レギンスから芋づる式に引き出されてくる疑問。
そのまえに前回の記事のきっかけとなったサイトを紹介するのを忘れていました。
今やファッションアイテムの定番と化した「レギンス」。
レギンスは体にぴったりしたパンツで、ちょっと昔は「スパッツ」と言っていたもの。
じぁあ、スパッツからいくか…。
スパッツ 【spats】
(1)⇒レギンス
(2)靴の上からつけて足首の上まで覆うカバー。19 世紀末頃流行。
(3)靴の上からつけて膝下まで覆うカバー。耐水性のある素材などで作った保温用のもので,登山時に着用する。
スパッツ[2]
(1)伸縮性のある素材で作った、脚にぴったりつく長いパンツ。カルソン。
(2)靴の上からつけて足首の上まで覆うカバー。一九世紀末ころ流行。
[スパッツ – Google イメージ検索]
spat[3] /spæt/ –noun
a short gaiter worn over the instep and usually fastened under the foot with a strap, worn esp. in the late 19th and early 20th centuries.
[Origin: 1795–1805; short for spatterdash]
spat·ter·dash /ˈspætərˌdæʃ/ –noun
a long gaiter to protect the trousers or stockings, as from mud while riding.
スパッツ(というか単数のスパット)はパンツタイプのものではなく、それぞれの足首のあたりに装着してズボンの裾をカバーするもので、靴の上から履いて土踏まずのところにストラップが付いたりするようなものらしい。しかもスパッツというのはスパッターダッシュという言葉の略語らしい。
レギンスも前回の英英辞書の訳を見ると、単数のレギングだとこのスパッツと似たようなものを指すようだ。複数形のレギングズだとパンツタイプのものになる。でもスパッツはパンツタイプのものを指すものでは全くないようだ。昔、スパッツといえば土踏まずのところにストラップがあったりしたから、このへんの共通点でスパッツと呼ぶようになったのだろうか。
ああ、そういえばビリー・ワイルダー監督の映画「お熱いのがお好き」にはスパッツ・コロンボというギャングが出てきてスパッツを付けていた。しかもこれがストーリー上重要な意味を持っているところがビリー・ワイルダーらしいところなのだが、これはまた別の話…。


女性のハイヒール用のスパッツもあるようだ[画像]。
[spats – Google Image Search]
前略、
iTunesを使って音楽をマックに入れ、iPodで外に持ち出せるようになったら、スティーヴ・ジョブズのいうところのデジタル・ハブとしてマックに次にほしいのは何だろう。
ぼくはもうテレビはまったく見ないのでそっちのほうは興味がない。逆にラジオをよく聴くようになったのでマックにつなげることができるラジオがあればとても便利だ。気に入った番組をまるごとエアチェックしてmp3にすればiPodで外でも聴くことができる。
コンピューター対応のラジオはさがせばないことはないが、どれも帯に短し…、という感じだ。必要以上に多機能で高価だったり(これも)、携帯型シリコンmp3プレーヤーとの一体型だったり、どうもしっくりこない。
Griffin TechnologyのradioSHARKはぼくの探していたものに一番近いUSB接続ラジオだった。マック対応だし、タイマー録音はできるし、AMとFMの両方に対応している。値段もお手ごろだ。
しかしこいつには大問題がある。発売していないのだ。
Shipping soon(近日発売)とかかれたウェブページはもう1年近くそのまんまだ。いったい何が問題なのだろう。なにか解決できない不良があるのだろうか。AM対応というのに無理があるような気もする。AMラジオをコンピューターやモニターに近づけるとものすごいノイズがするし。
もうこの製品は永遠に発売されないのではないかと思いはじめている。
かわりにiPodにつけてFMラジオが録音できるなんてアタッチメントがでればいいんだけどな。
草々
前略、
外来語の反乱が指摘され始めて、すでにかなりの年月が経ちます。これまで指摘を受けてきたその反乱軍の主力はほとんどが英語でしたが、最近になってフランス語やスペイン語、イタリア語なども増えてきているようです。これは商品名などに特に多いことから、英語に手垢がつきはじめ、新鮮さやかっこよさが失われてきた結果ではないかと考えられます。
「チョッキ」と呼ばれていたものが「ヴェスト」(vest/英)と呼ばれるようになってもうかなりになりますし、「ジャンパー」(jumper/英)と呼ばれていたものは、今では「ブルゾン」(blouson/仏)と呼ばれています(正確には全く同じものではないようですが)。
今、使った「チョッキ」という言葉ですが、何語だと思いますか。固有の日本語ではなく外来語くさいというのはカタカナで書くことからも推測できますし、英語ではなさそうだというのも分かりますが、昨日今日出てきたはやりもの外来語ではなく、完全に日本語になじんでしまっているので何語なのか、語源は何なのかなどということがほとんど意識されなくなっているのです。
ちなみに、「チョッキ」というのは、ポルトガル語のjaqueが訛ったもので、上着という意味です。
今回はこのような日本語になじんでしまって元が分からなくなっている外来語や、意外な国からきている外来語を紹介します。
外来語を少し調べてみると、日本語になじんだ外来語というのは、英語からのものは非常に少なく、いくつかの特定の国からきたものが多いことが分かります。それらの国は早くから日本と接触があったため、その言葉は長い時間をかけて日本になじんでいったのです。
それらの国というのは、先程の「チョッキ」の語源の国であり、キリスト教の布教にかけてはどこの国にも負けなかったポルトガルと鎖国の江戸時代の中での数少ない接触相手だったオランダです。
まずは、ポルトガル語起源の外来語から見ていきましょう。(以降に出てくる単語の読みはあまり信用しないでください)
カルタ(歌留多) carta[カルタ] 手紙、トランプ。英語のcard。
カッパ(合羽) capa[カパ] マント、カバー
コンペイトー confeito[コンフェイトー] 砂糖菓子
ビードロ vidro[ヴィドロ] ガラス
「ピンからキリまで」の…
ピン pinta[ピンタ] 小さな点。英語のpoint。
キリ cruz[クルス] 十字架
「このアマ、ふざけやがって!」の…
アマ ama[アマ] 乳母
シャボン sabao[サボン] 石鹸
じゅばん(襦袢) gibao[ジバン] 胴衣、上衣
チャルメラ charamela[シャラメラ] 木管楽器の一種
バッテラ bateira[バテイラ] 舟、ボート。舟型の入れ物に入れて作るから。
ボーロ bolo[ボル] 球、ケーキ
ボタン(釦)botao[ボタン] ボタン、芽、つぼみ
他にはジョーロや天麩羅などもポルトガル語起源なのですが、語源である単語が定まっておらず、いくつかの説があるようです。外来語なのに漢字で書ける単語が多いというのは、中国経由の外来語以外では他にあまり例を見ません。ポルトガル起源の外来語の馴染み具合、古さが感じられます。
次はオランダ語からの外来語です。
カラン kraan[クラーン] 栓、蛇口
ゴム gom[ゴム] ゴム
コップ kop[コップ] コップ、頭部
スコップ schop[スホップ] スコップ、シャベル。ちなみに、シャベルはshovelで英語。
ズック doek[ドゥーク] 織物
「博多ドンタク」の…
ドンタク zontag[ゾンタフ] 日曜日。だから、半分休みの土曜日は、半分日曜→半分ドンタク→半ドン
ビール bier[ビール] ビール
ピント brandpunt[ブラントプント] 焦点。英語ではfocus
ポン酢 pons[ポンス] 橙などの柑橘類の絞り汁、パンチ(現地ですでに死語となっている)。
パンチとは飲み物、「赤玉パンチ」のパンチ(これもほぼ死語ですね)。パンチのほうの語源は、茶、アラク、砂糖、レモン、水の五種のものを混合したインドのカクテルの名前で、ヒンディ語の「5」を意味するpanch からきている。
マドロス matroos[マートロース] 船員
メス mes[メス] ナイフ、小刀
ランドセル ransel[ランセル] 背嚢、ナップサック
カルキ kalk[カルク] 石灰
ブリキ blik[ブリク] ブリキ
レッテル letter[レテル] 文字
ポマード pommade[ポマード] ポマード
日本語に馴染んでるといえば、やはり以上の二カ国の言葉が多く、以下に紹介する国の外来語は、外来語臭さが抜けきっていないものも多いですが、意外な感じがするものも多いはずです。
つづく
草々
総務省による大手キャリアなどへの禁止行為
「回線契約とひも付く端末購入時における2万円を超える利益提供」
つまり、端末のみ購入の場合と、回線契約をした端末購入との価格差が20000円以上あってはならないということ。
ケータイ販売店が回線契約に伴いいろいろなんだかんだサービスや割引をして1円で売り出された端末は、回線契約なしの端末のみの場合はプラス22000円(税込)で買えるということ。
端末だけの販売を拒否することも禁止されています。
1円で買えるようになってる端末はだいたいは中級か型落ちのたいしたことないスマートフォンが多いのですが、たまにそこそこの中高級機種が出てくることがあります。
記事執筆時点ではiPhone SE(オフィシャルストア価格 62800円)やPixel 6a(同 53900円)などが1円+22000円で販売されています。
Pixel 6aは2ヶ月前に発売開始されたばかりの最新機種です。
いまはキャリアで買った端末にもSIMロックはかかっていませんから、オフィシャルストアのSIMロックフリーモデルと全く同じものです。
ただし、このいい機種の1円販売はどこの店でもやってるわけではありません。しかもネットで宣伝しているところはほとんどありません。
店頭まで行ってはじめてわかるのです。
記事執筆時点でau系の店でよくこの手の割引をしているという情報を聞き込み、自転車で近所のauショップを回ってみることにしました。
最寄りの店はダメだったのですが(9800円だった)、少し離れた店に行くといきなり1円の店が見つかりました。
ただ料金を宣伝するポスターに「入荷予約受付中」と書き足されていました。在庫がないようです。本当に本当にないようです(笑)。
つぎに比較的大きな町の駅周辺に3つもauショップがあるところへいってみました。競争があって1円のところが多いんじゃないかと思ったのですが、全くだめ。どこもしょぼい機種しか1円になっていませんでした。
さらに駅から離れた街道沿いのショッピングモール内の店に。ここは正確にはauショップではなく、UQモバイルも扱うUQスポットという店。店の規模も小さくモールの中のすみっこにこじんまりとあり、探すのも大変な店でした。
が、ここでビンゴ! みつけました。1円! Pixel 6a のほか iPhone SE も。
もしあなたが1円で他社からの乗り替えを考えているなら、なんの問題もありません。店員さんにそういえば店員さんは喜んで手続きをしてくれることでしょう。
ただぼくは回線契約をするつもりはありません。SIMロックフリーの端末のみがほしいのです。
お店は端末代が1円でも他社から乗り換えて回線契約さえしてくれれば月々の料金からどんどん取り返せるので大満足、それこそがこのキャンペーンの目的です。
しかし販売価格5万円を超える端末を22001円で売り切ってしまっては明らかに損。しかし決まりで22000円以上高くすることはできない。端末のみの販売をしないわけにもいかない。どうすれば損を減らせるか。
端末のみの販売を拒否するしかない……。
ここで店と客の知恵比べがはじまります。
まずはネットで敵の作戦を調べます。
敵の販売拒否の二大作戦は、
「在庫がない」と「割引しない」
のようです。
あからさまに「端末のみでは売らない」とはっきりいう店もあるようですが、穏便に断るには在庫がないというのが一番角が立ちません。
「割引しない」のほうははっきりいわれると、もうこちらはそれは違反だろとしかいえないので、それで押されると、こちらは総務省に通報するくらいしかやることがないかも。
ネットを見ていると、店側のあまりな態度に喧嘩腰で対抗して押し切ったような報告も載っているのですが、できれば穏便に済ませたい。
ただ相手の「在庫がない」作戦はこちらでなんとか回避することができるかもしれません。
個別のauショップのサイトに行くと、機種の予約ができるようになっているので、1円を確認したら、サイトからその機種と訪問日時を予約してしまえば、けっこう外堀は埋められます(それでもサイトの更新が遅れていてもう在庫はないとかいわれることもあるようですが)。
今回もネット予約しようとしたのですが、敵もさるもの、サイトの予約できる機種にPixel 6aが載っていませんでした。
こうなったら直接乗り込むしかありません。
実際に行った作戦で解説します。
まず店頭のポスターで1円を確認。
最初のお店ではここに「入荷予約受付中」とあったので詰んでいましたが、ここにはありません。
「Pixel 6a に変えようと思っているんですが、在庫はありますか」
ここで訊かれた店員はびっくりするほど予想通りの答えを繰り出しました。
「どういった契約をお考えですか」
質問に質問で返すずるいやり方。
もちろんここで「端末のみの購入を考えています」などと答えると、しばらくお待ちくださいと確認するような猿芝居を始め、在庫はありませんといわれるのが落ちです。
こういうずるい手を繰り出してくるなら、こちらも同じく猿芝居で返すしかありません。
「今ドコモなんで、乗り換えか新規で……」
店員さん、在庫を調べ、在庫ありますと答えてくれました。
まずは第一段階、在庫があることを認めさせることに成功。
このあと、どうでもいい質問をいくつか繰り出した後、頃を見て、
「ポスターに端末のみの購入もできますって書いてありますが……」
と今気付いたかのような渾身の小芝居。店員さんは端末のみだと1円ではありませんが、などとわかりきったことを答えてくれるので、
「端末のみだといくらになるんですか」
ここの店員さんは正直なかたで22001円ですと教えてくれた。
ひどい店だと端末のみ販売用の在庫は、回線契約用とは別になっていて在庫切れですなどと断ってくるところもあるらしい(もちろんうそ)。
「ああ、だったら端末のみでもいいかなあ……」(棒読み)
とここまでいけば、店員さんが販売を拒否することは難しいはず。
「じゃあ、端末のみでお願いします」
小芝居合戦に勝利。買えることになりました。
が、ここで思わぬ壁が突如現れました。
もともと1人1台限りとはポスターに書かれていましたが、サポートともちろん転売対策なのでしょう。購入時にau IDを作ってくれといわれました。
au IDを作るにはショートメッセージの受けられるケータイが必要なのですが、普段使っているスマートフォンはデータsimしか入っておらず、通話用の端末は家に置いてきていたのです。
au IDを作ってくれないと売れないといわれたので、その日は退散です。一応取り置きはしてくれると約束してくれたので後日受け取りに行くことになりました。
つまり、auではショートメッセージの受けられる端末を持っていないと、端末のみの購入はできないということです。お気をつけください。
ここでもこのお店は比較的良心的といっていいでしょう。取置きはできませんといっておいて、顔を覚えておいて後日来たら在庫切れですといえばいいのですから。
というわけで、日を改めて再びお店に。
最悪の場合、店員さんが代わっていてそんな取り置きは知らないととぼけられるとかがあるんじゃないかと恐れながら行きましたが、普通に買えました。22001円。
最後はau ID のほか、ダメ押しに身分証明書を求められました。もちろん持っていってましたが、回線契約のないただケータイ電話を買うだけでそこまでしますか。
そして、最初お店に行った時にはあった一括1円のポスターはこのときにはもうなくなっていました。
7月28日発売の定価53900円のPixel 6aが発売2ヶ月後に22001円で買えましたというお話でした。この店の損失は回線契約をしたユーザーの皆さんが毎月少しずつ補填してくれることでしょう。
めでたしめでたし。
前略、
多摩橋をくぐるとすぐに多摩中央公園(Google Map)に入ったが、ここも舗装がない。少し歩くと土手に上がる坂道から舗装が復活した。土手に上がるとカッパの銅像があった。
再びなめらかな舗装道路を滑っていき、JR五日市線の鉄橋をくぐる。このあたりからは路面がやや荒かった。
睦橋をくぐる手前で一瞬車道に出て、車道の下のトンネルをくぐると、福生南公園(Google Map)に出る。
この公園には状態のいい舗装道路がずっとついていた。
この公園を出ると福生市から昭島市に入る。
つづく
多摩中央公園に入ると舗装がなくなる。
土手に上がる坂道から舗装が復活
カッパの銅像
JR五日市線の鉄橋
睦橋
睦橋をくぐる手前で一瞬車道に出る。
福生南公園
福生南公園の出口。その先から昭島市
前略、
ブダペストから列車でルーマニアに入国した。
査証はチェコのプラハで取った。ルーマニアの査証は当時、国外で取っていかなくても、国境の駅で無料で発給されることになっていた。それにもかかわらずわざわざ他国の大使館に出向いてまで取りにいったのは、これまでの東欧諸国と同様、この国の官吏も腐敗していると聞いたからである。
この国に査証を持たずに入国すると、入国の係官は査証を発行するために必ずといってもいいほど査証代を請求するというのである。無料だということを知っていると反駁しても知らん振りをするか、その決まりは変わったと言われるのが落ちで、査証をもらえなければ入国できないという状況では彼らのほうが圧倒的に立場が強く、その時に旅人にできることといったら査証代を値切ることぐらいだといわれていた。査証代は直接彼らのポケットに入ってしまうので、料金は時によって違うし、値切ることができるということだった。
彼らの魔の手から逃れるのは難しいが、中にはその係官の写真を撮って、「金を取る積もりなら上役に言いつけるぞ」と、逆に脅して無料で発行させたという旅人もいた。
またハンガリーから査証を持っていったのにもかかわらず、ルーマニアへの入国を拒否され、ハンガリーに送り返されてしまったという日本人にも会った。彼のハンガリーの査証はシングルエントリーのものだったので、出国したことでそれはすでに失効しており、送り返されたハンガリーでも彼は入国を拒否されてしまった。
彼はハンガリーの係官に泣き付いて、その係官の思し召しによって、なんとかその時の出国記録をなかったものにしてもらいハンガリーに再入国できたが、もうちょっとで彼は残りの生涯のすべてをハンガリーとルーマニアの国境で過ごさなければならないところだった。
昼過ぎにハンガリーの国境駅に到着、出国は問題なし。さらに移動してルーマニアの国境駅に入った。停車すると列車の周りは騒々しくなった。車窓からは目立つ迷彩服を着た男たちがうろうろしているのが見えた。
ルーマニアの税関と入国審査はこれまでのどの国のものより徹底していた。とにかく、やけにいろいろな係官がコンパートメントに入っては出ていくのだ。
最初は二人組の男たちが来て、列車のコンパートメント内のカーテンの裏やテーブルの裏などを簡単に調べて1分足らずで出ていった。
次に別の二人組が椅子の下を開けて何か隠した物がないかを調べて、またすぐに出ていく。
今度は税関が乗客の荷物の中を軽く調べ、所持金の額を尋ねたが、出して見せろとは言わなかった。
さらに別の係官が来て、審査。普通は本人に書かせる出入国カードをいちいち一人ずつ係官が記入していった。
その後にアタッシェ・ケースを持った査証発行係らしき女性が来て、やっとお終いというわけである。
特にトラブルはなかったが、税関が来た時には、同じコンパートメントのルーマニア人で、国内で売りさばくためにハンガリーで買ってきたらしい荷物を山ほど持ち込んできていた個人国境貿易商人の男が、慣れた手つきで税関吏に10ドイツ・マルク札を渡そうとしているのを目撃した。その係官はそこでは受取らなかったが、その時に彼がぼくのほうをちらりと見て、「…ジャポネーズ…」などとぶつぶつ言っていたのは、「そこの日本人が見てるから、後で…」などという意味だったのかもしれない。
列車を入国させるたびに、5つのグループに分かれた大した役割もない7人もの係官が、時間を掛けて車両の全員を調べているの見ると、馬鹿馬鹿しいとも思ったが、自分に被害が及んでこない限り、それはその昔は他の共産圏でも行われていて、もっと徹底していただろうと思われる消えゆく神聖な伝統の儀式を見ているようで面白かった。
草々
羽田空港へ人を見送りに行き、はじめて外からアイポッド・タッチでメールを送った。
空港内には有料の無線LANはかなりあるようだが、無料のものは何ヶ所かにあるエアポートラウンジがフリースポットに対応しているぐらい。そのエアポートラウンジも利用自体が有料なので、そこに近づいてもれてくる電波を利用した。
第二ターミナルの出発ロビーは二階にあり、中三階のようになっているところにあるエアポートラウンジが上に見えている。出発ロビーからそこへ近づくと、アンテナが三本中二本立ち、通信を確立できた。しかし、つながりはかなり細くとぎれとぎれでしか通信できなくて、サイトの閲覧やメール送信をするのはかなり時間がかかった(送信は何度か再試行しなければならなかった)。
たまには国際線も発着している空港だというのに、無料の無線LAN環境がこんなに貧弱なんて、がっかり。
前略、
シリアからトルコへ。
イスタンブールには前回の旅で来ていたこともあってのんびりと過ごした。
だが、その頃そこで滞在するにはちょっと注意が必要だった。観光客を狙ったある犯罪が増えていたのだ。
ルーマニアの友人はトルコに行くと催涙スプレーを吹き掛けてくるような強盗がいるから絶対行くなと忠告してくれた(トルコは近隣国の人たちにたいがい評判が悪い)が、イスタンブールにはそれに近い睡眠薬強盗というものがはやっていた。
旅行者のカモに同じ旅行者などを装った犯人が近づいて話しかけ、しばらく一緒に観光などをして親しくなり安心させたところで、犯人はカモに紅茶などを勧めてくる。それにはたっぷりの睡眠薬が入っていてカモは眠り込んでしまい、その間に犯人は貴重品をゆっくりと盗むというものである。
中には親しくなるまで丸1日以上一緒に行動して安心させる者や、喫茶店で出された紅茶なので大丈夫かと思ったらそれに薬が入っていたり、固形物なら大丈夫かと思ったらクッキーなどに塗り込んであったりと手が込んでいるらしい。
しかもその睡眠薬の量がかなりのものらしく、一口飲んだり食べたりしただけで、すぐに効いてきて、おかしいと思ったときにはもう立ち上がることもできずに昏倒してしまうというほどのものらしく、その後気付いた時には貴重品を盗まれて真夜中の広場で独りぼっちということになるらしい。
イスタンブールに来るまでは噂が大きくなってるだけで、大したことはないのだろうと思っていた。日本人のたまる安宿には日本の大使館からのその犯罪に関する御触書きまであったが、それでも事なかれ主義の外務省はいつもおおげさに書くからと思っていた。
でも泊まっていた宿で実際に被害者の一人に会ったり、冬に被害にあって眠り込んでしまって凍死してしまった人がいるなどという話を聞くとさすがに気をつけなければという気になった。
聞いた話の中からひとつ変わったものを紹介する。
ある二人組の旅行者がこの犯罪に遭い、そろって睡眠薬で眠らされてしまった。気付いたら一人からは貴重品が根こそぎ盗まれていたのに、もう一人のほうからは何も盗まれていなかったという。盗まれなかったほうが持っていたバッグの中にはお土産に買っておいたコーランが一冊入っていたらしい。犯人が大変「敬虔な」イスラム教徒だったために助かったというはなし。
もともとイスタンブールは観光客の非常に多い街なので、怪しげな客引きや物売りなども昔から多いところだった。
どんどん増えている最大の「お客さん」である旅行者の国の言葉を覚えて、「コンニチワ」「スイマセン」「日本人デスカ」「トテモ安イヨ」「見ルダケ、タダ」などの商売用語を駆使する連中がとても多く、それらの言葉で話しかけても知らん振りを決め込む東洋人には、後ろから「落チテマスヨ」と、声を掛ける。日本人なら思わず振り向いて下を見るので、最大のお客を見逃すことはない。それでも相手にされなければ、「馬鹿ヤロ〜!」と、捨て台詞を浴びせ掛けるというなかなか楽しい町なのである。
イスタンブールの観光地で日本語で話しかけてくるトルコ人はほとんどが商売人で、しかも怪しげな片言の日本語を駆使するだけなので「日本語を話すトルコ人=いんちき商売人」という図式ができあがっていてほとんど逆効果なのだが、彼らはまだあまりそのことに気付いてないようである。
ある絨毯屋のオヤジは日本にいたこともあり、日本語を完璧に話すのだが、外で使うと詐欺師だと思われるだけなので使わないといっていた。彼は日本人にお茶を出すとき「砂糖と睡眠薬はどれくらい入れましょうか」と、イスタンブール・ギャグを飛ばしていた。
このころちょうど2000年のオリンピックの開催地が決まった。イスタンブールも立候補していたのだが、見事に落ちてシドニーに決まった。イスタンブールの市民には悪いが、当然の結果といえるだろう。
イスタンブールはその後もしつこく立候補をつづけていたらしい。2012年のオリンピックにも立候補していたそうだが、あっさり一次選考で落選した。天敵ギリシャのアテネに先を越され、まさかの中国北京にも負けて、ショックは隠せないだろうが、とりあえず治安をよくしてから出直してきてほしい。
草々
前略、
ルーマニアを旅していたときの話である。
闇両替がまだ行われていたこの国では、観光客の多い大きな街にはたくさんの闇両替屋が通りに立って外国人に声を掛けていた。
両替所の前には特に多く、だます奴も多いというので、相手にしていなかったのだが、両替所を探していたときに、数人で立っていた若者のグループにレートを訊いてみた。
「650」
これはほとんど公定レートと変わらないので相手にせず、立ち去ろうとすると、いきなり800レイに上がった。これは非常にいいレートである。そこでものは試しに、そこで街頭での闇両替に挑戦してみることにした。20ドル両替するというと、彼らは不平を言った。
「もっとたくさん。50か100ドルだ」
それならもういいと、再び立ち去ろうとすると、彼らは簡単に折れた。
「オーケー、ノー・プロブレム」
彼らは20ドル分の16000レイを先にぼくに渡して確認させた。確かにあることを確認して20ドル札を渡す。
「ちょっと、待った」
隣にいた仲間の男がそういって、その札を取り上げた。
「それをよく見せてくれ。この札はちょっと変だ」
そう言いながら、男は紙幣を手の上で折りたたみ始めた。
「こら、こら、やめろ。折り畳むのをやめろ!」
その仕草は何かで読んだことがあったのだ。ぼくは16000レイをもう一人の男に突き返すと、男の手を取ってたたんだ札をしっかりと握ったその掌を無理矢理に開かせて、20ドル札をもぎ取った。
彼らはぼくがレイを返していたのにもかからず、もぎ取った札を取り返そうとしたので、彼から取り返してくしゃくしゃになった札を見てみると、そこには2枚の紙幣があった。ぼくの渡した20ドル札と、どこからか不思議な力によって彼の掌に湧き出てきた魔法の1ドル札だった。
ぼくはその1ドル札を握りつぶして通りに捨てると、そこを立ち去った。彼らはそれをあわてて拾うと、ぼくに悪態をついた。
彼らの手口は渡した現地通貨を相手に確認させて安心させて、取り引き成立と見せかけておきながら、相手の札も自分たちが確認するという名目で折りたたみ、この札は偽札かもしれないから両替はできないといって、札を突き返して現地通貨を取り戻すのである。返された札を後でよくみると、それは折り畳んだ時にすり替えられた1ドル札になっていて、その頃には連中は消えているという寸法である。
この方法はどの札も似たような色とデザインのアメリカ・ドルの場合のみ有効である。
その昔は現地通貨のほうに細工する手口が多かったようだ。単純に少ない金額を渡したり、すでに廃止された紙幣を混ぜたり、インフレが進んで価値はないが単位は大きい外国の紙幣を混ぜたりしたらしいが、いまでは旅人は用心深くなり、もらった紙幣を確認するようになったので、これらの手口は廃れてあまり行われなくなり、より手の込んだ方法が考案されたのである。
ある黒海沿岸の観光地でも、たくさんの闇両替屋たちが外国人旅行者たちに声を掛けていた。
通りの闇両替屋に声を掛ける気はもうなかったので、すべて無視して歩いていたのだが、そのうちの一人がやたらとしつこく後ろを付いてきて両替を勧めてきた。断っていると10ドルでも5ドルでもいいといい出した。そんなことを自分からいいだすやつは珍しなと思いながらも断っていたが、それでもまだ付いてくる。あまりしつこいので、そいつを巻くために大通りから折れて細い小道に入っていった。
しかし、それは失敗だった。そいつはあきらめずについてくると、ポケットからルーマニアの札束を出してみせて金は持ってるからというのだった。すると、突然、後ろから黒いサングラスを掛けた男が駆け寄ってきて叫んだ。
「ポリース!」
その男はポケットからIDを見せると、闇両替屋が持っていた札束を没収するとポケットに入れ、ぼくの腕を凄い力でわしづかみにした。
サングラスの男は再び、叫んだ。
「パシャポルト!」
どうやらぼくに旅券の提示を求めているようである。闇両替屋もおとなしく出したほうがいいというようなことをいっているようだ。しかし、ぼくは逮捕されるようなことは何もしていないのである。
「なぜぼくが旅券を見せなければならないのか。あんたは本当に警察か」
ぼくが彼にそう尋ねると、彼は再びIDを出すと、素早くその一部分を指差してみせた。その部分には確かに警察という意味らしき「…politie…」というようなルーマニア語が見えたが、彼はすぐにそれをボケットにしまってしまった。その間も彼はぼくの腕をしっかりとつかんで放さない。
「もっとちゃんとそのIDを見せてくれ。中も見せろ」
そういったが、彼はその中身をほんの一瞬、開いて見せただけで、すぐに閉じてしまった。
そのあまりに不自然な態度で、ぼくは彼が警察でないことが確信できた。
「ふざけるな。失せろ!」
そいつの腕を振り払って悪態を付くと、警察官と闇両替屋は「二人なかよく」雑談しなが残念そうに並んで去っていった。
彼らの手口は両替自体でだますのではなく、闇両替屋がカモにまともに闇両替をさせておいて、そこを警察役の奴が踏み込んで、違法行為であると両者の金を没収、あるいは逮捕すると脅して罰金を取り、後で分けるというようなもののようだ。そのため、5ドルでも10ドルでもいいといったのである。
これは当時のガイドブックにも載っていない新しい手口だった。
彼らはぼくが1ドルも両替をしなかったのにも拘らず、せっかくのカモであるし、ひょっとしたらうまくいくかもしれないと幕を上げたようだ。
警察役の男が見せたIDには楕円の中に「RO」の文宇が入ったマークが付いていた。これは車がどこの国の登録かを表すために車体につけるマークだから、あのIDは(「警察署」発行の)運転免許証だったと思われる。
気を取り直し、再び街を歩き出して30分後のこと。
「セニョール、チェンジ・マネー? セニョリータ?」
なぜかイタリア語を混ぜながら話しかけてくる別の闇両替屋が付いてきた。
適当にあしらっていると別の男が走ってきて叫んだ。
「ポリース!」
「………」
そこには詐欺師の親睦会かギルドか何かがあって、月に1回ほど集まって研究発表会を行なっているに違いない。同じ手口はトルコでも聞いたというから年に1回はジュネーブのホテルで国際詐欺師学会が開かれて意見の交換をしているのだろう。インターネットにフォーラムがあるのかもしれない。
草々
前略、
散髪はいやだ。というのはぼくが小学生の時に書いた作文の中で唯一教師に評価されたものだ(なぜ評価されたかは今も分からない)。
子供のころは父がバリカンとはさみで刈ってくれていた。その後、散髪屋や美容院に行くようになったが、今も髪を切ることがいやであることには変わりない。
そして、以前から興味を持っていたが、なかなか実行に移せなかった「マイ・バリカン」を買うという計画を実行に移した。
ナショナルの「カットモード」。水洗いできる電気バリカンだ。
バリエーションがいくつかあるのだが、みたところ髪を刈る長さを調節するアタッチメントが違うだけのようなので、もっともシンプルで安い「ER504P」にした。値段は1〜2回分の散髪代しかしないのだから、安いものだ。
それからは髪は家で自分で刈っている。自分一人で刈る場合は、いくらアタッチメントが付いていても後頭を調節するのはかなり難しいので、ぼくはもうボーズにすることにした。
自分で散髪すると、散髪がいやではなくなった。
散髪がいやなのではなく、刃物を持った他人に自分をいじられ、コントロールができないことがいやだったのだ。
草々
追伸、バリカンの語源に興味のある方はこちらの記事をどうぞ。
ユーチューブ「My cat went to the neighbours to borrow a tiger plush toy :)」を見た。向かいの家からぬいぐるみを盗んで遊ぶニャンコの動画。
ここでタイトルにある「plush」という単語がわからなかったので調べた。
このタイトルの文脈では「ぬいぐるみ」という意味になるのだろうが、もともとは「ふらし天」という布地の意味だった。
つまり「ふらし天」の「ふらし」は「plush」から来ているのだった。
「ふらし天」は柔らかい布地なので「柔らかい」という意味もあって、テニスの柔らかいショットに「plush」を使ったりするらしい。
「plush」が「ふらし」になったとしたら「天」はなんなんだという疑問がわく。
「ふらし天」に似た言葉に「コール天」が思いつく。
「コール天」はコーデュロイという生地。
「ふらし天」か「コール天」のどちらかの単語があって、似たような生地だから同じように「天」をつけたのかなと最初思った。「チノパン」「アヤパン」「カトパン」みたいに。
ではなく、「天」とはビロードの意味らしい。
ビロードは漢字で「天鵞絨」。ビロードみたいな布地なので「天」がついたようだ。ちなみに「天鵞」は白鳥のこと。
6月6日(火)晴れ
キャンプを張ったみさき公園はとてもいいところで、静かで風も吹かず、その夜は寒くもなかった。小鳥とウシガエルの鳴き声だけが聞こえていた。
出発して一週間以上たち、全く鍛えていなかった体に疲れもたまってきていたので、ここに連泊して休むことにする。
自転車を洗車、整備し、洗濯をした。天気もよくのんびりしていたら、公園の管理人が巡回してきて、「ここはキャンプは禁止だよ」と言い渡されてしまった。
しようがない。洗濯物が乾いた時点で撤収して、移動する。近くの厚生年金施設で温泉に入り、数キロ移動して、別の広場にテントを張った。
(6.86km/0h37m・計562.3km)
6月9日(金)雨
予報通り、夜中から雨が降りだした。トイレと水道のあるところにテントを張っていてよかった。でも近くに店は全くなさそうなので、手持ちの食料でテントの中でじっとしているしかない。
本を読んだり、食事を作ったり、ラジオを聴いたりして過ごす。
この雨と同時に宮城県を含めた東北南部が梅雨入りした。あー、ついに追いつかれてしまった。梅雨に取り込まれてしまうと先に進めなくなってしまうのでなんとかしなければ。
降り出して半日でテントの四隅の縫製部分からじわじわと雨水が染み込んできた。量はたいしたことないのでとりあえず問題はない。
(0.0km/0h0m・計717.7km)
前略、
「どうしよう。メッカの方向(キブラ)が全く分からない!」
「しまった。礼拝の時間が過ぎてしまった!」
あらあら、大変ですね。こんなことが、これを読んでいるイスラム教徒の貴方にも必ず一度は経験があるはず。
うっかりのミスのために地獄に落とされたりしては大変ですね。「礼拝」はあなたの最低限の義務なのです。
でも、もう大丈夫!私たちが自信を持ってお勧めする、カシオのプレイヤー・コンパス!
一見、何の変哲もない腕時計ですが、実はこの時計、イスラム教徒のあなたのためだけの腕時計なんです。
なんとこの腕時計、簡単なボタン操作で世界中どこにいても、すぐにメッカの方向(キブラ)が分かります。
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さらに、西暦と共にイスラム歴(ヒジュラ歴)も内蔵しているので大切な宗教行事を忘れることもありません。
カシオ プレイヤー・コンパス!
あなたも模範的なイスラム教徒になって、来世もハッピー!
(コピーは投稿者が独自に考えたもので実際の宣伝コピーではありませんが、製品は実在します)
草々
前略、
ラホールからバスに乗ってインドとの国境へ。
パキスタンの出国は簡単に済んだ。そこから長い一本道をとぼとぼと歩いて国境を渡りインドに入る。その道はあまり仲のよくない両国間の唯一の陸路で渡れる国境だった。
インドの入国も全く厳しくはなかったが、ちょっと面白いことがあった。
審査の時、入国カードに所定事項を書き込み係官に渡すと彼はぼくにいくつか審査のためのありきたりな質問をしてペンを貸してくれといった。
ぼくがペンを貸してやると彼はそれで用紙に何かを書き込んだ。
「オーケー」
係官はそういい、ぼくに行くように促した。
「ペン」
彼がぼくのペンを持ったままなのでぼくはそういって返すよう促した。
「プレゼント?」
彼はそうするのが当たり前のような口振りでそういいペンをせびってきた。ぼくはもちろん断ってペンを取り返した。
これまでもエジプトなどで何度か子供たちからペンをねだられることがあった。戦後の日本の「ギブ・ミー・チューインガム」のようなものだろうか(ちなみにエジプトの人はPの発音が苦手なので「BEN! BEN!」といっておねだりをしてくる)。
子供がチューインガムやチョコレートなどのお菓子をねだってくるのならかわいげがあるのだが、決まってペンをねだってくるのがよく分からない。確かに日本などで作られているボールペンは品質がいいのだろうが、小さな子供がボールペンをもらって特にうれしいわけでもないだろうし何本も持っていたって仕様がないだろう。ボールペンを一本使い切ろうと思ったら大の大人でもけっこうかかるものである。ということは彼らは転売を目的にしているのだろうか。
聞いたところによると旅行者の中にはボールペンを何ダースもわざわざ自国から用意してきて彼らにバラまく人もいるらしいので、子供たちは特にペンでなくてもくれるならなんでもよくて旅行者はペンなら簡単にくれるというのでペンをねだり、旅行者のほうは子供たちはペンをもらうとよろこぶということになって悪循環にはまっているのではないだろうか。
ぼくはわざわざあげるために買って持っていくならボールペンじゃなくてお菓子などにしたほうが子供は喜ぶと思うし、もし彼らが転売してお金に変えているのなら、そんなパチンコ屋の景品交換のようなまわりくどい方法はやめてチップをあげればいいと思う。
インドの国境でペンをせびってくるまるでかわいくないこのおっさんの係官は他の国の子供たちとはちょっと違う。
作家の沢木耕太郎が自身のインドからイギリスまでのバスの旅を描いた『深夜特急』という作品の中で彼はこの同じ国境を反対方向へ通っていて、彼もここで係官にペンをせびられている。やりとりもほぼ同じなのだ。
彼がこの場所を抜けたのは1974年ということなので、彼らは少なくとも20年毎日そこで旅行者にペンをせびり続けていたということになる。
ぼくが係官に貸したペンは財布の中に入る小さな安っぽいペンでそれを見た時、彼はあからさまに嫌な顔をした。最初からもらうつもりで借りているので安っぽいペンに失望したのだ。それでも彼はそのペンをせびってきた。そこでは伝統的に旅行者からは必ずペンを借りてせびらなければならないと言い伝えられているのかもしれない。
ひょっとしたらその係官は20年前に当時の沢木耕太郎青年にペンをせびった係官と同一人物かもしれない。
草々
前略、
18世紀の末に勘の鋭いイギリス人のインド学者、W・ジョーンズがインドのサンスクリット語(仏教がかかれた言葉。般若心経の最後に出てくる「ギャーテーギャーテーハラギャーテー」はサンスクリット語が中国を通って訛りに訛ったもの)を読んでいてふと気がつきました。この言葉はギリシャ語やラテン語、さらには他のヨーロッパ語となんか似てるじゃないかと。
これまでの人は誰もヨーロッパ人が話す言葉とインド亜大陸で仏陀の時代に話され、すでに滅びた言葉に関連性があるなどということは考えもしませんでした。しかし、研究が進むうちに古い古いサンスクリット語だけではなく現在、ヨーロッパからインド亜大陸にかけて話されているほとんどの言葉にも強い相関関連があり、同じ一つの言葉の祖先を持つ家族であろうということが分かってきたのででした。つまり、これらの言葉は書き表す文字は全く違っていても類似した文法と共通した語彙を持つ仲間だということなのです。
これらの言葉はインド・ヨーロッパ語族と呼ばれ、フィンランド、エストニア、ハンガリーを除くすべてのヨーロッパ語(一部の少数民族[バスク語など]の言葉は除く)とイランからアフガニスタン、パキスタン、中央アジアの旧ソ連の一部の国とインドで話されるほとんどの言葉が含まれます。
新大陸では今や英語とスペイン語、ポルトガル語の天下で、広大なロシアではロシア語の天下、アフリカでも植民者のヨーロッパ語が幅をきかせているので、話者の数や面積でいうとインド・ヨーロッパ語は世界のほとんどを占めていて、その言葉を話さない場所をあげる方が早いくらいです。すなわち、東及び東南アジアと南インド、中東と一部のアフリカです。
これだけの大家族になると血はつながっていてもあまり似てないものとそっくりなものの違いがはっきり出てくるので、それぞれの似た小さな家族ごとに語派という形で分かれています。
英語はドイツ語や北欧の言葉などとまとまってゲルマン語派と呼ばれています。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルのいわゆるラテンの国の言葉はルーマニアなども加えてロマンス語派といい、ロシアと東欧、バルカン半島の言葉はスラブ語派というグループに入ります。
これらのインド・ヨーロッパ語族の中にはぽつんと孤立する例外があります。それがさきほどもあげたフィンランド、エストニア、ハンガリーで、これらの国の言葉はインド・ヨーロッパ語とは関連がないアジアから伝わってきた言葉で、アジアの騎馬民族がやってきたときに残していったものだといわれています。また、スペインの少数民族の言葉バスク語は旧石器時代にまでさかのぼる言葉ではないかともいわれています。
これらの中には別々の名前が付いていても言葉自体はほとんど同じというものもあります。例えばスウェーデン語とノルウェイ語はそれぞれの国の名前が付いていますが実際には方言以上のへだたりはないらしく、インドのヒンドゥ語とパキスタンのウルドゥ語も国と宗教、文字はが違うけれども基本的には同じ言葉だそうです。
では日本語はどのグループにはいるのか。これは昔から議論されてきた問題です。
日本語と朝鮮語は文法が非常に似通っている言葉であることは知られています。これらの言葉は膠着語と呼ばれ単語に助詞(てにをは)や助動詞などがくっついて(膠着して)文章を作ることからきています。
インド・ヨーロッパ語族の言葉は屈折語と呼ばれ、単語が変化(屈折)することによって文意を表します。英語はかなり簡略化されて屈折する部分が少なくなっていますが、他の言語では名詞の語形変化で格(主格、所有格など)を表したり、複雑な語形変化をして学習者を悩ませます。
世界の中ではアルタイ語族であるトルコ語やモンゴル語などが膠着語の仲間で一時は日本語や朝鮮語もこれらの語族とされていた時期もあったようですが、現在はここからは離れ、また似た文法を持ち文化的にも距離的にも近い日本語と朝鮮語も文法以外の単語間の相関関係が非常に低いということが同じ語族とするのをためらわせています。
では日本語はどこからきたのか。当然、どこからでもなくその場所から発生したオリジナルであるという考え方もあるのですが、どこからか来たとすると、北の中国語とは文法的に全く違う(中国語は語形変化もなければ助詞などが膠着することもなく単語の順番だけで意味を表すので孤立語と呼ばれています)ので、考えられるのは南(太平洋の島など)と西で、最近、有名なのはインドのタミル語語源説です。
タミルは南インドにあり、インドの中では数少ないインド・ヨーロッパ語族でない言葉で、映画「ムトゥ 踊るマハラジャ」や「ボンベイ」の作られたところとしても知られています。この説を発表した大野晋教授によるとタミル語と日本語の間には文法や単語の相関関係だけでなく言葉が渡ってきた場合に当然考えられる文化的な関係(カレーを米で食べる以外にも)も強く認められるとのことです。
草々