前略、


 大師橋を渡り川崎区に入る。もう海は目前ということで水辺にはカニがいたり、貝を取ったりしている人がいる。
 海まで2キロのポストを過ぎ、1キロのポストを過ぎ、ついに行き止まりになる。突き当たりの地面には多摩川の起点と思われる標識が埋め込まれている。川もそこまでは河原があり、その先は海っぽくなっているのだが、まだ両岸とも先まで陸地がある。対岸は羽田空港だ。
 そこから先の陸地は公的には埋め立て地ということなのだろうが、道路もついているのでそっちの方にもいってみることにする。
 川沿いの道はそこで行き止まりなので、1キロ半ほど戻り、脇道を出ると浮島へつづく公道へ出ることができるので、歩いて進む。
 最初は公道なのでフレームをはずして歩いていたのだが、すぐに広い歩道はほとんどだれも通らないことに気付き、さらにその道には交差点というものがほとんどない一本道であることに気付いた。信号はけっこうあるのだが、両脇の工場からでてくる車両のためのもので段差もないので、スケートで滑ってもほとんど問題がないと分かり、滑走再開。
 浮島橋を渡るときに、さっき到達した多摩川の河口が見えた。
 左側の歩道を走っていたら途中に交番があって、ちょっとびびったのだが、知らんぷりで通り過ぎたら気付かれなかったようだ。浮島はけっこう大きくて、数キロをすべってやっと端にある浮島町公園に到達。3基の風力発電機が回っていた。まだもうちょっと埋め立て地がつづいているが、徒歩では行けなさそうなのでここをゴールにした。
 帰りはすぐ近くに川崎駅前行きのバスターミナルがあったのでそれに乗って帰った。


川崎側からの大師橋


多摩川の河口の看板


海まで2キロのポスト


海まで1キロのポスト


多摩川右岸脇の道の終点。


多摩川河口の標識


川と海の境目


浮島橋から見た多摩川河口


浮島町公園


3基の風力発電機がある。


 このソ連の旅は例外でぼくの旅のスタイルはだいたい安宿に泊まり歩くというもので、宿を予約したという経験もこのときだけだ。
 西ヨーロッパや 北米を旅したときに泊まっていたのはほとんどがユース・ホステルだった。これらの地域でユース・ホステルがなければ同じ予算で行けるとこ ろはかなり限られたものになってしまうだろう。だいたいがキッチンの設備があるので自炊できる。西ヨーロッパや北米ではほとんど自炊して食事していたた め、各地の名物料理というのをあまり食べられなかったのは残念といえば残念なのだが、レストランに行っていればすぐに旅費がなくなってしまって行きたいと ころにも行けなくなってしまったはずなのでこれはあきらめるしかない。
 ユース・ホステルはだいたい似たようなところが多いのだが、中にはちょっと変わったところがあって、例えばスウェーデンのストックホルムの港には船のユース・ホステルがある。もちろんもう船としては使用していないのだが、中を改造して泊まれるようにしてある。
 カナダのニュー・ブランズウィック州、キャンベルトンには灯台のユース・ホステルがある。現役で現在も使用されている灯台と同じ棟にユース・ホステルがあるのだが、現役の灯台ということで中に入ったり、上ったりはできないのであまり意味はないのだが。
 ぼくが今までに泊まったユース・ホステルで一番の変わり種は同じくカナダのオタワのユース・ホステルで、ここは元監獄の宿である。
  中には鉄格子のついた手を広げれば届くほどの幅の狭い独房が並んでいる。その独房を隔てている壁を二つ三つぶち抜いて広げた部屋に二段ベッドが二、三台 入っていて、そこに寝泊まりする。並んだ鉄格子の扉のひとつが開いていてお客はそこから出入りする。鉄製の扉を開け閉めするたびに扉はきしみ音を立てて閉 まりそれが通路に響く。建物の上には昔使っていた公開絞首刑台があり、縄の輪っかも付けてある。
 そのユース・ホステルに入所して監房で寝ころん でいるうちに気がついた。ここは独房二つまたは三つ分のスペースに二段ベッドが二つまたは三つ入ってい る。つまり昔は囚人が二、三人しか入っていなかったところに今はその倍の四人から六人を泊めているのだ。我々の扱いは囚人以下なのか! しかもお金まで 払っているのだ。
 週に数度、一般の人も参加できる無料の所内観光ツアーが行われる。監房の鉄格子は昔のままで通路から中は丸見えなので一般の観光客がぞろぞろと通路を通って我々収監者を見学していく。
  お化けが出るといわれている監房もあって、そこに一晩泊まると次の日はただで泊まれるらしい。お化けの監房はともかく普通の監房でも気持ちが悪いといっ てすぐに出所していく人もいた。鉄格子のきしむ音などはあまり気持ちのいいものではないし、想像力豊かな人は昔同じ場所にいた囚人のことなどを考えてしま うのかもしれない。ぼくは面白くて気に入ったのでオタワではずっと厄介になっていた。

つづく
 

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前略、

イランのイスラム革命の後もアメリカの誤算は続いた。
革命の年、ホメイニ師の革命評議会に支援されたとされるイラン人学生により、テヘランのアメリカ大使館がイラン政府の転覆を狙うCIAのスパイの巣窟であるとして、襲撃・占拠されるという事件が起こった。52人の大使館員などを人質にしたこの占拠は444日間も続いた。

次第にホメイニ師を頂点とする国家体制は固まりだし、革命を境にしてイランとアメリカの関係は180度変わり、お互いを「帝国主義の大悪魔」「テロ支援国家」と呼びあうラブリーな仲になる。そして、この時以来「大悪魔」であるアメリカ国籍を持つ者はイランに入国することができなくなった。
旅人の立場からいえば、アメリカ人旅行者はユーラシア大陸を陸路横断するときに最もポピュラーであるパキスタン〜イラン〜トルコというルートが通れないので、ロシアか中央アジアを通るしかなくなった。

タブリズに滞在した後、ぼくはせっかくイランまで来たのだからと、世界一大きな湖であるカスピ海を一目見ようと、バンダレ・アンザリ行きのバスに乗った。
バンダレ・アンザリでバスを降りたのはぼく一人だった。他の乗客はもう少し行ったラシュトという町まで行くらしい。まだ夜明け前の4時だった。
すぐ近くにあった宿はベルを鳴らしても反応はなく、歩道で鞄の上に座って夜明けを待っていた。パトカーの警察官に不審尋問などを受けたりしながら、秋の夜長をやり過ごしていた。

車が時々通るのだが、そのうちの一台から軍服を来た若い男が降りてきた。男はぼくに気が付くと近づいてきて話しかけてきた。タブリズでのこと以来、イラン人の若い男と話すのは気が重かったのだが、彼はイラン人には珍しく滑らかでなかなかうまい英語で話しかけてきた。この国では学校で英語を教えていないらしく、英語の普及率はこれまで訪ねた国の中で最も低かった。一般の市民に英語は全く通じないといっていい(そのかわりとても流暢な日本語を話すイラン人がけっこういる。日本にいたことのある人たちである)。
彼は前のような失礼な奴ではなく、宗教の話もしてこなかった。そしてアメリカの悪口をいうこともなかった。それもそのはずでしばらく話していると、彼は問わず語りにびっくりするような話を始めた。

彼は以前アメリカに住んでいたというのだった。

彼と彼の家族はアメリカのフロリダ、その前はワシントンに住んでいたというから、テニス・プレイヤーのアンドレ・アガシのような革命以前に移民をしたイラン系アメリカ人だったのだ。
彼らはアメリカからイランの親戚を訪ねるという名目で革命後のイランの入国を許されたらしい。無事イランに入国して親戚に再会した後、アメリカに帰ろうとすると当局は空港で彼らの出発を許さず、全員にイランからの出国を禁じてアメリカの旅券を取り上げてしまったのだそうだ。
アメリカに彼の父親の仕事も彼らの家も財産も友人もすべて残したまま、彼らは遥か遠くのイランという国の中に軟禁され自分たちの国に帰ることができなくなってしまったのだった。

彼の父はこの時には、アラブ首長国連邦のドバイで働いているということだが、彼自身は徴兵を受けていて、これから軍に戻らなくてはならないということだった。家族のうちの誰かは人質としてイランにいなければならないということなのだろうか。
彼はぼくがそこにしばらくいられるのなら、休みの時に遊べるのにといった。残念ながら滞在期間が2週間しかないのでそれはできそうになかった。
彼は英語を話したのも久し振りだといった。ぼくは彼にこの国に来たのはいつなのか尋ねた。それは10年前、彼が10歳の時だったそうだ。
彼の英語を聞いた時、比較的滑らかな英語だとは感じたが、母国語だとは思わなかった。英語を話す人の極端に少ないこの国では英語が多少危うくなるのも仕方がないだろう。
彼はまたこの国に来る予定はあるかと尋ね、ぼくが分からないというと連絡先を書いてくれた。彼はぼくと話せて楽しかったというと、来た時と同じように車をヒッチハイクして出発してしまった。

彼と実際に話していたのはほんの30分ぐらいだっただろうか。
ただ、親戚に会うためだけに両親に付いてちょっとした旅行気分で来た、宗教も文化も文字も言葉も全く違う、しかも自分の生まれた国を最大の敵としている異国に突然閉じ込められ、故国に戻れなくなった10歳の少年はそれをどう理解したのだろう。
それからの10年はどんなものだったのだろう。
国と国との仲違いに巻き込まれてしまった彼ら家族はこれからどうなるのか。
彼と彼の家族が「祖国」に戻れる日ができるだけ早く来るように願っている。

草々



 アイ・オー・データ機器 WN-G54/R3。
 無線LANルーターを買うことになるとは思わなかった。現在使用中の古いパソコンは無線LANカードを入れれば対応しているけれども、古くて遅い規格にしか対応してないし対応カードももう売っていない、マシンは電話線とモデムの近くに置いてるし、無線LAN対応のパソコンを買ったとしても部屋はワンルームだし、無線なんか必要ないと思っていたのだが。
 アップル純正の無線LANベースステーションは高いので、お手軽で安いのを選択(5000円弱)。
 ワンルームにすむ者がなぜ無線LANルーターなんかを買ったのかというと…。


前略、


 インラインスケートで多摩川を滑ってみることにした。何年も前からやろうと思っていたのだが、なかなか腰が上がらなかった。
 最初に計画したときに自転車で調査したので、上流は羽村市の玉川上水の取水口のところまでしか行けないのは分かっていた。これより上流には自転車・歩行者専用道がないのだ。
 電車でJR青梅線羽村駅まで行って、多摩川へ出る。
 取水口からスタート(Google Map)。数十メートルは土で滑れないが、歩行者用の橋のあたりから舗装されていて滑れるようになった。
 舗装状態はとてもよく、気持ちよく滑れる。羽村大橋をすぎしばらく行くと、多摩川の河口からの距離、53キロを示すポストがあった。
 羽村市を出て、福生市に入る。

つづく



玉川上水の取水口


スタート直後の数十メートルは土で滑れなかった。


舗装道路スタート


羽村大橋


河口から53キロを示すポスト




 FONが日本上陸一周年だとかで無線LANルーターの大安売りをしていたので、すでに普通のものは持っているのだが、結局買った。
 FONは自分用と公共用のアクセスポイントを持つ無線LANで、自分用のものは当然セキュリティがかかっていて、公共用のものはFONルーターを持っている登録ユーザーなら誰でも使えるようになっている。自分の回線を開放するかわりに他の人の回線を使えるというわけ。
 スペインが本拠地で、日本語のサイトもあるのだが、翻訳がけっこういい加減。おかしな日本語より英語の方が分かりやすいかもしれない。
 あいかわらず無線LANは初心者で、接続の設定に加え、分かりにくいサイトでルーターの登録などもしなくてはならないのがうまくいかず(登録画面がなかなか出てこなかった)てこずった。
 ジェイルブレイクしていれば、まわりの電波からFONのものを探して自動的にログインするiFONというソフトもある。
 アパートの上階なので下まで公共用の電波が届いているか怪しいところですが、ぜひご利用を。


前略、


 天気がよくなかったりで時間が経ってしまったが、インラインスケート多摩川下りの後半をやった。
 前回は夕方までかかってしまったので、今回はちょっと早起きして前回の終了地点からスタート。河口までは約28キロ。
 土手から河原に下り、多摩川原橋をくぐりしばらく行くと競輪場の京王閣(Google Map)があり、京王相模原線をくぐる。その後、再び土手に上がる。
 調布市も府中市と同じくらい川沿いのサイクリングロードは整備されていて、約4キロと短いが状態のよい舗装がつながっていて全くストレスなく滑れる。
 調布市を出て狛江市に入る。

つづく



多摩川原橋


京王相模原線


河原から再び土手に上がる


調布市を出て狛江市に入ると…


前略、


ミャンマーを旅したとき記念にミャンマーのCDを買ってかえりました。
特にこれといって知っている曲も歌手もなかったので、途中の町で音楽カセットも売っている小さな電気屋さんの女性におすすめを聞かせてもらったり、ジャケットのセンスなどでSone Thin Parの「Min Ko」というアルバムを買いました(1750チャット=約230円)。
ミャンマーではそこそこ有名な歌手のようです。若い人なら名前をいうとだいたい知っていました。
ハスキーな声で歌もうまく、適当に買ったわりには当たりでした。アメリカのポップスのミャンマー語カヴァー曲などもあって楽しいです。

この歌手の名前を最初ミャンマーで教えてもらったときには耳で聞いただけだったので「ソンデンバー」とおぼえていました。そしてそれで通じていました。
日本に帰ってからインターネットならなにか情報があるに違いないと調べはじめたのですが、「ソンデンバー」で考えられるいろいろなつづりで検索しても全くヒットしませんでした。
ジャケットの画像を見ていただければ分かりますが、そこにはミャンマー文字しかなくラテン文字でどうつづるかはさっぱり分からなかったのです。
それでもミャンマー関連のサイトを探っているうちにやっと見つけることができました。
Sone Thin Par?
かなり自分のおぼえていた発音とは違ったつづりに驚きました。
ミャンマー語のラテン文字表記の読み方が分からないので本当の名前がソンデンバーより「ソン・ティン・パー」のほうが近いのかどうかは分かりませんが、とりあえずラテン文字表記が分かりさらに調べることが可能になりました。
アルバムのタイトルが「Min Ko」であり、収録されている曲のラテン文字表記も分かってiTunesに登録することができました。
さらにうれしいのか悲しいのかちょっと微妙なのですが、ミャンマーの曲がmp3できけるサイトも見つかりました。
MyanmarMp3.net(要登録)。
Sone Thin Parをはじめいろいろなミャンマーの曲が無料で聞くことができます。ミャンマー語ラップやQueenのカヴァーなどがあってなかなか楽しいですよ。

草々


前略、

iPodは第4世代になってメインメニューに「曲をシャッフル」というメニューが加えられた。iPodソフトウェアのヴァージョン3の機能なのだが、ぼくの持っている第3世代iPodには対応していない(そのうちに対応するのだろうか)。
実際にこのメニューがどんな機能を持っているのか詳細は知らないのだが、第3世代iPodでもiTunesのスマート・プレイリストで似たようなことができるだろうと思ってやってみた。

(以下、ぼくのマックはOSもアプリも英語環境にして使用しているので英語表示ですが、もちろん日本語環境でも同様に使用できます)


最初にシャッフルしたい曲のリストを指定して(スマート・プレイリストの項目で別のスマート・プレイリストも指定できる)

「Last Played is not in the last 4 weeks」などと最近かかった曲を除外して

「Match all of the following conditions:」で、これらのすべての条件に一致する曲を選んで

「Live updating」ライヴ・アップデイトをかけ

「Limit to 5 hours selected by random」曲数、時間などを設定して、もちろんランダムに選ぶ。

こうすれば、指定した曲が指定した数だけランダムに並んだプレイリストができあがります。
iTunesでこれを再生すると、最近かかった曲を除外していて、ライヴ・アップデイトがかかっているので、再生が終わった曲はその瞬間にリストから消えて、新しい曲が追加されます。

このスマート・プレイリストをiPodとシンクすれば、iPodの設定をシャッフルにしていなくても自分の好きなプレイリストをランダムにかけることができます。

ただし、iPodのなかではスマート・プレイリストのライヴ・アップデイトはiTunesと同じようには機能しません。
iTunesのようにプレイリストの再生中に曲が更新されるのではなく、再生中でもよいのでMENUボタンを押して、いったんそのプレイリストから出る(メニューなどに戻る)とリストが更新されます(再びプレイリストに戻るとすでに再生された曲がなくなっているのが確認できます)。
ただし、プレイリストの条件によってはリストから出てもリストが更新されない場合があります。この場合は次にiTunesとシンクしたときにリストが更新されます(どんな条件の時にこうなるのか研究中なのですが、まだ解明されていません)。

この機能の応用で時間を指定してリストを作る機能を利用して、たとえば「30分ミックス」とか「60分ミックス」などの「時間指定ミックス」を何種類かつくっておけば、プレイリストの曲が終わったところで指定した時間がたったことが分かるので便利でしょう。もちろんリピートの設定ははずしておく必要があります。
ただし、この機能はiTunesでは使えません。ライヴ・アップデイトがかかっていると、つぎつぎと新しい曲が追加されるので再生に終わりはなく、ライヴ・アップデイトがかかっていないとプレイリストはずっと同じままなので役にたちません(「スマート・プレイリストを編集」すると更新されますが)。

草々

[追記]ぼくは音楽ファイルのタグの「grouping」の欄に音楽の国籍やら性別やら特徴を書き込んでスマート・プレイリストの選別に利用していたのですが、この「grouping」を使ったプレイリストが、上記のiTunesにシンクするまで更新されないリストに当てはまるようです。今しばらくいろいろ試して検証してみます。


前略、


 丸子橋を渡って大田区に入る。しばらくは舗装がない。左岸に戻るのは丸子橋ではなく、もうひとつ下流のガス橋にしたほうがいいかもしれない。
 新幹線とJR横須賀線の鉄橋に近づくと舗装復活。鉄橋をくぐって、土手に上る。土手の道をしばらく行くと舗装がよくなり、道が二本になったりする。
 ガス橋をくぐり、多摩川大橋をくぐる。この辺りは舗装もつるつるで気持ちよく滑れる。対岸に怪しいアンテナ(実はラジオ日本のアンテナ)が見えてくる(Google Maps)。

つづく



新幹線とJR横須賀線の鉄橋


鉄橋をくぐった後、土手に上る。


木が植えられ、舗装がきれいになり、舗道が二本体制になる。


ガス橋


多摩川大橋


舗装がつるつるになり気持ちよく滑れる。


すっかり更新しなくなったウェブサイトだが、ちょっとしたきっかけでデザインを変更してみた。
シンプルにしたいと思っていたのに、中身はけっこうぐちゃぐちゃだ。
場所もサブドメインから大元に持ってきた。
個別の記事はリンクが切れないようにしたつもりだが、その他の記事にはリンク切れなどがあるかもしれない。
模様替えを機に古くなったので削除したページもある。
またちょこちょこ手を入れていこう。


前略、

ラホールからバスに乗ってインドとの国境へ。
パキスタンの出国は簡単に済んだ。そこから長い一本道をとぼとぼと歩いて国境を渡りインドに入る。その道はあまり仲のよくない両国間の唯一の陸路で渡れる国境だった。
インドの入国も全く厳しくはなかったが、ちょっと面白いことがあった。
審査の時、入国カードに所定事項を書き込み係官に渡すと彼はぼくにいくつか審査のためのありきたりな質問をしてペンを貸してくれといった。
ぼくがペンを貸してやると彼はそれで用紙に何かを書き込んだ。
「オーケー」
係官はそういい、ぼくに行くように促した。
「ペン」
彼がぼくのペンを持ったままなのでぼくはそういって返すよう促した。
「プレゼント?」
彼はそうするのが当たり前のような口振りでそういいペンをせびってきた。ぼくはもちろん断ってペンを取り返した。

これまでもエジプトなどで何度か子供たちからペンをねだられることがあった。戦後の日本の「ギブ・ミー・チューインガム」のようなものだろうか(ちなみにエジプトの人はPの発音が苦手なので「BEN! BEN!」といっておねだりをしてくる)。
子供がチューインガムやチョコレートなどのお菓子をねだってくるのならかわいげがあるのだが、決まってペンをねだってくるのがよく分からない。確かに日本などで作られているボールペンは品質がいいのだろうが、小さな子供がボールペンをもらって特にうれしいわけでもないだろうし何本も持っていたって仕様がないだろう。ボールペンを一本使い切ろうと思ったら大の大人でもけっこうかかるものである。ということは彼らは転売を目的にしているのだろうか。
聞いたところによると旅行者の中にはボールペンを何ダースもわざわざ自国から用意してきて彼らにバラまく人もいるらしいので、子供たちは特にペンでなくてもくれるならなんでもよくて旅行者はペンなら簡単にくれるというのでペンをねだり、旅行者のほうは子供たちはペンをもらうとよろこぶということになって悪循環にはまっているのではないだろうか。
ぼくはわざわざあげるために買って持っていくならボールペンじゃなくてお菓子などにしたほうが子供は喜ぶと思うし、もし彼らが転売してお金に変えているのなら、そんなパチンコ屋の景品交換のようなまわりくどい方法はやめてチップをあげればいいと思う。

インドの国境でペンをせびってくるまるでかわいくないこのおっさんの係官は他の国の子供たちとはちょっと違う。
作家の沢木耕太郎が自身のインドからイギリスまでのバスの旅を描いた『深夜特急』という作品の中で彼はこの同じ国境を反対方向へ通っていて、彼もここで係官にペンをせびられている。やりとりもほぼ同じなのだ。
彼がこの場所を抜けたのは1974年ということなので、彼らは少なくとも20年毎日そこで旅行者にペンをせびり続けていたということになる。
ぼくが係官に貸したペンは財布の中に入る小さな安っぽいペンでそれを見た時、彼はあからさまに嫌な顔をした。最初からもらうつもりで借りているので安っぽいペンに失望したのだ。それでも彼はそのペンをせびってきた。そこでは伝統的に旅行者からは必ずペンを借りてせびらなければならないと言い伝えられているのかもしれない。
ひょっとしたらその係官は20年前に当時の沢木耕太郎青年にペンをせびった係官と同一人物かもしれない。

草々


6月10日(土)薄曇り
 未明に雨は止み、出発。
 走っている途中で自転車のスピードメーターがまた動かなくなっていることに気が付いた。ちょうど仙台市を通るので新しいメーターを買おうと思ったのだが、うまく大きな自転車屋に行き当たらず(詳しい地図は重くなるので持っていない)、どんどん進んでいるうちにいつの間にか、またメーターが動き出していた。雨に濡れたのが動かなくなった原因のようだ。センサーが雨に濡れて動かなくなり、乾くとまた復活するらしい。30キロぐらいはカウントしていなかったようだ。
 松島へ。さすがになかなかいい景色だ。
 さらに進み、東松島のカンポの宿で温泉に入り、野蒜海岸でテントを張った。
(27.3km/?h?m・計745.0km 動かなくなっていた分ははいっていない)


前略、



 もうひとつ気になっていたのが、同じツヴィリング社のツインSというタイプ(右)。
 折り畳み方がより洗練されていて、フラットに、さらに薄くなる。こちらは3600円ほど。
 こっちもほしくなったので、今度は都会にある別の小物屋に行くと、この爪切りと同時にまたしても見つけてしまった(左)。

 むむむっ…。前回買ったものはドイツでは一般的なデザインでいろいろな会社からほぼ同じ形の爪切りが作られているようだったのだが、これはオリジナルなものと思っていたのに。こんなにそっくりなものがあるなんて。店ではこの日本の貝印社の商品は2600円くらいで売っていた。
 始めてこれを見たときは、全く同じものだと思った。日本で作ったものをドイツに供給して相手先ブランドで売る、いわゆるOEMというやつなのだと。あるいはその逆か。それだったら同じものをわざわざ高いお金を出して買うことはないと思った。
 しかし、よくよく見てみるとそれぞれのブランドのロゴやマークが彫ってあること以外にもハンドルの溝やヤスリの付け方などの差異があったので、やはりこれらは違うものだろうと結論した。つまりはこの貝印はパチモンだと。
 で、今回はオリジナルのツヴィリング社のものを買った。
 でも現在メインで使っているのは、前回紹介した韓国製のほうである。最初の方にもかいたが、ぼくは深爪しておくタイプで爪の両端の肉との境の部分に爪切りの刃を食い込ませるので、ツインSのほうはデザイン上、刃の部分が太くて使いにくかったのだ。
 コンパクトなのでかばんの中に常に入れている。

草々





 iPod nano 2GBとRadioSHARK 2。
 ハードディスクのアイポッドがこわれて、しばらく音楽プレイヤーなしで過ごしていたが、やはり新しいのがほしくなった。ここでちょっと問題あり。パソコンが古く、USB2.0に対応していないのだ。前のアイポッドはファイヤーワイヤー接続とUSB接続に対応していたが、新しいアイポッドはUSB接続にしか対応していない。
 調べてみると、転送速度がどうしようもなくとろくなるが、古いUSB1.1でも使えるというので、アイポッド・ナノ(第2世代・2ギガバイト)を購入。最初の空っぽからの転送は時間がかかるが、その後は変更されたものが転送されるだけだし、どっちにしろ充電のためにしばらくは接続しておくものなのでそれほど面倒というほどでもない。
 レイディオシャーク2(グリフィン・テクノロジー)は、パソコンにUSB接続してFMやAMラジオ放送を聴いたり、録音したり、留守録する周辺機器。
 最初のレイディオシャークの販売予告がアメリカででていたころから注目していた[記事 1・2・3]。しかし、開発の終盤でトラブルでもあったのか近日販売の予告が出たまま、1年近く販売されず、やっとアメリカで発売になったと思ったら日本のFMの周波数帯に対応していなくて買えず、レイディオシャーク2にモデルチェンジしてついに日本のFM周波数帯に対応して、数年越しでやっと買うことができた。
 パソコンに接続したレイディオシャーク2を専用のソフトで操作してラジオを聴くことができる。もちろん録音もできるし、予約録音も無制限(何年先でも何番組でも)にできる(ただしパソコンの電源は事前にはいっていなければならない)。もちろん録音した番組はアイポッドに転送して聴くことができる。
 アイポッドで聴いているのは音楽より、ポッドキャストやレイディオシャークで録音したトーク番組などの方が多い。
 こちらのほうもつないでいるマシンが古いため、少々問題がある。USB1.1接続は問題ないのだが、パソコンの処理速度が遅いため、ラジオの録音をしている時、他に何もソフトを使っていなければ問題はないのだが、録音と同時にほかのソフトを使っていると重たい処理の時に録音が音飛びしてしまう。
 またレイディオシャーク2本体のラジオの感度はあまりいいとはいえない。FMはアンテナ(イヤフォン端子と共用なので100円ショップのコードの長いイヤフォンを代用)を接続して、屋外(ベランダ)に出してやるとかなり改善した(最初はFMもモノラルでしか受信できないのかと思った)が、AMは窓際には置いているが、地元の局でも入りづらいところがいくつかある。
 テレビのほうはデジタル完全移行が進行中だが、ラジオはどうなんだろう。一応デジタルの試験放送は始まっているらしい。FMはもともと受信範囲が狭いからデジタル放送に置き換わるかもしれないが、受信範囲がとてつもなく広いAM放送はなくならないんじゃないかと思うのだが、どうなんだろう。


前略、

サンタ・モニカからサン・ディエゴを廻り、ロサンゼルス経由で早朝にラス・ヴェガスのバス・ターミナルに到着した。1時間ほど明るくなるのを待って安宿に投宿し、夜行バスでよく眠れなかったので早速ベッドに入った。
昼過ぎに起きてまわりをぶらぶらして宿に帰って旅人たちと話をしていたら、英語の「エイ」というところを「アイ」と発音する男がいた。オージー(オーストラリア人)かと思って尋ねたら、イギリス人だという。では、ロンドンからかと聞くと、そうだと答えた。
エディというその男は25〜30歳くらいで、国では牧場で働いていて牛の乳を搾ったりしているらしい。彼と話しているうちに彼はこの後、レンタカーを借りてグランド・キャニオンに行くつもりだということが分かった。

ぼくもこの後はそこへ行くつもりだったので、彼に車代をシェアするから一緒に乗せていってくれないかと頼むと、彼はすぐにオーケーしてくれた。その後、同じ宿にいたドイツ人も行きたいというので、みんなでシェアして次の日にでも出発しようと、話はとんとん拍子に進んだ。

その夜はカジノ見物ヘ。「サーカス・サーカス」などを見物する。
次の朝、エディに起こされてグランド・キャニオン行きを1日延ばして次の日にしたいといわれる。こっちは全く急いでないので、いいと答えて、そのまま再び眠った。
昼前に起きて、昼食をエディと食べに行く。ここではコンヴィニエンス・ストアのセヴン・イレヴンにもスロットマシンがある。彼は前の晩、カジノでスタッド・ポーカーをしてかなり儲けたということだ。

ラス・ヴェガスは砂漠の真ん中にある街なので毎日晴天だった。そこは周りの全く不毛な土地に比べれば、少しは「肥沃な平原(Las Vegas=スペイン語)」だったらしい。そんな明るい太陽の下で、ぼくは日光浴、エディはやたらと電話ばかりしていた。掛ける金もない旅人は明るいうちからカジノに行く気になんかならないのである。
宿でエディと雑談をしていたら、彼の財布からイギリス・ポンドの紙幣が出てきた。彼はそれをぼくに見せ、ぼくにも日本のものを持ってたら見せてくれないかというので、荷物の底から引っ張り出して1万円札を彼に見せてやった。

その日の夕方になって、エディがモーテルに宿を移ろうと言い出した。明日はグランド・キャニオンに向けて朝早く出発したいから、そのほうが便利だというのだ。ぼくはモーテルに沿まるほどの余分な金はないからといって反対した。
彼は宿代は自分が出すからというので、そこまでいうのならと近くのモーテルに移った。
夜になると、外出していたエディが帰ってきて、面白いバーがあるから行かないかと誘ってきた。少し行ったところにトップレス・バーがあるそうだ。モーテルの時と同じ理由で断る。 すると、彼はまた金は自分で出すからといい出した。
その日、彼はやたらと気前がよかった。カジノでよほど儲けたのだろう。結局、それまで泊まっていた宿で一緒だったスウェーデン人も誘って行くことになる。

バーはフロアに三つほどの小さな円形のステージがあって、そこで女の子が順番に入れ代わりながら踊り、客は酒を飲みながらそれを見物するようになっている。バーは大しておもしろくなかった。胸ばかりやたらでかい白人娘の裸を見ても全くいやらしい感じがしないし、それに裸といっても見せるのは胸だけなのである(これはトップレス・バーなのだから当たり前)。
女の子はエディがチップをはずんだので、我々の目の前で踊ってくれたりしたが、ぼくは退屈していた、全く退屈していた、本当に退屈していた。本当だ!
やがて、やはり退屈したのかスウェーデン人が先に帰り、しばらくして我々も店を出た。エディは自分はカジノに寄って行くがといって、ぼくに先に帰るかと尋ねた。ぼくはエディがどんな風にカジノで儲けてるのか見たいと思ったので一緒に行くことにした。
エディはしばらく手を上げてタクシーを止めようとしていたが捕まらず、しばらくして金を補充するために、一旦モーテルに帰ることにした。ぼくとエディは歩いてモーテルに戻り、エディはポケットから鍵を出すと部屋のドアの鍵を開けた…

つづく


 知り合いとメールアドレスの交換をしたら見たことのないドメイン名だった。
 @live.jp ってどこのだろう。
 ウィンドウズ文化のことを知らないので、これがウィンドウズライヴで取れるメールアドレスであることを知らなかったのだ。昔、よく海外旅行にいっていたころに取ったホットメールのアドレスはとっくの昔になくなってしまった(昔は30日ログインしないとアカウントがなくなってしまったのだ)。
 ウィンドウズだろうがなんだろうが、短いドメイン名はいい。短縮URLサービスも最近は一番メジャーな tinyurl.com ではなく、もっと短い tr.im を好んで使っている(.im はマン島のドメインで、イギリスとアイルランドの間にある自治権を持つイギリスの属国だとか)。
 で、ぼくもなんか短いアカウントで live.jp のメールアドレスを取ってみることにした。
 さすがに大メジャーなサービスなので、目ぼしい短いやつは取られてしまっている。
 orz@live.jp、o.o@live.jp、oxo@live.jp など取りたいなと思っていたのは全部とられている。ま、それでもまだ三文字アカウントでも取れるのがあって、そこそこ憶えやすいのを取ってみた。
 もっと短いのはないだろうか。
 検索してみると短いドメイン名のフリーメールサービスはあるにはある。が、あまりにマイナーなサービスはいつ終わるか分からないので信用ならない。
 おお、あったぞ。aol.jp!
 超メジャー!(かつてはね…。完全に落ち目でむしろあぶないかな…)
 live.jp や本家 aol.com より一文字短い。
 しかも、この aol.jp は今年になってから登録が始まったらしく、三文字アカウントもいろいろ取れるのが残っていそうだ。
 orz@aol.jp はすでに取られてた。でも、まだけっこう未登録のがあってどれにしようか迷ってしまった。
 とりあえず live.jp と aol.jp でひとつずつ取ってみた。両方のサービスともpopは付いてる(aolはimapも)が、転送サービスが付いていないのは困りもの。
 短いメールアドレスは便利だけど、スパムにすぐ狙われそう。この記事で取りあげたorz@live.jpや、o.o@live.jp、oxo@live.jp、orz@aol.jpなども、このページをメールアドレスを自動でさがすロボットに読み取られてしまったら、スパムが送り付けられちゃうのか。いや、申し訳ない。

追伸(2009.08.11)、tr.im、つぶれました。が〜ん。