪行袋)
- 軍手
- タイヤチューブ(1本)
- 修理マニュアル(文庫本)
- 自転車用工具ケミカル類(空気入れ、ギアオイル、KURE 5-56、グリース、アーレンキー、ドライヴァー、ミニスパナ、パンク修理セット、タイヤ空気圧計)
- 着替え
- デジタルカメラ(キャノンイクシイデジタル55、充電器、替え充電池、パフパフ)
- 手回し充電ラジオ
- LEDヘッドランプ、LEDフラッシュライト
- 目覚まし時計
- 乾電池
- 文庫本(数冊)、各地地図
- 手帳、日誌、筆記具、名刺、ハサミ、印鑑、カード類
- 耳栓、爪切り、毛抜き、綿棒、傷テープ、裁縫セット、トイレットペーパー
- 虫よけスプレー、蚊取り線香
- ヒモ、クリップ、フック、ビニールテープ、ベルクロ付バンド、スーパーボール(大)
- 洗面用具
- 帽子、速乾素材シャツ・パンツ、パッド入りインナーパンツ
前略、
ポルトガル語、オランダ語起源の外来語に続き、ドイツからのものを紹介します。
ゼッケン Zeichen[ツァイヒェン] 合図、目印、記号
ドーラン Dohran[ドーラン] ドーランを作っている会社名
ボンベ Bombe[ボンベ] ボンベ、爆弾
ガーゼ Gaze[ガーゼ] ガーゼ。これはパレスチナのガザ地区のGazaが語源。
ギブス/ギプス Gips[ギプス] 石膏、ギプス
ルンペン Lumpen[ルンペン] ぼろ着
ワッペン Wappen[ヴァペン] 紋章
ザック Sack[ザク] 袋
ヤッケ Jacke[ヤケ] 上着
このほかにも、医療、登山、スキー用語はドイツ語の独擅場です。
ほかのヨーロッパからではフランスとロシアからのものがいくつかあります。
まず、フランス語から。
バリカン Barriquand et Marre[バリカン・エ・マール] 製造会社の名前
ズボン jupon[ジュポン] ペチコート。なぜペチコートがズボンになったのでしょう
綱引きをするときのかけ声の「オー・エス」の…
エス hisses[イス] 動詞hisser(引き上げる、持ち上げる)の命令形
アンツーカー en-tout-cas[アン・トゥ・カ] 全ての状況で。英語に当てはめるとin-all-case。
つぎにロシア語。
イクラ икра[イクラ] 魚卵
カンパ кампания за сбор денег[カンパニヤ〜] 募金運動
アジト агитпункт[アジトプンクト] 扇動本部
セイウチ сивуч[セヴチ] とど。ロシア語のセイウチはまた別の語らしい
トーチカ огневая точка[オグネヴァヤ・トーチカ] 火力の拠点
さすが共産主義育ての親の国といった語が見受けられます。
ヨーロッパからの最後のおまけとして英語からの意外な外来語を少し。
ジョッキ jug[ジャグ] ジョッキ
ズロース drawers[ドローワーズ] パンツ、ブリーフ
ハツ(焼き肉)hearts[ハーツ] 心臓
ゴロ grounder[グラウンダー] ゴロ。ゴロゴロだからじゃないんですね。
チック cosmetic[コスメティック] 化粧品
ワイシャツ white shirt[ホワイト・シャート] 白いシャツ。白くないものはワイシャツじゃないということ。「Y」シャツではないのだ。
ポチ spottie[スポッティー] 斑点のある。ポチが外国の名前だなんて、知ってましたか。
これまでの外来語は全てヨーロッパからのものでしたが、ヨーロッパ語以外の外来語も数はそれほど多くはありませんが、もちろんあります。
いくつか紹介しますが、中国からの言葉は日本にとって外来語とはいいがたいので意外な感のあるものだけを取り上げます。
シェルパ sher-pa(チベット語) 東部の人
カボチャ Camboja(ポルトガル語) カンボジア
キセル khsier(カンボジア語) 管
カーキ khaki(ヒンディ語) 土色の、ほこりっぽい。
ジパング 日本国(中国語) 日本。当時の「日本国」中国語読みjihpunkuoがマルコポーロによりジパングと紹介され、後にジャパンになった。
カバン 夾板(中国語) 箱
パッチ (朝鮮語) ズボン
チョンガー (朝鮮語) 独身男性
旦那 dana(サンスクリット語) 施し(する人)。サンスクリット語起源の仏教用語は中国経由でたくさんはいっているのでほかは取り上げません。
アルカリ al-qaliy(アラビア語) 焼いた灰
アルコール al-kohl(アラビア語) コール炭
そ の昔、アラビアでは天文学や科学(錬金術)が発達した時期があり、それらの進んだ言葉がヨーロッパに輸入されました。alはアラビア語の定冠詞、英語の theと同じで、アルタイル(al-tahil/飛ぶもの、鳥)やアルコーブ、アラー(al-ilah/the god)、アルファルファ(al-fasfasa/良質のかいば)、錬金術(アルケミー)、代数(アルジェブラ)も同じです。
そのアラビアにある袖の長い上着にjubbaと呼ばれるものがあるそうです。このjubba、実はたくさんの日本語の外来語の語源となっています。
アラビア語jubbaは、英国経由でjumper→ジャンパーとなり、フランスに入ってjupon→ズボンとなり、ポルトガルのgibaoを通って襦袢(じゅばん)となっていったのです。
同じように、最初に紹介したチョッキ(jaque)も、ヤッケ(Jacke)やジャケット(jacket)と同じルーツを持っているということは、そのものの形態と綴りを見ていただければ分かっていただけると思います。
日本に入ってきた外来語だけ見ても世界の言葉の不思議なつながりが感じられたのではないでしょうか。今回紹介したのは、いわゆる借用語(loan word)と呼ばれるものがほとんどですが、世界の言葉には単語の貸し借りだけでないもっと深い言語の根元までに至るつながりがあります。
草々
前略、
前回の「言葉の家族」では世界で話されている言葉のかなりの数がインド・ヨーロッパ語族というカテゴリーに入り、ひとつの祖語から分かれていったものらしいということを書きましたが、文字の世界にもたくさんの文字の共通の祖先となる文字があります。こちらは言葉とは違い遺跡として残っているので実際にどのようなものだったか、どこで使われていたかがかなりはっきりと分かっています。
紀元前1500年頃、地中海の東にフェニキアというところがありました。そこに住むフェニキア人はすぐれた航海術を持ち、商才にも長けていたので地中海沿岸の国々と取引をし、自分たちのすぐれた文化を伝えていきました。彼らの使っていた文字がフェニキア文字で、右から左へと書く22の子音を表す文字から成っていました。
この文字の源流はエジプトのヒエログリフが簡略化されてできた民衆文字(デモティック)にあるといわています。
フェニキア人が使っていた言葉はアラビア語やヘブライ語などのセム(アフロ・アジア)語族の言葉ではなかったかといわれています。これらの言語は母音が少ないので子音だけの文字でもあまり不都合がなかったということです。
紀元前9世紀頃、このフェニキア文字がギリシャに入ります。しかし、ギリシャ語はインド・ヨーロッパ語族の言葉であり、母音も多いので、そのままではギリシャ語を書き表すには不便でした。
そこでギリシャ人はこの文字にアクロバティックな独自の変更を加えます。それは文字の中でギリシャ語にはない子音の文字を母音の文字にしてしまうというものです。
この結果、A、E、O、Yが母音字となり、その後いくつかの文字を付け加え、紀元前4世紀頃、子音17と母音7の文字を持つギリシャ文字として完成します。
さらに右から左へ書いていたのも犂耕式(書く方向を一行ごとに変えていく方式)を経て、左から右へ書く方式に定着します。
これらの変更と当時のギリシャ文化の影響力から、この系統の文字は大きく広がることになります。
まず、ギリシャ文字はローマに入り(ギリシャ人とローマ人の間にエトルリア人を経由しているという説もあります)、紀元前3世紀に19文字からなるラテン語を表すラテン文字となります。
さらに紀元後5世紀頃にギリシャ文字はカスピ海と黒海の間にあるグルジアとアルメニアに入り、それぞれの言葉を書き表すグルジア文字、アルメニア文字となります。
9世紀にはギリシャ語はさらに影響力を持つ文字のお手本となります。
その頃、今のルーマニアとスロバキアの国境あたりにあった大モラヴィア公国が、今のトルコとギリシャあたりにあったビザンチン帝国にキリスト教布教のための人員派遣を要請し、皇帝はコンスタンティノスとメトディオスの兄弟を派遣しました。この時にコンスタンティノスは、当時、東ヨーロッパで話されておりまだ文字を持っていなかったと考えられているスラブ語にキリスト教の福音書を翻訳するため、グラゴール文字と呼ばれる文字を作りました。
この時彼が作った文字は独自なものだったので書くのも読むのも難しかったためか半世紀ほど後に、この文字を基にしてギリシャ文字を取り入れて作り直した文字が現れます。この文字がキリル文字と呼ばれているものです。
グラゴール文字を作ったコンスタンティノスは修道士となった後にキュリロスと名乗るようになり、これはスラブ名でキリルというのでキリル文字と呼ばれるようになりましたが、彼が作ったのはグラゴール文字で、キリル文字を作ったのは彼ではないといわれています。
ここで大きな意味を持つのが、グラゴール文字とキリル文字がキリスト教布教のために作られたということで、この文字はギリシャで信じられていたキリスト教であるギリシャ正教(東方正教)と共にスラブ語圏とその周辺地域に広まりました。そのため、現在キリル文字を使用している国は(ソ連に押しつけられた国を除いて)ほとんどが東方正教の国といってかまいません(ルーマニアは東方正教の国ですが19世紀にラテン文字に切り替えました)。
同じようにローマ・カトリックと共にラテン文字は西ヨーロッパを中心に広まりました。
話を再び紀元前に戻します。紀元前8世紀頃、アラム(現在のシリアあたり)にフェニキア文字から派生したと思われるアラム文字が現れます。
この文字は紀元前2世紀頃にヘブライ文字になり、紀元後5〜6世紀にはナバタイ文字をなかだちとしてアラビア文字になります。
ヘブライ語は紀元後2世紀のユダヤ人の離散と共に死語となり、宗教語としてのみ残っていたものを1500年以上の後にイスラエルの公用語として復活させました。その間、生きた言葉として全く使用されず変容する機会がなかったため、ヘブライ文字は22文字の子音字のみでできていて、右から左に書くなど紀元前のフェニキア、アラム文字の特徴をそのまま持っています。
草々
前略、
電気のない旅が楽しくなってきた。
最初に電気のない旅を経験したのはカナダだっただろうか。カナディアン・ロッキーの南の入り口の町のバンフまで来て、その場の思いつきで自転車を買ってロッキー山脈を縦走してみた。山脈を縦走するといってもそこにはちゃんとした舗装道路(ひび割れだらけだけれども)が通っていて、車や観光バスだと半日で通り過ぎてしまうところである。いろいろ調べてみるとロッキーの道路沿いには数十キロごとにユース・ホステルがあるので、自転車さえあればテントや調理道具などの重装備をする必要がなく、バスで半日で観光して通り過ぎてしまうよりじっくり楽しめると思ったのだ。
山に入って最初のうちはユース・ホステルも町と変わらない設備だったのだが、国立公園内に入っていくと開発の制限があるので宿は山小屋風で設備は最低限のものになり、水道も電気も電話もなくなった。
調理はプロパンガス、照明はガスかオイルランプ、暖房はガスや薪、飲料水は近くの小川からポリタンクで汲んできて五分間ほど煮沸消毒する。小川の水はロッキーの雪解け水なので冷たく澄んでいて、一見何の問題もなさそうなのだが、ビーヴァーのおしっこに含まれる成分でかかるというビーヴァー・フィーヴァーという熱病になることがあるらしい。
あるユース・ホステルには冷蔵庫があったので驚いた。電気のない宿にある冷蔵庫なのに開けるとちゃんと冷えていた。よくみるとガス管がつながっていて、ガス冷房という仕組みがあるとはしらなかった当時はふしぎに思ったものだった。
別のユース・ホステルではお客が宿泊料をクレジット・カードで払っていた。電気も水道も電話もなく、トイレも離れの個室で穴の中にするような一泊八ドルほどの宿でも、さすがはクレジット社会の北米なのである。
舗装道路が通ってはいるものの、やはり山の中を自転車で行くのは坂道がかなりきつく、途中の宿では雪に降りこめられてなかなか出発できなかったり、食料が足りなくなって団体客(自転車で旅するツアー客がいた)にめぐんでもらったりして大変だったが、雪山や川、湖、大氷河は美しく、鹿やビッグ・ホーン・シープ、マウンテン・ゴート、黒熊、グリズリー・ベアーなど野生動物も見れて、バスで半日で通り過ぎるよりはよっぽど楽しい経験ができた。
つづく
6月12日(月)曇り時々雨
出発してすぐに岩手県に入る。岩手に入った時点で追いつかれていた梅雨前線を抜き返したことになる。東北北部はまだ梅雨入りしていないのだ。
上り下りは多少あるが、順風で気持ちよく進む。
昼ごろには北上市に着く。ここから花巻までは自転車専用道が付いているのだが、川原に公園があって泊まるにはよさそうだったので今日はここまでにする。
自転車を洗車、整備などして、もう全く使っていなさそうなゲートボール場にテントを張った。
(88.72km/5h26m・計906.4km)

前略、
天気がよくなかったりで時間が経ってしまったが、インラインスケート多摩川下りの後半をやった。
前回は夕方までかかってしまったので、今回はちょっと早起きして前回の終了地点からスタート。河口までは約28キロ。
土手から河原に下り、多摩川原橋をくぐりしばらく行くと競輪場の京王閣(Google Map)があり、京王相模原線をくぐる。その後、再び土手に上がる。
調布市も府中市と同じくらい川沿いのサイクリングロードは整備されていて、約4キロと短いが状態のよい舗装がつながっていて全くストレスなく滑れる。
調布市を出て狛江市に入る。
つづく
多摩川原橋
京王相模原線
河原から再び土手に上がる
調布市を出て狛江市に入ると…
前略、
アメリカのガーミンという会社がちっちゃなGPSデバイスを作って売っていることは前から知っていた。なかなか楽しそうなおもちゃなのだが、今一歩のところで手が出なかった。なぜなら…。
けっこう高い。何だか知らないが、高いのだ。日本語版とかいうのだとさらに高い。パソコンにつなぐコードがなぜか別売りでまた高い。このコードが今どきRS-232Cの端子で、USBにつなぐには高い変換コードがまだ必要だったりする。さらに、自転車に載せようとすると取り付け器具がまた高かったりする。
そして、ぼくの使っているマッキントッシュの対応が弱い。ウィンドウズのGPS界ではデファクト・スタンダードにして万能なフリー地図ソフトの「カシミール3D」にあたるものが、マックにはない。ウィンドウズな人たちにとってカシミールのないGPS生活が考えられるだろうか。
そんなわけで二の足を踏んでいたのだが、ひさびさにGPS界の情報に触れてみたところ、知らない間になんだか新しい風が吹きはじめていた。
まずソフトに、カシミールのない穴を埋めるとはとてもいえないけれど、使えるものが出てきていた。
ご存じ、グーグルのグーグルマップとグーグルアース、そしてMotion Basedだ。グーグルのほうは説明不要だろう。Motion Basedはガーミンの一部門で、GPSのデータをウェブ上で保存してグラフィカルに処理するサービスをしている(詳細はそのうちに)。
これらのサービスがマック対応になり、無料で(有料版もあり)使えるようになり、敷居がぐぐっと低くなった。
そして本家ガーミンがやっとのことUSBで直接つながる新製品を作りはじめた。
まず目を引いたのは、Forerunner 305。ランナーのためのGPSで、なんと腕時計型だ。オプションで心拍計や自転車のケイデンスも計れるという。
そしてEdge205/305。こちらは自転車乗りのためのGPS。iPodほどの大きさだ。
どちらも以前のものより性能がよくなり、接続コードは当然のこと同梱で、自転車用のEdgeは自転車用の取り付け器具も付いている。
こうなると最後に超えなければならないハードルは値段だけなのだが、こいつだけはあいかわらず高いのだった。
日本では…。
これらの製品はアメリカ本国では日本に比べかなり安くで売っているのだ。アメリカでは日本の電気製品だって日本より安く売っていたりするのだから、まあ当たり前といえるが、問題はどのくらい安いのかということだ。
Forerunner 305は、日本で5万円強、本国では250ドル程度。Edge205/305は、日本で3万6000円/4万4000円ほど、本国では150ドル/240ドル程度。
地図も表示できるような他の上位機種では、日本の輸入代理店は日本語版と称して日本の地図を入れたり、日本語を表示できるようにしたりしているものもあるが、これらの機種では製品は全く同じで、日本語のマニュアルがついている程度だ。それなのにほとんど倍近い値段はちょっと納得がいかない。
ああ、ありがとうインターネット! 簡単に外国の通販が利用できるなんて。
Amazon.comは電気製品の海外への販売をしていないそうなので、それなりに信用できそうな世界最大のオークションサイトebayの販売店が出品している即決販売で買うことにした。
新規登録をしようとしたらIDがすでに使われていて、以前ebayがしばらくのあいだ日本に進出していたときに登録をしていたことを思い出した。昔のパスワードを思い出してログイン。送金サービスのPayPalにも登録した。
考えた末、Edge205を買うことにした(心拍計なんか面倒くさくなって使わなくなるに決まっている)。海外発送してくれるところはたくさんはないが、少なくもない。だいたいが航空便なので送料が40〜50ドル以上はかかるが、それでも200ドル程度だった。日本で買うより1万円以上安いのだ。
まあ、それも海外から正しい商品がこわれもせず、待たされもせずにちゃんと手元に届けばの話なんですけどね。まだ、商品は手元に届いてないので、そもそもそのガーミンのGPSってなんだよ、というようなレポートはまたそのうちに(ちゃんと届いたら…)。
草々
前略、
日本に住んでいて欧米の文化にばかりさらされていると、人の名前というのは順番の後先はあるにしても、個人の名と家族(一族)の名で構成されているのが当たり前だと考えがちです。しかし、他の国々を見てみるとそれが必ずしも当たり前というわけではないということがわかってきます。
世界の人名の付け方は大きく三つに分けられます。
(1)個人の名と家族(一族)の姓によって構成されるもの。
(2)個人の名と父親などの個人の名で構成されるもの。
(3)個人の名のみで構成されるもの。
(1)は説明するまでもなく、日本やその他の多くの国が採用しているシステムで、詳しくは後ほど説明します。
(2)は家族や一族で共通する姓というものはなく、個人の名と父親やそのまた父親などの名とで名前を構成するシステムです。
このシステムを採る最も典型的なところはアラブの国々です。サウジアラビアの王様の名前を例にして説明します。
例/ファイサル・(イブン)・アブドル・アジズ・(アル)・サウド
彼の場合、個人の名は最初のファイサルのみです。次にくるイブンは「〜の息子」という意味で略されることが多く、続いて彼の父親の個人の名のアブドル・アジズがきます。この後にさらにイブンと続き、祖父の名やさらに祖先の名が入ることもあります。そして、アラビア語の定冠詞のアルに続いて王族名のサウドがきています。ここには出身地名、種族名などの我々のいう家族の姓とは違うかなり大きな範囲をくくる家姓(ニスバ、家系の名ともいう)が入ります。これにより父系の祖先の出身や由緒がわかるということです。
つまり、彼の名前は「サウド家のアブドル・アジズの息子のファイサル」ということを意味しているわけです。
ちなみに彼の父の名のアブドル・アジズは二語で一つの名前を作ります。なぜならアブドルのうちのABDが「しもべ」、ULが「〜の」という意味を表すので、その後には必ず何かが入ります。彼の父の場合は「アジズ(慈悲深き者=アラー)のしもべ」という意味で、アブドラー・ザ・ブッチャー(プロレスラー)のアブドラーは「神(アラー)のしもべ」という意味です。
例/ムハンマド・ホスニ・サイド・ムバラク
ムハンマド・アンワル・(アル)・サダト
現と前のエジプト大統領です。彼らの場合二人とも最初の語がムハンマドになっていますが、彼らの個人の名前はこれだけではありません。ムハンマドはあまりにもありふれた名のため、この名前の場合は後に続く名前と二語で個人の名を構成します。(サダトは父の名の部分を省略しています)
このようにアラブの国の人たちには我々のいう家族の姓というものが(サウド家などという非常に大きなもの以外)ないので、ただ一語だけで個人を呼ぶ場合、例えば、イラクのサダム・フセイン大統領をただ、フセインと呼ぶのでは彼の父親の名を呼んでいることになります。ちなみにヨルダンのフセイン国王のフセインは彼の個人の名です。
この他、アラブ以外のイスラム系の国の一部(パキスタン、マレーシアなど)もこの名前のシステムを持っていますが、トルコやイランでは個人名と家族の姓というシステムになっています。
これらのイスラムの国の名前の理解を難しくしているものに称号というものがあります。偉い人や偉く見せたい人が、場合によっては複数の称号をつけ、ややこしくしています。日本の下司なおやじが名刺に肩書きをたくさん並べているのを連想してしまいます。
以下は典型的な称号の例です。
アミール 君主・高官
アクバル 偉大な
ハフィズ コーランを暗誦できる
ハキム 学者
マリク 国王
シェイク 族長
シャー ペルシャ国王(ちなみにこれはチェスの語源)
イスラム系以外ではモンゴルが父親の名+個人の名というシステムを持っています。
(3)は姓というものが全くなく、個人の名のみというシステムです。
インドネシアは多民族国家なのですべてがそうであるというわけではありませんが、基本的には1〜3語の個人の名のみを持っています。
一般に男性には語尾に「o」の発音が、女性には「i」の発音がつきます。さらに男性の場合は語頭に「豊かな、良い」という意味の接頭語「ス」がつく人が多いとのことです。
例/スカルノ(前大統領)
スハルト(現大統領)
デビ夫人(前大統領の何番目かのかみさん)
ビルマ(ミャンマー)も姓がなく、1〜4語の個人名を持ちます。
おもしろいことに生まれた日の曜日によって名前の最初の発音がいくつかに限定されるといった特徴があります。例えば、アウン・サン・スー・チー女史の最初の「a」の発音は日曜日生まれを示しているそうです。
元の首相にウー・ヌという人がいたそうですが、この中の「ウー」は名前ではなく目上の者に対するごく普通のの敬称だそうです。つまり、知らないうちに「ヌ様」と呼ばせてた/呼んでたということのようです。
そして、(1)に戻ると、我々に一番理解しやすい家族の姓+個人の名というシステムですが、これも日本などの中国文化圏のような姓と名がそれぞれひとつだけというところは少なく、母親や自らの旧姓やら(2)の父親の個人名などが加わってきたりで一筋縄ではいきません。
例えば、スペインは個人名+父の姓+母の姓で、ポルトガルは個人名+母の姓+父の姓になり、ギリシャ、ブルガリア、ロシアになると個人名+父親の個人名+姓のパターンになります。
例・ミハイル・セルゲイヴィッチ・ゴルバチョフ
この最初で最後のソビエト連邦大統領の個人名はミハイルで、父親の個人名がセルゲイ、語尾の「ヴィッチ」(または「イッチ」)は「〜の息子」という意味で、女性の場合は「〜の娘」という意味の「ナ」「ア」「ヤ」が語尾につきます。ちなみに「サナバビッチ(son of a bitch)」は全く関係ないことを付け加えさせておきます。
アラブの項でも出てきた「〜の息子」という意味の言葉は世界中の姓名の中に入り込んでいて、アラブやロシアのように「実際の父親の名前」+「〜の息子」というパターン以外にすでに家族の姓に転換して残っているものも多くあります。
例えば、
・ベン〜 (Ben〜) ユダヤ系
例/ダヴィド・ベングリオン(イスラエル初代首相)
・〜オウル (〜oglu) トルコ
・〜オスフィ (〜osfi) ハンガリー
・〜エスク (〜escu) ルーマニア
例/ニコラエ・チャウシェスク(ルーマニア元大統領)
・〜ウィッツ (〜wicz) ポーランド
・〜ス、〜ソン、〜セン (〜s,〜son,〜sen) スカンジナビア系
例/トーレ・ヨハンソン(音楽家)
例/ハンス・クリスチャン・アンデルセン(作家)
・フィッツ〜 (Fitz〜) イングランド
例/スコット・フィッツジェラルド(作家)
・オ〜 (O’〜) アイルランド
例/ライアン・オニール(俳優)
・マック〜 (Mac〜,Mc〜,M’〜) スコットランド/アイルランド
例/ドナルド・マクドナルド(ハンバーガー屋)
ポール・マッカートニー(音楽家)
以上はすべてそれぞれの国で「〜の息子」という意味をもつ語です。姓が下々の者までに導入される前にアラブの国のように「〜の息子」と呼ばれていたものがそのまま姓に転換していったということなのでしょうか。
また、これらの姓からは少なくとも先祖の誰か一人はその姓を持つ国からきたということが我々にもわかります。
他には、
・姓に「van 〜」がつけばオランダ系だとか、
例/ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(売れなかった画家)
蛇足、彼の名前はフィンセント・ファン・ホッホのほうが実際発音に近いそうです。
・ドイツの「von 〜」やフランスの「de 〜」は(元)貴族を表すとか、
例/ウェルナー・フォン・ブラウン(ロケット科学者)
エーリッヒ・フォン・シュトロハイム(監督・俳優)
シャルル・ドゥ・ゴール(ジャッカルに狙われた元フランス大統領)
クラリス・ドゥ・カリオストロ(カリオストロ公国大公息女)
そのようなこと(あるいはそう思わせたいということ)がわかります。
草々
インストール後の最初の起動時、通常なら上の画像のようになり、「次へ」をタップするたびにアプリの最初の説明が出て、通常画面になります。
それがATOMでは、
こうです。
画面が小さすぎて、最初の説明画面の下の丸いやつが縮小されずにはみ出し、右下の「次へ」が表示されないため、この画面より先に行けません。
アプリ自体はちゃんと機能しているのでしょう。ウィジェットはちゃんと使えます。
なんか対処法ありますか?
前略、
やってしまいました。グラフィック・デザイナーが最も恐れることのひとつ。
「シール貼り」の刑です(もっと恐ろしいのは「全部刷り直し」の刑ですが、幸いまだこれにはあっていません)。
同じ会社のライターが書いた原稿を元にパンフレットをデザインし、校正し、印刷が上がり、納品されました。
そこに依頼人からの恐怖の電話…。
文章の途中に突然おかしな空白がひとつ入っているという。
「…平野の中にそびえる とした姿は、…」
たしかに。
入稿したデータをチェック。
最悪! 入稿したデータも同じように空白になっている。完璧なこちらのミス。
ライターの書いた原稿を見ると、
「…平野の中にそびえる凛とした姿は、…」
と「凜」になっている。なぜ空白に。そのテキストをコピーしてDTPソフトにもう一度流し込んでみる。
げげっ!「凜」のところが空白に化けた。なぜだ!
解説しよう。なぜかというと、この時に使用した「凜」という文字はマッキントッシュのOsakaフォントをはじめ一般的なフォントにはあるが、ポストスクリプト(OCF)フォントにはないのだった。
この時に使用した「凜」という文字はシフトJISのEAA3の「凜」で、同じ読みで微妙に形の違う「凛」が997Aにもあって、この「凛」ならOCFフォントにもあるのだ。
OCFフォントにある「凛」が正字で、シフトJIS、EAA3の「凜」は異体字ということらしい。
EAA3の「凜」は異体字にもかかわらず、Mac OS 9のOsakaフォントに含まれているが、OCFのポストスクリプトフォントには入っていないのだ。
なぜわざわざこのライターは異体字を使ってきたのか。こだわりなのか。
実はこのライターは、「慣れていて他では書けない」という理由でシャープのワープロ専用機「書院」をいまだに使っており、DOS変換し、フロッピーディスクでテキストをやり取りしている。どうやら書院では「凛」の異体字が出てくるようだ。
同じようにOsakaフォントにはあるが、OCFのポストスクリプトフォントにない文字としてシフトJISのEAA4の「熙」がある。さらに付け加えれば、これらの二文字はCIDフォントには加えられたのでCIDフォントでつくればちゃんと出力される。
いや、もちろん分かっています。みなまでいうてくださるな。この事故の本当の原因はフォントがどうたらこうたらということではないのだ。
今回テキストをDTPソフトに流し込んだその瞬間から、ずーーっと、すべてのカンプや色校正でこの文章は空白が入ったままだったのだ。事故の原因はミスに誰も気がつかず、すべての校正をすり抜けて印刷され、納品されてしまったことなのだ。反省…。
草々
前略、
一泊で出るゴミ用の小さなビニール袋は持っといたほうがいいな。
荷物は使用状況別にパッキングしたほうがいいな。「テントの中で使うもの」(目覚まし時計、日誌、ラジオ、ヘッドランプ、本など)とかね。
自転車で長距離走るとやっぱりお尻が痛い。カナダで走ったときもお尻にできものができてしまった。サドルもけっこういいやつでパッドが入っているけど痛い。パッド入りパンツを買ったほうがいいな。でもあのぴっちりパンツはいやだからインナーパンツにしてズボンの下にはこう。
カメラはフィルムかデジタルか、悩みに悩み、一時は充電やデータのバックアップのことを心配しなくていいフィルムカメラにしようと決定していたのだが、やっぱりちょっとでも荷物を少なくするためデジタルにすることにした。替えのバッテリーをひとつ買い足したのでこれでなんとかしよう。
石油製品の服はあまり好きではないのだが、速乾素材の服はやはりいいね。いまはユニクロでも売ってるから便利。モーターバイクとバイク(自転車)の違いは、速く走れば走るほどモーターバイクは寒くなるけど、バイクは暑くなること。どうせ石油を使うならぼくは服のほうにしておこう。
草々




